3.自分の過去を振り返ります


 ――『聖女』たる者、何事にも惑わされず常に冷静でありなさい。感情が表に出るようでは一流の聖女とは言えません。無駄口を叩かず、与えられた務めを完璧に果たしてこそ聖女わたくしのむすめといえるのですよ。


 ハイ、承知シマシタ オ母様。


 ――将来お前は国母となるのだ。一抹の不安も持たれぬよう、王太子以外の男にお前の顔を晒すのは避けなさい。万が一懸想されてお前に何かあっては婚約が反故になるからな。同性の者も社交以外で親しくする必要はない。隙をみせて付け込まれたら敵わんからな。お前は王太子の婚約者わたしのむすめだ。それを努々ゆめゆめ忘れるな。


 ハイ、承知シマシタ オ父様。


 仮面を被った自分に、父母と呼ぶ黒い人たちが言い聞かせる。

 何度も、何度も、何度も、何度も……。


 泣いたり笑ったり怒ったら、お母様に鞭打たれた。

 鞭の痕はお母様自ら回復魔法をかけて、きれいさっぱりなかったことになる。

 でも、痛かったことや怖かったことはなかったことにはならない。

 だからもう怒られたくなくて、自分の感情を見ないフリした。

 そしたら、いつしかフリしなくても、心が動くことはなくなった。

 ただ言われるがまま聖女の仕事をし続けたら、いつしか最年少のとして、他の聖女を取りまとめるようになっていた。

 それはお母様が現役聖女のときですら叶わなかった、誉れある役職だった。


「あぁ、愛しのエリアーナ。貴女は自慢の娘です」


 そんな私を、お母様は聖母のように美しい笑顔で抱きしめるのだった。

 それにすら何も感じられない時点で、私はもう壊れていたのだと思う。


 どこに行くにも、何をするにも、家ですらベールを外すことはなくなったエリアーナを、父は「慎ましやかだ」と称えた。

 王太子に会うときだけ、ベールを外させた。

 王太子はなのだと、印象づけるためだと話す父は満足げだった。


「エリアーナよ。お前が私の娘で誇らしいぞ」


 聖女の務めのあと、寝る間を惜しんで王太子妃教育を受けるエリアーナのもとに訪れては、父はそう声をかけた。

 何もかも自分の思い通りに事が運んで嬉しかったのだろう。

 父の目に映っていたのはエリアーナではなく理想の娘あやつりにんぎょうだった。


「エリアーナ、君の活躍はよく聞いている。こんな素晴らしい人が僕の婚約者だなんて、とても喜ばしいよ」

 

 そう笑いかける王太子殿下はとても輝いて見えた。

 ベール越しでない世界は色鮮やかで、月に一度お会いする王太子殿下の美しさは眩しいほどだった。

 私の知らない世界をたくさん話してくれた。

 聖女として必要な知識と、王太子妃教育以外の知識はまるでなかったので、聞くことすべてが新鮮だった。

 何を聞いても笑わない私に、厭な顔せず話をしてくれた。

 相槌を打つくらいしかできなかったが、それでも王太子は常に笑いかけてくれていた。


(彼は、父や母と違って何も求めてこない。この人なら真の私を見てくれるかもしれない)

 

 そんな期待がいつしか真実に思えて、私の中で王太子殿下は特別な存在になっていった。

 10年間、王太子の婚約者として王城に通った。

 その日だけは、目立たぬ装いではなく年相応のドレスを身にまとい、化粧を施された。

 その姿を見て、城の人々が「美しい」「女神のようだ」と口々に言っていた。

 その様子をどこか他人事のように感じ、特に反応することもなかった。

 

 今年の春の三月みつき、私は社交界への披露目デビュタントを迎える。

 16歳という節目に差し掛かった。

 さすがに社交界でベールをするわけにもいかないので、ベールとも今年でお別れだ。

 そんな年に、一人の聖女が神殿に招かれた。

 光魔法の優れた才能を持つ、市井育ちの美しい金糸の髪の少女だった。

 光の聖女は穏やかで誰にでも笑顔を絶やさず、常に人々に囲まれていた。

 神殿へ所用で訪れた王太子殿下も彼女と出会って以降、頻繁に通うようになっていた。


(私のもとへは一度もお越しにならなかったのに……)


