2.寝所を確保しました


 侯爵家から少し歩いた先に、何台か同じような地味な馬車が連なっていた。

 先頭には馬車の絵の看板が立っている。


 (これは、辻馬車の乗り場?)


 エリアーナは辻馬車という存在は知っていたが、それにどうやって乗るかは知らなかった。

 前世でもタクシーは使ったことがなかったが、駅前のタクシー乗り場の看板を思い出し、同じではないかと思えた。


 (このまま目的もなく歩くよりは、街の専門家に頼りたいけど、どうやって乗るのかな……)

 

 エリアーナの少し前にいた、使用人と思しき中年の女性が辻馬車の馭者に声をかけ、馬車に乗り込んでいった。

 それに倣って、エリアーナも次の辻馬車に声をかける。


「貴族街寄りの庶民街にある宿屋へお願いします。街に詳しくないので、女性一人でも入りやすい宿だと助かります」


 支えてくれる人はいないので、扉の横の手すりにつかまって何とか中に入れた。

 客が座ったのを確認し、馬車はゆっくり動き始めた。

 残念ながらエリアーナにこの世界の一般常識は殆どない。

 もちろん、前世の記憶もこの世界では役に立たない。

 でも治安は貴族街から離れるほど悪くなるというのはわかるので、そうお願いした。

 この馭者が悪人でないことを祈るばかりだ。

 着いた場所がとんでもない場所だったら、魔法で逃げよう。

 

 エリアーナは水の神の加護を受け生まれたため、高い魔力と水魔法の才能を持っている。

 母の家がそういう家系だったので、エリアーナもその才を引き継いだのだった。

『水の聖女』として人々を癒やし、魔物避けの霧を出したり、ときには討伐に行ったりとほぼ毎日魔法を使いこなしてきた。

 そのため、水魔法の腕は確かだった。


 (異世界転生ってやつだと思うけど、ハードモード過ぎでしょ……)


 前世で異世界転生ものの小説は時々読んでいたし、結構好きだった。

 異世界転生に気づいて、バッドエンドを回避するため頑張る悪役令嬢。

 最後は愛する人と結ばれてハッピーエンド。

 そんなお話が好きだった。

 好きだったけども、何もかもに転生したことを気づいた場合どうしたらいいのか、エリアーナにはわからなかった。


「お客さん、着きましたよ。金貨1枚頂戴します」


 頭を抱えているうちに、宿についたようだった。

 手持ちの荷物や所持金を確認するべきだったけど、現状を嘆いるだけで何もできなかった。

 

 旅行鞄から金貨袋を取り出し、支払った。

 袋はそんなに重くなく、不安が襲う。

 

 (宿で部屋をとったら手持ちの荷物とか残金とか色々確認しよう)


 馬車から降り、外套を頭からすっぽり被る。

 目立つ長く青い髪と、聖女の装いを隠すためだ。

 着替える間なんてなかった。

 朝、神殿を追い出され。

 昼、家を追い出され。

 夕、ここに降り立った。

 

「……がんばれ、私」


 そう小さくつぶやき、青い鳥が描かれた看板の宿へ歩を進めた。

 建物自体は古そうだが、かわいらしい花が飾ってあり、入りにくさは感じない。

 扉を開けると、受付とその隣にある食堂が見えた。

 まだ夕飯を食べるには早い時間だからか、食堂にいる客はまばらだ。

 

「いらっしゃいませ。オオルリ亭へようこそ」


 受付に進むと、ハキハキした女性が迎えてくれた。

 緊張しながら話しかける。


「一人で泊まれる部屋をお願いします。泊まる日数は……まだ決めてません」


 そうとしか言いようがない。

 手持ちの金で何日泊まれるかもわからないし、場合によっては明日にでもここを出る必要があるかもしれない。

 

 (…………でも、とにかく考える時間がほしい)

 

 そのためにも、落ち着いて考えられる場所が必要だ。

 この宿が高価過ぎたら後日違うところを探そう。


「かしこまりました。お一人用の部屋でしたら、銀貨9枚です。お泊りの日数がお決まりでないなら、3日分の宿代を事前にお預かりし、泊まらずお帰りになるようでしたら、その分を返金します」


 金貨袋から銀貨を27枚取り出し、受付に渡そうとした。

 枚数が多いだけに取り出すのに手間取る。

 

「あの……お客様、全て銀貨で頂かなくても金貨を2枚と銀貨7枚で結構ですよ」


 あたふたするエリアーナに助け舟を出してくれたことに心の中で感謝し、袋の中から金貨を探す。

 侯爵令嬢であり聖女だったエリアーナは、実際の通貨を見たことがなかった。

 金貨以外の通貨があることもついさっき(辻馬車に乗る)まで知らなかったくらいだ。

 受付のお姉さんの助言はとてもありがたかった。


 (銀貨10枚で金貨1枚になるってことだよね)


 受付の台の上に、金貨2枚と銀貨7枚をおいた。

 それを声に出し丁寧に数えるお姉さん。

 

「3日分の宿泊料たしかにお預かりしました。お食事が必要でしたら、受付横にある食堂をご利用ください。お部屋の鍵は魔力認証となりますので、こちらの認証ばんに魔力登録をお願いします」


 受付台においてある、前世でいうタブレットみたいな板に手をかざす。

 手から淡い光が出て、それが板に吸い込まれていった。


「登録完了いたしました。お部屋は3階、302号室です。何かございましたらすぐ受付までお声掛けください」


 お姉さんの癒し系スマイルに見送られ、受付を後にした。

 女一人の客は目立つのか、先程からいくつも視線を感じる。


 (……声をかけられる前に早く行こう)


 足早に部屋へ向かった。

 重い。心が重い。

 だからか、階段を登る足まで重い。

 そんな足取りで部屋に入る。


「……疲れた」


 寝台が目に入り、迷わず飛び込んでいた。

 エリアーナがいつも使っている物より硬かったし、手触りも少しゴアゴアする気がするが、清潔な香りに包まれて、今日初めて気を抜けた。

 

 部屋の中を確認する気力がわかない。

 外套を取るのすら億劫で、外から来たそのままの状態で布団に入り込み丸くなった。


 (だめだ、瞼が重い)

 

 あまりの現状を脳が受け入れ拒否し、現実逃避とはわかっているものの、それに抗えない。

 エリアーナは眠気に身を任せた。


 (これは夢で、明日になればお母さんがいつもみたいに起こしてくれないかな……)


 夕暮れが照らす小さな客室で、エリアーナただ一人の寝息が静かに聞こえる。

 眠りにつくときこぼれ落ちた雫を、拭ってくれる人はだれもいなかった。






 ◎補足 通貨一覧◎

 

金貨(銀貨10枚と同価)日本円でいう一万円札。

銀貨(白銅貨10枚と同価)日本円でいう千円札。

白銅貨(銅貨10枚と同価)銀貨より小さいサイズ。日本円でいう100円玉。

銅貨 白銅貨と同じサイズ。日本円でいう10円玉。


1円玉相当はないです。


 

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