三四郎は苦悩した!

 三四郎は苦悩した。

苦悩が無いことに苦悩した。


 彼は退屈であった。

暇で暇で死にそうであった。


 三四郎が幼かった頃

「さん・し・じゅうに!」

なる不思議な呪文を習ったことがある。


「さん・し・じゅうに!」

とはなんの謂であろうか?


 この呪文を教師が口にしたとき、生徒どもは一斉に三四郎の方を見た。

彼ら彼女らは微笑していた。

三四郎も少し遅れて曖昧な微笑を返した。


 おお、不可解なる交感!

彼らはこの呪文についてなにか知っていたのだろうか?


――そんな訳はない、と三四郎は考えた。

「さん・し・じゅうに」

の謎はあまりに深いから自分と同級の子供達にその真意がわかろう筈がないと考えた。


 そう判断してもなお胸中には疑惑が渦巻いていた。


「さん・し・じゅうに」

とは

「三四郎は十二歳で死ぬ」

という意味ではないか。


 それがその日の晩まで考えた結果出たとうである。

三四郎は自分の出した答がそう大きくは間違っていないような気がした。


 そうして満足したのもつかの間、今度は顔が真っ青になる。

「俺は十二歳で死ぬのだろうか」。


 時はもう夜になっていた。

なのに三四郎は不安で眠れない。


 死ぬとはどういう心地なのか思考するうちに日が昇った。

昇った日は沈んだ。

沈んだ日は昇った。


 斯くして三四郎は気づけば十二歳をゆうに越えていた。


 けれども彼は

「さん・し・じゅうに」

という不可解なる呪文の意味をまだ知らないのであった。


 三四郎は鼻をほじりながら横臥している。

彼は二十歳になる(註。夏目漱石の『三四郎』では主人公の年齢が二十三歳であったと記憶している。しかしのちに明らかになるあまりに現代的な設定と併せて考えた結果、このにおいては三四郎の年齢をあえて二十歳とした)。


「さん・し・じゅうに」

の謎は彼が大学生になってもなお解けそうにない。


 三四郎は働きたくなかった。

どうしても働きたくなかった。

どうしても――どうしても――。


 三四郎は小説を書くことにした。

ここが我らが主人公の偉いところだ。

彼はよりも何倍にも増して優れた創作能力を有していた。


 三四郎は欠伸あくびしながら自分が書いた原稿を眺める。


 その小説の梗概を述べれば以下のごとくである。

夏季休暇中に鎌倉のビーチに行った〈私〉なる書生が、そのビーチで〈先生〉なる無職の男と出会う。

〈私〉は〈先生〉の人柄に何やら不思議なる尊敬の情を覚え、〈先生〉に親しむようになる――。


 その後の話は言うまでもないからわざわざ書くまい。


 三四郎は自分が書いた原稿を眺めるだけ眺めてその辺に散らかしたまま放っておいた。


「あ~だりぃなぁ~~~」

と言ってみたところで面白いことが起こる訳でもない。


 三四郎は眠気にまぶたを擦りながら散歩に出かけることにした。


 彼にとって大学はあまりにも退屈だからこの頃絶えて行かない。

一応、「東京大学」に入ってしばらくの間は何やらうるさい先輩格だとか「偉大なる暗闇」がど~したと称賛される英語教師だとか、これでも三四郎の周囲には人間関係らしきものが存在した。

けれども彼にとってそんな他人の事はどうでもよかったのだ。


 熊本の実家にいる母からのLINEを無視し続けたらいよいよ彼女からの連絡が減ってきた。

三四郎は親を好まぬ人であるからいい気味だと思った。

正月に里帰りなんぞしない。


 母からのメッセージにたびたび出現する若い女の名前――彼女は三四郎の幼馴染である。

これもまた彼からすれば不愉快であった。

「だァ~れがクソ田舎の肌の浅黒い高卒と付き合うかァ~~い!

ちッたァ俺様との学歴の差ッて奴をわきまえろや! ヴォケッ!」

というのが三四郎の弁である。


 むろん彼は口に出してこうしたことを言わない。

手を動かしてLINEの返信を打つこともしない。

ただ懈怠のうちに

「うふゥ゛~」

とため息を漏らしたのみである。


 三四郎は高学歴の女が好きである。

のみならず一所懸命に努力をして大金を稼ぐキャリア・ウーマンであればなおさら好きである。

容姿の好みを言えば、高身長で顔が小さく鼻が高くてキリっとした顔立ちの女が良い。

あとはまァ、歳上で一人称が「お姉さん」で世話を焼いてくれれば言う事ナシだ。

――要するに、高望みなのである。


 三四郎は自分の理想の女性と結婚できない限り独身を貫いて平気でいられる人間である。

したがって彼は自らがのまま死ぬことをいつの間にか確信するようになった。


 うだつのあがらない我らが主人公がボンヤリした頭をかかえながら低徊する。

何も考えずに歩いていると東京大学に辿り着いてしまった。

イヤ~な気持ちになりながらなおも歩いた。


 本郷キャンパスには庭園がある。

三四郎は自然が嫌いだから火炎放射器で森を全部焼いてやりたい気持ちになりながら道を歩く。

カメムシが飛んでくる。三四郎のシャツに止まる。

三四郎は顔をプルプルさせながら知らんぷりして歩く。


「カメムシ! こいつは厄介だ!

なんてったってカメムシは殺そうとすれば臭い毒液を撒き散らすのだからねえ」

三四郎は消極的な手段で窮地を切り抜けようとした。

「無視!――虫だけに――無視に限る!」

東大生にしては安易な駄洒落だが、まあ許して頂きたい。


 カメムシをつけたまま帰るわけにもいかないから、三四郎は立ち止まって池を眺めることにした。

水面には三四郎のバカみたいな顔が映っている。

三四郎は

「なんだ。

あんまり上等じゃねえ面だなあ」

と批評した。

その後でこの顔が自らのものだと気がついて

「おお、大した美男子ぶりですよ!」

と訂正した。


 その時三四郎の足元が崩れて彼はそのまま池の中に落ちてしまった。

転落する時三四郎はに思える須臾の間に

「おお! わかったぞ!」

と叫んだ。

無論口を動かす暇はないから心のなかで叫んだのだ。


 彼はこの時

「さん・し・じゅうに」

の謎を解いたのである。

彼の畢生の謎の答がいかなるものであったか、筆者は記述し得ない。


 この三四郎が溺死した池のことは「」と呼ばれていて、東京大学本郷キャンパスの名物となっている。


――カメムシをつけた三四郎が、池の中へ真っ逆さま。

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