第2話


 幼稚園の頃、周囲の子達は複数の習い事を掛け持ちしていた。

 「羨ましい?」ってママに聞かれて、わたしは本当は羨ましかったけれど、ママの目の強い訴えのようなものを無意識のうちに感じ取って、首を横に振って、満面の笑みで、「ぜーんぜんっ!!」としか言えなかった。


 幼稚園のお迎えの後に運動場でママたちと一緒に遊んでいる子達が心底羨ましかった。

 「みんなと遊びたい」っていつもママに伝えた。でも、ママはいつもだめって言った。小さな弟がお家で待っているから、もしくは、抱っこ紐で抱っこしている弟が、今にも泣き出してしまうかもしれないからって。幼いわたしにも、これがわがままだって分かっていたし、ママも大変だって分かっているから、強くは言えなかった。ぐずっても無駄だって分かっていたかもしれないけれど、今では上手に思い出せない。

 ただただ、わたしの中には寂しくて羨ましかった記憶として残ってる。だって、同い年の弟を持つ1番仲の良かったお友だちは、いつも遊んでから帰っていたから。

 それに、わたしが小学生になってから幼稚園に入園した弟は、毎日運動場で遊んでから帰宅していたから。毎日毎日、弟は自慢げに友人との楽しい時間をわたしに報告してきた。憎らしくて、憎らしくて、なんでわたしだけダメだったのって惨めになって、弟を引っ掻いて、ママに酷く叱られた。わたしは、どうしても、羨ましかった。何度も何度も、自分が下だったらよかったのにって思った。


 幼稚園の頃のわたしは、気管支がとても弱かった。

 走っては咳が止まらなくなって、排気ガスや埃を吸っては、咳が止まらなくなった。遊びに行くって約束している日に限っていつも症状が出て、連れて行ってもらえなく日も結構あった記憶がある。

 たまに何事もなく遊びに行く日がやってきても、大体、機嫌屋のパパの機嫌がものすごく悪くて、怒鳴り散らかされて、蹴られて、なくなっていた気がする。

 その頃はまだ虐待がどうこうとかあまり言われている時期がじゃなかったし、殴られるのも蹴られるのも当然だと思っていたから、痛いとしか思っていなかったし、泣き叫ぶと悪化するから、いつも泣き声を押し殺してた。

 ママはいつも庇ってくれた。自分が怪我をしてでも、弟とわたしを庇ってくれた。トイレで、隠れて、ママはいつも泣いていた。わたしは、弟の身体を抱きしめて、ママの弱いところを隠すことしかできなかった。だって、弱いところを見られたら、そこで終了だから。弱いところは、徹底的な攻撃を受ける。ズタボロにされる。弱いところは、上手に隠さなくちゃいけない。弱いところからギタギタに攻撃されて、元気な部分まで弱ってしまうから。だから、上手に隠さなくちゃいけない。


 小さい頃のわたしは、それこそ小学校を卒業するまでのわたしは、三半規管がものすごく弱かった。車で酔って吐いて、ブランコで青白くなって、バスや電車、船は論外だった。けれど、両親が計画する旅行は、船や車での旅行がメインだった。幼稚園児だった頃のわたしは、いつもいつも吐き戻していた。車に乗っている時間のほとんどをゴミ箱を抱きしめて過ごしていた。苦しくて、喉が酸っぱ痛くて仕方がなかった。でも、両親や弟はいつも楽しそうで、それを見ているとわたしまで楽しくて、旅行はそこまで嫌いじゃなかった。

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