ベアトリスも耐えられないが、マクシミリアンも堪えられない。

 城に戻ると、そこにマクシミリアンがいた。まだ仕事中で戻っていないと思っていたベアトリスは驚いて立ちすくむ。


「ああ、おかえり。今日はご学友のお家に遊びに行っていたんだったな。楽しかったかい?」


 手に本を持っているマクシミリアンも帰ってきたばかりのようだ。妻を見つけた彼は柔らかく微笑む。


「は、はい。もうお帰りだったのですね」

「ああ。ちょっとね、今日は早かったんだ」


 まだ先ほど作ったばかりのものを手料理と言っていいものか悩んでいたベアトリスは挙動不審になる。一瞬籠を隠そうとし、それでは余計に目を引いてしまうと堂々としていようとして――結局マクシミリアンに興味を持たれてしまった。


「おや。それはなにを持っているんだい?」


 ベアトリスの抱えている籠を、マクシミリアンは覗こうとしてくる。そんなに真剣な様子でもなかったのだが、反射的に隠そうとすれば「ビー?」と彼は訝しむような声を出した。


「私には見せられないものなのかな?」

「え、えっと、いえ、その……」


 なにか後ろめたいことがあるわけではない。でも、まだ心の準備が出来ていないのだ。いっそ、顔を合わせた瞬間にマクシミリアンに押し付けて部屋に戻ってしまえば良かった、と後悔しても遅い。

 困ったベアトリスは、クララに助けを求める。ベアトリスの表情に気付いたクララは「お出掛けしてきたので、まずは着替えましょうね、奥様」とすぐに彼女の部屋まで引っ張っていってくれた。主人に「ご自分のお部屋で待っていてください」と命じたメイドは、女主人を手早く着替えさせると再び籠を持たせる。


「はい。では旦那様のところに行きましょうねぇ」

「今?! 私、まだマクス様にお渡しする勇気が……」

「もう、なに言ってるんですか奥様~。パンが乾いてしまったら美味しくなくなっちゃうじゃないですか。ちょっと渡して『召し上がってください』って言うだけですよぉ?」

「そのちょっとが難しいのよ」

「大丈夫。大丈夫ですって。美味しいうちに食べていただきましょう。美味しかったですよ、その奥様の手料理」


 そう言われると、確かにその通りなのだ。パンが乾いてしまったら、美味しくなくなってしまう。ただでさえ料理といえるか怪しげなものだというのに、味が落ちてしまったらマクシミリアンに食べてもらうのが今以上に申し訳なくなる。

 作ってしまったのだから、覚悟を決めるしかない。ミレーナもマクシミリアンは絶対に喜んでくれると言っていた。ベアトリスのすることに対して、全面的に肯定してくれるマクシミリアンのことだ。例え口に合わずとも、喜んで食べてくれるだろう。この程度を料理というのか? と馬鹿にもしないのはわかっている。

 なるようになれ、と半分開き直ったベアトリスは、マクシミリアンの部屋の戸を叩いた。中からの声に応じて戸を開ける。クララから、がんばってくださいと背中を押されて、少しつんのめるようにしながら部屋に入った。


 部屋に転がり込んでくる妻を見たマクシミリアンは、一瞬で彼女の元に移動してその身体を受け止める。


「おや、どうしたんだい。そんなに慌てて」


 肩を抱かれ、大丈夫かと尋ねられたベアトリスは真っ赤になった。


「だ、だいじょうぶです」


 乱れた髪を耳に掛け直しながら、ベアトリスはマクシミリアンから視線を逸らす。


「本当に大丈夫か? 顔が赤いぞ。この程度、今更恥ずかしがることではないだろうに」


 あなたは本当に愛らしいな、と耳元に囁かれると、余計に顔が熱くなる。マクシミリアンは、妻がその手に先ほどの籠を持って来ているのを見つけて数度瞬く。

 しかし、ベアトリスに話し出す様子はないので、そのまま立っていても仕方ないと思ったのだろう。ソファーのところへ誘うと、並んで座るように促された。


 * * *


「私に言いたいことがあるのかな?」

「はい、あの」

「うん」


 ベアトリスの言葉を待っていたマクシミリアンだったが、しばらくして無言で差し出された籠を受け取るとそこに掛けられていたハンカチを取った。中には、綺麗に並べられた細長いキャンディの包みのようななにかが入っている。

 少し不格好な包み方と、リボン結びは歪んでいるそれがなんだかはよくわからない。


「ビー。これは?」

「食べ物、です」

「食べ物……お土産かな?」

「ロールサンドウィッチというそうです」

「サンドウィッチ? ああ、食事か」

「いえ、どちらかといえば、お菓子……?」

「お菓子?」


 どうにもベアトリスははっきりとしない。どこで求めたものかと聞いても、答えは鈍い。こうやって持ってきたのだから食べても良いのかと聞けば、彼女は小さく頷く。

 あまりにつたない見た目。どう見ても店で売っているような雰囲気ではない。しかし、ベアトリスが持ってきたのだから毒が入ったりはしていないだろう。

 例え入っていたところで、マクシミリアンにはさして影響はないだろうし、ベアトリスが意識的になにかしてくるのなら、それはそれで一向に構わない。彼女の意思を全面的に肯定するだけだ。


