第10話 にもかかわらず


 支店長が帰って来た。

 早速、港湾事務所の職員の話をすることにした。

「支店長、港湾事務所の職員が……」

「なんと、ティーレースに参加して欲しいと?」と言う、支店長は驚いていた。


 実は、ヴィレムは期待していた。

 支店長が、参加することに。


 だが、第一声は、

「これは、困る」であった。


 何故?

 何故、困るのだろうかとヴィレムは尋ねた。

「支店長、どうして困るのでしょうか」

「私たちは、賭けをしているわけではない。確実に仕事をこなす必要がある。今回はロッテルダム支店の命運がかかっている。だから、『確実』にこの仕事を完遂する必要がある。今回の仕事は……」

 そう、アインス商会とムンバイのシュバルツ商会とは、200年にわたる取引がある。そのシュバルツ商会からの大きな仕事となると、『確実』に行うということなのだ。


「でも、支店長。賭けに勝てば、さらに儲かるではないでしょうか。負けても、うちが支払う訳ではありませんから」

 そう、ヴィレムの言う通り、参加者から参加料をもらう訳でもなし、実際、賭けの賞金より茶葉の売買の方が儲けは大きい。


 しかし、最速の船になると依頼者も増えるというものだ。今後のことを思えば、この大型のクリッパー船を作ったからには、儲けに儲けたい。


 だが、支店長は、ティーレースには参加する気は無かったのだが、その日にハインリッヒ船長が帰りの船に乗って迎えに来たら、様子は変わった。


「ほう、港湾事務所から直々にですか。これは珍しい。ご招待を受けて、下がる訳には行きますまいな」と、笑った。

「おい、船長」

 ヴィレムはこの船長の言葉を待っていた。

 胸躍る一言だ。


 勇敢なる海の男と言う感じがする。

 だが、それと反して、何故、あの時、私掠船と闘わず降参をしたのか。今の船長の方が、いつもの船長と言う感じがする。


 そして、翌日。


 先日の事務所の職員がやって来た。

 支店長だけでなく船長も同席するようだが、何故かしらフィッツジェラルド工場長もいた。


 軽い挨拶が終わり、ティーレース参加の交渉となった。

「賞金は例年と同じ通りです。御社にとって損はありません」

「二点、疑問があります」と言ったのは支店長だ。

「オランダ、いや、本店はドイツにある我々が、何故、参加の招待を受けるのですか。他国の船になります」

「はい、今回は、イギリスのみの参加でなく、フランス、オランダ、ドイツからも参加を募っております。ですので既に10隻の参加が決まっており、出来れば15隻ぐらいはと、考えております」

「なるほど、既に他国からの参加が決まっているわけですか……では、次に、何故、当商会がクリッパー船を建造しているとわかったのですか」


「はい、既に情報は流れております」

 これには、フィッツジェラルド工場長が口をはさんだ。

「これはどういうことだ。うちは口外していないぞ。従業員もわかっているはずだ」

「はい、工場からではありません」

「では、誰が」

「詳しいことは言えませんが、他国の商人などは……」

「他国の……」と、言ったのは船長だ。


 一つ深呼吸をして、「他国の商人になめられるわけにはいきませんな」と、船長は口にした。

 それと、実際は、先日の私掠船の一件は、私掠船を派遣した英国海軍もこのレースに賭けているのだから、一泡吹かせたいと思っていた。

 一方、支店長は、速さを求めて、船員が無理をしてミスを犯すのではないかと思っているようだ。


「支店長、奴らの鼻を明かしてやりましょうや」という工場長の『奴ら』とは海軍だ。

「まあ、損はしませんから」と、職員はにこやかに言った。


 支店長は、船長がやる気になっているのに水を差すようなことはしたくなかったので、「まあ、仕方がない」と言い、参加することにした。


 そして、参加契約書にサインをした。


 その日の夜。


 にもかかわらず、何故、その日の夜に、「この様なことが起きるのだろうか」と支店長は怒りを堪えていた。

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