帰郷

帰郷

 夜明け頃、僕はゆっくりとヒレを動かした。海の重さが伝わってくる。見慣れない風景が終わり、懐かしい、平凡な景色が現れ始める。旅のおわりが近づいていることを感じる。

 朝日が昇り、暗い海に光が差し込んだ。暗くて冷たい海が、鮮やかな青に変わっていく。この瞬間、僕はいつも海が青かったことを思い出す。

 この数か月で、僕はいろいろなところに行った。たった二つの海に生まれて、生きてきた僕にとって、すべてが刺激的で感動的で異質な物だった。初めて見る魚。初めて見る海藻。初めて見る岩肌。そのすべてに目を輝かせた。

 しかし、ふと。思い出の故郷を思い出した。だから僕は帰ることにした。

 見覚えのある岩や海藻が見えた。僕が数か月前までずっと過ごしていた場所だった。

「ただいま」

 誰かに言うわけでもなく、それとはなしに呟く。周囲に仲間たちの影はない。数か月もの間、いなかったというのにこの場所は何も変わっていない。いや、海藻が少し伸びただろうか。

 辺りをゆっくりと散策する。暖かな海が全身を包む。まるで旅などなかったかのように体になじむ感触に、安心しつつも不安を覚える。僕は本当に旅に出たのだろうか。

「おい。帰ってきたのか。よく無事だったな。」

 一つの黒い影が近づいて、叫んだ。同じ群れの仲間の一人、エダだった。年も近く、僕が旅で出ると決めた時にひどく心配してくれた。

「久しぶり、エダ。どうにか無事だったよ。他の仲間たちはどこにいるの。」

「後ろにいるよ。君らしき影が見えたから先に来たんだ。」

「そっか。ありがと。」

「どうだい、久しぶりに見るこの海は。」

「懐かしいよ。安心する。」

「そりゃよかった。」

 彼は、くぐもった声で笑い声を立てた。

 彼が言ったように、後ろから懐かしい群れの仲間たちが見える。あたりに見知った顔が見えると、本当に帰ってきたのだということを感じる。ここは相変わらずいいところだと思う。

 エダが鼻先で僕をつついた。

「なあ、ちょっと上に出ないか。」

「……ああ、いいよ。」

 群れの仲間に挨拶をして、僕とエダは上へ進路をとった。水がだんだんと軽くなり、青い海の光が見える。

「旅はどうだ。いろいろあったかい。」

「……うん。いろいろあったよ。」

「楽しかったかい。」

「どうなんだろう。楽しかった時もあるし、つらい時もあった。寂しかった時もある。」

 地上に出た。太陽はいつのまにか真ん中に昇り、光が水上で乱反射していた。

「飛ぼうよ。」

 そういうとエダは、水上で大きなジャンプを繰り出した。エダの巨体が空を悠々と横切り、大きな水しぶきがわいた。

 エダに続いて僕もジャンプする。水面が遠くなり、太陽の熱をより近くに感じる。自分のあげた水しぶきの隙間から、はるか遠くの島が見える。水平線はどこまでも広がっていて、きりがなかった。頭から水面に入り、顔を上げるとエダの顔があった。

「楽しいな。」

「うん。楽しいよ、エダ。」

 僕はもう一度頭を出し、海の水平線を眺めた。

「旅が恋しいのか。」

「……うん。」

 僕は、旅に出た理由を思い出した。息を吸うために地上に出るたびに、はるか遠くに見える島の影と、終わりの見えない水平線のおわりを確かめたくなったんだ。ここは良いところだ。みんなのことも大好きだ。でも、なぜか再び旅に焦がれている自分がいる。

「止めないけどさ、気をつけろよ。海は危険なんだぞ。成人したオスだといえ、一人で行動するなんて。」

「うん。気を付けるよ、エダ。」

「それで、またかえって来いよ。当分、此の群れは離れ離れにはならないだろうし。」

「うん。ありがと。」

「とりあえず、まだ行かないだろ。少しゆっくりしていけよ。お前がいない間に増えた仲間を紹介してやろう。」

「お、仲間が増えたのか。久しぶりだな。」

「そうだよ。ほら、下に行こうぜ。」

 僕とエダは体を翻して、下に向かった。仲間たちの影が見える。こみあげてくる懐かしさを意識しながら、僕は次の旅について考えた。

 それでもまた、僕はここに戻ってくるだろう。

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帰郷 @rei_urara

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