第2話 無免ローヤーを追う者

「水去! この阿呆が! 全員死刑などとトンチキなことを言っている怪人相手に、あんなに苦戦してどうする! お前の頭には齧歯類程度の脳みそしか詰まってないのか?」


「はい……すいません……あまりに根源的すぎる問いだったので、その、勉強不足でした……」


「すいません、じゃない、すみません、だ! マトモに謝る事も出来んのか! この愚図!」


「す、すみません……」


 赤原教授の研究室に呼び出された水去青年、またの名を無免ローヤーは、いつものようにアカデミックパワーハラスメントを受けていた。


「歴代無免ローヤーの中でも、お前ほどの無能は見たことがない! お前が法科大学院を卒業するまで、残り一年九か月も面倒を見なきゃならんと思うと、頭が痛いな! 私をストレスで憤死させるつもりか! やる気が無いのか? 無いなら無免ローヤーなんてやめてしまえ! お前の代わりなどいくらでもいる!」


「い、いや、やらせてください! 俺は、無免ローヤーをやめたくないです……!」


「だったら死ぬ気で勉強しろ! もうすぐ予備の短答試験もあるだろうが! お前のスッカスカな頭じゃ無理かもしれんがな! ……どれ、私が確かめてやろう。んー、コンコン、ほら、コンコン、中身入ってますかぁ?」


 赤原教授が水去青年の額を拳でコンコンと叩いて、響きを確かめた。あまりの侮辱に耐えかねた水去は、一礼して部屋を飛び出した。涙が溢れそうだった。


 叩いて中身を確かめるって、チョコレート工場のリスかよ! 齧歯類はテメーじゃねえか! 出っ歯野郎め! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうっ……


 法科大学院棟の外に出ると、七兜山の虚しい風が彼を突き抜けて行った。怪人死刑男を倒し、学友の山本青年を闇から救ったはずの無免ローヤー。しかし水去自身は、正義のヒーローをやっていても、現実には、悲しいことばっかりである。


 中庭のベンチで少し休んで、目元を拭った水去は、下宿に戻るため立ち上がった。明日の講義の予習をしなければならない。


 そこに立ちふさがる男がいた。


「やっほー、ねえ、キミ、無免ローヤーだろ?」


 女性受けの良さそうな大きな垂れ目に、柔らかくうねった茶髪、口元は緩く笑って、すらりとした長身に洒落た上着を羽織り、紐付きのカメラを首にかけている。チャラい。いかにも法科大学院生なんか馬鹿にしてそうなヤサオトコが、水去の前に立って居た。


「なんだお前!」


「初対面の相手になんだとは失礼だなー。まっ、ボクは君のこと知ってるんだけどね。さっきはテンション高くてカッコよかったなー。んん、ゴホン……『オレたちが、やさしい心でホーリツを使えば、もっと良い社会に、なるんじゃないかな……』ってねー! あははははははは! その後、教授に酷く絞られてたみたいだけど。正義の味方も世知辛いねー」


「見てたのか!」


「ふふふふふ。初めまして、無免ローヤー。ボク、神崎かんざき八太郎やたろう。七兜大学文学部の二年生。よろしくね!」


 水去は無言で彼の横を通り抜けようとした。しかし神崎が手を伸ばして通せん坊する。自分は皆から好かれていると言わんばかりの自信に満ち溢れた行動に、水去は少し気圧された。この距離感の近さは、明るく楽しい感情が全部すり減り、負の感情だけ残った法科大学院生には少々、いや、かなり辛い。水去青年は目を逸らして、俯いた。


「せっかく出会ったんだからさー、名前くらい教えてくれてもいいじゃん」


「……法科大学院の既習一年目、水去みなさりりつ


 水去が答えると、何が面白いのか神崎はそれをメモしている。


「水去君は学部も七兜なの?」「いや、他から……」「ふむふむ、なら、この山じゃボクが先輩だねー」「だから何だよ」「ねえ、君のこと、研究させてよ!」「はあ?」


 突然の要求に気味が悪くなった水去は、勇気を出して神崎を押しのけ、歩き出した。どうせ詐欺か宗教かテニサーのどれかに違いない。客寄せの道化にするつもりだ。他者に対してどこまでも軽薄な奴ら。そういえば、特殊詐欺のおとり捜査に論点があったよな……と哀しい思考を重ねつつ、大学の敷地を出て、坂を登り始めた。神崎があたふたと追いかけてきて、横に付いて歩きながら、鞄から分厚い書籍を取り出した。


「ほら、これ見てよ。十五世紀くらいから記録が残ってる、七兜山の妖怪伝説。法力を身に付けた妖怪と、妖怪と戦う修行僧の話があるんだよ。なんでもその僧は、まだ僧としての資格を身に付けていない修行中の身らしくて、仮面で顔を隠してるんだ。君と、君が戦ってる怪人そっくりじゃないかい、無免ローヤー?」