 初めて、他人を不快だと思った。

 初めて、憎しみを持った。

 初めて、いなくなればいいのにと本気で願ってしまった。


 そんな願いがいつしか態度に出ていたのだろう。

 筆頭聖女である私は、ほかの聖女への務めの割り振りも任されていたので、わざと魔力を多く必要としたり危険だったりする役割を光の聖女に任せた。

 それすら笑顔で難なくこなす彼女が何だか怖く感じ、いつしか彼女を避けるようになった。


「女神の如き清らかな聖女エリアーナよ。あなたの心を乱す存在は我々が排除いたします」


 そんなことを言う人々がいた。

 彼らは私を水の女神の生まれ変わりと信じ崇拝する、一部の神官たちだった。

 私は女神の生まれ変わりではないし、相手にする必要もないと放っておいた者たちだ。

 

 「エリアーナ!何てことをしたんだ!」


 王太子殿下が神殿にいる私のもとへ来るなり、大声をあげた。

 今まで聞いたこともないような怒気をはらんだ声だった。


「君を崇拝する狂信者たちが、光の聖女の誘拐を企てた。未遂で終わったが、彼らはエリアーナのためにやったと口々に言っている!」


 訳が分からず、唖然と立ち尽くす。

 王太子殿下の後ろには、涙を浮かべた光の聖女がいた。


「君がそんな恐ろしい女だとは知らなかった。

 このことはすでに神殿長や王に報告済みだ。

 エリアーナ、君は神聖なる聖女に相応しくない。

 聖女の身分を剥奪すると、神殿長が申していたぞ!

 もちろん、婚約も破棄させてもらう。

 これは王の決定だ!

 ベルレアン侯爵には先ほど使いを出した。

 君は今すぐここを去れ。

 そして二度と、我々の前に姿を見せないでくれ!」


 そう言うと、王太子殿下は光の聖女の肩を抱き、去っていった。

 動けなかった。

 何も言えなかった。

 ただ、その姿をいつまでも見つめることしかできなかった。


(私は、そんなこと命じていません。殿下、あなたも私を見てくれてはいなかったのですね……)


 涙が流れたが、ベール越しのそれに気づく人はいなかった。

 気付けば、ベルレアン侯爵家の前で馬車から降ろされていた。

 そして、家の中に入った途端、何かを投げつけられたのだった。


 

――――――――――――――――――――


 

 何て悲しくて空しい16年間だったのだろう。

 夢の中で今までの自分エリアーナ・ベルレアンの身に起きたことを追体験したことで改めてそう思った。

 

 前世では、ただただ楽しく気ままに過ごしていた。

 学校では友達や部活の仲間と笑い合いつつも、それなりに努力してそれなりの成績だった。

 家に帰れば、寡黙だけど優しい父と、口うるさくて働き者な母がいる。

 そんな人生一六年だった。

 でもエリアーナはそんな普通の幸せが存在することすら、知らなかった。

 頼れる人も生きていく知識もないのに、全ての人から見捨てられ、放逐されたのだ。

 

「この世界は、私のことが大嫌いみたい」


 朝日が差す宿の客室で目覚めて早々、愚痴がこぼれた。

 

 エリアーナはもう誰にも求められていない。

 生きるのも、死ぬのも自由。

 だからこそ……。


「ヨシッ!」


 バシッと両手で頬を叩き、気合をいれた。

 自分を見捨てた世界の思い通りになんて、絶対なってやるものか。

 

「為せば成る!成ると思えば何とかなる!絶対、幸せになるぞ!」

 

 窓を開け、太陽に向かって宣言する。

 ぐしゃぐしゃの髪に、皺くちゃの服で見た目はボロボロだったが、エリアーナの顔は晴れやかだった。





 


 

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