 不格好な包みのリボンを解くと、なにか赤いものが塗られて巻かれている薄切りのパンが出てきた。香りからして、果実のジャムのようだ。食べてみると、想像通りの味だ。なんの変哲もない、形だけが少々変わっているだけの、ジャムサンドだ。


「うん、これはキーブスの作ったジャムかな」

「はい」


 ベアトリスの説明は少ない。一本食べきると、彼女はおどおどした様子で尋ねてきた。


「どう、ですか?」

「どう……とは? いや、問題なく美味しいが」


 キーブスの作ったジャムが不味いはずもない。パンはここで作られたものはないようだが、悪い味ではない。

 

「良かったです」


 ホッとしたように少し下を向いて微笑んだ彼女はあまりにも愛らしく、思わずその顔に触れる。驚いたように顔を上げるから、ついその顔に引き寄せられる。

 唇が触れ合えば、ベアトリスの金色の瞳が丸くなる。


「どうしてそんなに不安そうな顔をしていたのか、教えてもらってもいいか?」

「実は……そのサンドウィッチ、私が作ったものなんです」

「……は?」


 微笑んでいたマクシミリアンの顔が強張る。


「作ったというにはあまりに簡単で、ただパンにジャムを塗って巻いただけなので、これを料理と言っていいものかどうかは、とても悩ましいのですが」

「ビーの、手作り?」

「はい」

「………………」


 籠の中には、まだあと数本のロールサンドが残っている。もう一種類、アナベルの家で用意されていたチョコレートのものも美味しいと思います、とベアトリスに勧められるが、マクシミリアンの手は動かない。


「あの……やっぱり、美味しくなかったですか? それとも、これを料理というだなんてやっぱりおこがまし――」

「ではない」


 そういうことではない、と言うマクシミリアンの手が震えている。


「ビーの、妻の……手料理……」


 普段は比較的ゆったりとした雰囲気で開かれているマクシミリアンの目は、今は限界まで見開かれている。どうかなさいましたか、というベアトリスの質問には、葛藤しているような唸り声が返ってきた。


「美味しい、あなたの手作りだと聞いたら、余計に美味しく感じる。が」

「が?」

「食べたら、なくなってしまうではないか」


 マクシミリアンは、どこまでも真面目な顔で言う。不安そうだったベアトリスは、呆気にとられたように小さく口を開けた。


「そんな貴重なもの、簡単に食べられるものか」

「そんな大したものではないですよ?」

「大したものだ! どこの宮廷料理よりも貴重じゃないか」


 冗談を言っているわけではなさそうなマクシミリアンに、ベアトリスは困惑を浮かべる。しかし、この部屋に助けを求められる相手はいない。


「ああ、そうだ。時を止める魔法を掛けてしまえば――」

「マクス様! 本当に大したものではないので、全部召し上がってくださいませ」


 時を止めるという言葉は本気だったのだろう。すぅっと持ち上げられたマクシミリアンの手を、ベアトリスは両手で掴んで止める。


「嫌だ。……少なくとも、今は」

「だったら、味が味が落ちる前に残りはアミカやコレウスに食べてもらいます。返してください」

「それも嫌だ」

「マクス様」

「……食べる。必ず食べるから、今は目でも楽しませてくれ」


 マクシミリアンの『今』はベアトリスの感覚よりもよほど長い。このまま渡したら、本当に永遠に保存されてしまう。それを経験から察していたベアトリスは、マクシミリアンの手から籠を取り上げようとした。

 しかし、当然のごとく彼からは抵抗される。揉み合っているうちに、ソファーに押し倒すような形になってしまった。ベアトリスに見下ろされたマクシミリアンは「しかし、もったいなくて食べられない」と眉を下げた。籠を取り上げて頭の上に掲げたベアトリスの腰に手を伸ばしてくると、抱き寄せるようにしながら上半身を起こす。


「また、作ります」

「……ん?」


 なにやらぶつぶつ言いながらベアトリスに抱き着いていたマクシミリアンは顔を上げる。

 少し困ったような表情を浮かべたベアトリスは「練習して、ちゃんと手作りだと胸を張って言えるようなものを作れるようになりますので。それまで少し待っていてください」マクス様の好きなものを教えてください、と言われたマクシミリアンは


 ――あなたに決まっているだろうが。


 という頭の沸いた答えを辛うじて飲み込んだ。


 後日、ベアトリスが菓子や料理を作る練習をはじめたという話を聞いたマクシミリアンだったが「ちゃんと作れるようになるまでは食べさせられない」と完璧主義の妻が練習中のものを食べさせてくれることはなく。

 あくまでも練習で作られたそれらは連日使用人たちの口におやつとして入っていることを知って、誰から見ても明らかに萎れてしまうことになるのだった。

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