「し、知らねえよ。俺はこの変身六法に選ばれてやってるんだ。修行僧とかそんなのは知らない」


「変身者は選ばれるものなんだ、へえー。ねえ、その六法見せてよ、ボクじゃ変身できないのかなー?」


「お断りする」


 ねえ見せてよー、うるさい、そんな問答を続けながら二人は坂を登っていく。途中、法科大学院の知り合いの、前原女生徒とすれ違って水去が挨拶したら、彼女は隠れるようにそそくさと行ってしまった。彼女が法科大学院生だと気付いた神崎が、「無免ローヤーって知ってますか?」なんて尋ねようとするのを水去は慌てて止めた。


「お前どこまで付いて来るんだよ……」


 水去が自分の下宿の前で、いよいよ困ったように声をかけた。目の前には古い木造家屋が建っている。「あれ、ここが君の下宿? 古くて小さいけど、一軒家に住んでるとは思わなかったなー。意外といい暮らししてるじゃん、無免ローヤー」建物を見ながら神崎が驚いたように笑う。水去はキイキイ軋む門を開けつつ、不機嫌そうに振り返って


「何言ってんだ、そっちは大家さんの家だ。俺の下宿は、こっち」


 と言った。見ればそこには、庭の端の、小さな離れと言うべきか、小さな物置と言うべきか、大きな犬小屋と言うべきか、そんな四角い構造物があった。貧乏学生水去の棲み処である。


「うわっ、ナニコレ、人の住む場所じゃないじゃん」


「うるせーな、三畳くらいはある……多分。雨風もしのげるし、仕方ないだろ。法科大学院生ってのは、こんなもんだ。社会から疎外されてるんだ」


 水去が錠前を外し、建付けの悪い引き戸を両手で浮かしつつガタガタ開けると、中は暗い部屋に埃と書籍がギュウギュウに詰まっていた。かろうじて空いたスペースに、汚い炬燵が埋もれている。真っすぐ立てないくらい低い天井には、電池式の小さなランプが吊られていた。当り前だが窓などないので、昼間でも室内は真っ暗。ランプの黄色いほの灯りが唯一の光源だった。


「お邪魔しまーす」「お前入ってくんの?」「駄目なの? いろいろ話を聞かせてよー」


 神崎の態度に、水去は眉間に皺を寄せていたが、それでもこの出逢って二十分の人間を招き入れた。こたつ越しに向かい合うが、狭すぎるので顔を至近距離で突き合わせることになる。目の前で神崎がにへっと笑った。


「ここヤバいねー。無免ローヤーとしての修行だったりするの? こんな所で暮らすなんて想像できないや。ねえ、こんな物件、どうやって見つけたの?」


「さっきの建物に住んでる大家のおばーちゃんが好意で貸してくれてる。家賃は月百円だ。まあ、いつまでこうしてられるかは、分からんが……」


 意味ありげに水去がため息を吐く。


「どういうこと?」


「なんか、神崎グループとかいう会社がここら一帯を買い取ろうとしてるみたいでな。こんなクソ山をどう使うのか知らんが、大家さんにも話がきてる。老人一人の暮らしだし、財産を処分して都会の息子夫婦のお世話になりたい、って言ってたんだ。だからまあ、引き渡しの時期はともかく、売ることにしたらしいんだよな。こちらとしては困るけど、おばーちゃんに迷惑かけられねーし。借地借家法でも勉強するかなーって感じだ」


「へえー! そうなんだ! 神崎グループってボクの実家だよ!」


「えっ……」


 神崎はニコニコしている。その時、小屋の戸がダンダンダンとノックされた。「水去さァん、帰ったんかァ」という声が聞こえる。大家だ、と水去が呟いて中腰で立ち上がると、扉を開けた。部屋の中の水去と同じくらい腰の曲がった、白髪の老婆が姿を現した。


「水去さァん、前に話したことなんやけどなァ……」


「ああ、はい。ここを売るって話ですよね」


「そォそォ、もう売ったんよォ」


「あ、そうですか、相手は大会社だから、高く売れたんじゃないですか?」


「いやァねェ、神崎財閥には売ったんやけどォ、やっぱり気に入らんくてねェ、別の人に売ることにしたんよォ。ほれでなァ、もう手続きとかもぜーんぶしてもろとォから、アタシはもう出て行きますゥ」


「ええっ? どういうことですかっ? それに、引っ越しの準備とかあるんじゃないですか? 想い出のある家だから、しっかり綺麗にして、お礼をしてからって、言ってたじゃないですか!」


「ほなまたなァ」


 大家の老婆は虚ろな目をしたまま方向転換して、家の中に戻ってしまった。水去が、どうなってるんだ? と思いつつ、戸を閉めて振り向くと、炬燵の中で神崎が怪訝そうな顔をしていた。


