吉祥 とある日の夕方

碧海雨優(あおみふらう)

吉祥(きっしょう)

 その日は仕事が早めに終わり、定時で帰れた珍しい日だった。


 弾けるような高揚の声に釣られ、地面に向けていた視線を上げていき、目をかすかに見開く。


 雲が所々に浮かぶ夏色の青空に相応しい、パキッとした虹が鮮やかに広がっていた。


 はしゃぐ男子高校生たちの邪魔をしないよう道の端っこを歩きながら、恐らく彼らと違う場所を見ている自分にため息をついた。


 虹は根元のぼやけて空に溶けた所が好きだと、そう思った。

 淡く控えめに空と混ざりあったような、その色が。

 空の青さと爽やかさが好きで、でもそれは口に出したら人並みの感情になってしまう気がした。


 よくある青春ドラマだ、と心の中で笑いながら、歩みを進める。

 虹で軽くなった足が、どんどんと重くなった。


 にも関わらず、追い抜いて行った男子達の背中がどんどんと近づいて、頭をフル回転させる。

 どうやら彼らは道いっぱいに広がったまま、仲間の1人に送られてきた意中の女の子からのメッセージを、はやし立て、何を返すのが正解かと考え込んでいるようだった。


 それは彼らにとって一大事だ、と心の中で頷くが、相変わらず脳内は大忙しな自分が嫌だった。


 どう動いたら正解かと、この歳になってもまだ、考え続けている自分が。


 結局彼らに避けてもらうよう声を掛けることも、割り込むようにして間を縫うことも出来ないと、そう判断して横にあった脇道に入る。

 流石にため息が出た。


 幸いこの辺りは住宅地ゆえ舗装ほそうされた細い道が沢山あり、一つ曲がったからといって迷ったりあまりに遠回りになったりすることは無さそうだ、と歩いていく。

 すると、くねくねと意地悪をするようにくだを巻く道が出てきて、舌打ちでもしてやろうかという気持ちになった。


 その時


「てってれてってー♪ てってれてれてー♪」

「おわぁ!?」


 バリバリと割れたいびつな大音量が隣で響き、飛び上がる。


 反射でそちらを見ると、壁焼けも少ない真っ白の住宅が並ぶ場所には全く似合わない、蜘蛛の巣と埃を被った自動販売機が立っていた。


 路上で飛び上がった自分、という状況をリセットしようとスマホを求め、黒くて綺麗なビジネスバックに手を突っ込んだ。


「ん?」

 手先に違和感を覚えて適当に掴んで引き抜く。


 キラキラと太陽を反射する一枚の百円玉が出てきた。


「てってれてってー♪」

 また唐突に鳴り出した大音量に、今度は控えめに震えるだけで済んだ。


 だが存在を主張するかのように健気けなげに音を流し続ける自販機に促され、手の中にある銀色の小銭を眺める。


 いつもはドラッグストアで安くなってるものしか買わないが、百円! とこれみよがしにフォントの違う文字で描かれた商品を見つけ、たまにはいいかと気が乗った。


 どれにしようかな、と少し弾んだ心で呟く。


 ココアにお茶にゆずと蜂蜜、普段とは少し違うものが飲みたいと思い、お茶は除外する。


「ココア……ゆず……」

 うーむと考え込んでいると、また鳴り出す自販機に、はっと我に返った。

 不安を抱えながら、少しだけ視線を後ろに向ける。

 幸いなことに、買い終わるのを待っている人はいないようで、ほっと息をつく。


 また自販機に向き直るがもう選ぶ気力もなくなり、無難ぶなんにココアを選んだ。


 そういえば、高校の帰り道、よくこれ飲んだな。

 思い出して顔をほころばせ……


「ルーレット! スタート!!!」

「!?」


 てれれれれれれれれ♪ と一際ひときわ大きな電子音が響き渡り、慌てるより先に諦めが来た。


 せめて当たれ、当たれ。


 念じていると、てれーん! ハズレ! またやってね! と高らかに宣言され、苦笑いが込み上げる。


 案外熱い、というより熱すぎて火傷しそうな缶を、上着のポケットに押し込んで歩き出す。


 流石に疲れが極限だと辺りを見回して、公園なのか広場なのか判別がつかないくらい小さな緑地が目に入った。

 誰もいないそこは空気が澄んでいるように感じ、ふらりと入り込む。


 カラフルなタイルが敷き詰められていて、フェンスはないが境目は分かるようになっていた。

 遊具は一つだけ、よくある前後にバネで動くパンダの乗り物だか何だか未だによく分からないものが置いてある。


 小さい場所なのに、何だか気持ちが良かった。


 パンダに腰掛ける。

 みょんみょんと動かす度胸はなく、のんびりと缶を開けた。


 小気味の良い音がしてふわりと甘い匂いを吸い込む。


 そういえば、高校生の時は働きたいとばかり思ってたっけ。


 希望ばかりが満ちていたあの頃。嗚咽おえつが出そうになるいつもの思い出し方とは少しだけ違った。

 ちょうど良い温度になった缶を、手で包む。


 暖かさを腹に流し込み、息をつく。

 ほんの少し軽くなった足で、勢いよく立ち上がった。


 自然と空を見上げ、笑顔が溢れ出る。

 薄ぼんやりとした虹が空に溶けていた。

 

 案外悪くない、そんな1日だった。

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吉祥 とある日の夕方 碧海雨優(あおみふらう) @flowweak

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