「おかしいよ。手前味噌だけど、神崎グループは超大手優良安心運営を心掛けてるもん。土地を買うにしても適正な値段をつけるし、雑な対応はしないはずだよ。気に入らない、なんて言われるはずがないんだ。大家さんボケてるんじゃないの?」


「お前の実家がどれくらいマトモなのかは知らん。しかし大家さんは……普段はもっとしっかりしてるし、あんなぼんやりした喋り方じゃないんだ。それに、家と土地の売却だって、あれじゃ二重譲渡になってしまう。訳が分からんな……」


 水去は首を捻るものの、特に合理的な説明は思いつかない。しばらくして、手をオトガイに当て何かを考えていた神崎の表情が、あたかも妙案を発見したとばかりに、ぱああっと晴れた。


「もしかしてさ……これも怪人の仕業じゃない?」


「はあ? なんでもかんでも怪人のせいにしてはいけない。いいか、怪人ってのはな、七兜大の法科大学院生が絶望して変貌するんだ。いくらストレスで精神トチ狂ったロー学生でも、こんな土地をどうこうしようとかならねーよ」


「それは、うーん……そうだ、君だよ、ここには君が住んでる! これは怪人の宿敵、無免ローヤーに対する攻撃なんだ!」


 神崎が嬉しそうに立ち上がって、天井に頭をぶつけた。電灯が揺れ、小屋全体も揺れた。埃がばらばら舞って、積み上げている書籍が崩れ落ちる。落ちてきた本を水去が受け止めると、それは「民法(物権)」の教科書だった。本を開いて中を覗いていると、崩れた書籍の塔を元に戻していた神崎が、「それに、ボクの実家が関わってることだもん、放っておけないよ」と呟いた。電灯が彼の不安そうな表情を照らしている。


 本を閉じて、水去は意を決したように勢いよく、しかし頭をぶつけないように中腰で、立ち上がった。


「表に出ろ。面白いモン見せてやるよ」


 二人は部屋を出て、庭の真ん中、大家の住居の前に立った。「ねえ、何をするつもりなの?」と神崎が尋ねる。水去は鞄から六法を取り出しながら、「ちょっとこの家の事を調べる」と答えた。


 水去が六法を腰のバックルに装着する。「おおっ、まさかっ!」と神崎の興奮した声が響いた。六法から光が溢れ出し、ヘンシン、水去青年は法の鎧を身に纏って、無免ローヤーに変身した。慌てて写真を取り始めた神崎を、無免ローヤーの複眼が見据える。


「登記って知ってるか?」


「えーっと、名前くらいは?」


 神崎がそう答えると、無免ローヤーはゆっくりと頷いた。


「登記ってのは、簡単に言うと、この権利を俺が持ってるんだ! って国の手帳に書いといてもらうことだ。まあ基本は建物とか土地の不動産登記だな。この土地は僕のだ、とか、この建物を私が手に入れた、ってことを、法務局に記録してもらう。記録しとけば、ここが自分の持ち物だって国に証明してもらえるし、逆に他人の不動産を買いたいって人は、誰が持ち主なのか国に聞けばいい」


「ふむふむ、なるほど」


「まあ、実際にはちゃんと記録がされてなくて、この土地の持ち主、明治時代の人になってるんですけど、絶対もう死んでるやんホンマの持ち主は誰やねん……みたいなこともあるが、一応登記を見れば大体のことが分かるようになってるんだ」


「へえー」


「それでだ。不動産登記は法務局に登記事項証明書を交付してもらうことで確認できるんだが、俺はちょっとズルをする」


 そう言うと、無免ローヤーが腰の六法をめくって、不動産登記法の頁を開き、右手をかざした。六法が輝き、その光が輪となって手に移る。そうして無免ローヤーが右手を家に向け、「汝の登記を開示せよ」と命令すると、光の輪がくるくる回って宙に浮き、A4の紙に収まるくらいの文字列に変わった。


「どれどれ、ここの登記はどーなってんだ?」


 無免ローヤーと神崎が光の文字を覗き込む。「ふむ、権利部……所有権移転……所有者……所有者、前原天祢っ⁉」「誰?」「さっきすれ違った、法科大学院の同級生だ、同姓同名の他人でなければ、だが」「ああー! あの可愛いかった人!」


 神崎が「可愛い」なんて恥ずかしげもなく言うのに眉を顰めつつ、仮面の内側で加速していた無免ローヤーの思考は、一つの恐ろしい結果を弾き出した。


「まさかっ!」


 本宅の扉を開け、中に飛び込む。リビングに入ると、大家さんがソファーに倒れていた。無免ローヤーの法の眼ごしには、おばーちゃんの全身を、怪人の闇の力が覆っているのが見えた。



次回予告

拷問! 友情! 自習室! 第三話「さっきの可愛かった人」 お楽しみに!

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