空の話

Colet

空の話

「ねえ、知ってる?」異国からの客人に、少女はそう問いかけ空を指差す。

「雲の上にはね、空がいるんだよ!」


「その通り、雲の上には空があって、空の上には宇宙があるんだ。」少女の利口さに感心しながら、客人はそう応えた。


「ううん、そっちの空じゃないよ!」少女は首を振りながら言葉を続ける。


 の空…客人が不思議に思い、ふと視線を空に戻した瞬間だった。


 突然の強風に、押さえつけられる身体。

 あたりの木々が激しく揺さぶられ、葉擦れの音が嵐のように響き渡る。


 その直後、音の中に咆哮を聴いた客人は、細めた目を開く。

 瞬間だった。

 遠くのなにかが、視界を覆い尽くしていた。


 生ける神秘。

 蒼穹そらを泳ぐ巨躯からだ

 太陽の光を受け、青く輝く鱗。


 まるで大地を引き裂くような翼。

 巻き上げられた風を前に、言葉は出ないまま。


「龍だ」

 客人は思わず息を呑み、震える声でそう呟く。


 古から語り継がれてきた、伝説の生き物。


 その長寿を誇り、何百年ものあいだ空とともに人を見守る神の使い。

 いつしか、その龍も空と呼ばれるようになった。


 「空」とは、この雄大な存在のことだったのだ。


「空はね、私たちのことをずーっと守ってくれるんだよ!」と少女が言った。


 だが、人々は龍の存在を忘れつつあった。

 文明の発達とともに、煙突の煙が空を覆い尽くし、やがて人々は空を見上げることすらなくなっていたのだ。


 龍の咆哮は、繋がりを失った人々にとって、鬱陶しいノイズでしかなくなった。


「空は、私たちに何かを伝えようとしているの」と少女は言う。「でも、誰も耳を傾けようとしない。だから、空は悲しんでいるの」


 やがて人々は、龍を追い払おうと武器を手に取った。

 龍の咆哮は、さらに激しさを増していく。

 まるで、切迫した警告のように。


 人間に傷つけられても、龍は諦めなかった。

 空を見上げなくなった人々に、何度も何度も語りかける。

 その鱗を矢で射抜かれ、翼を焼かれても、龍は空から姿を消さない。人と空を、必死に繋ぎとめようとしているかのように。


 ある日、いつものように武器を手に空を見上げた人々は、愕然とした。

 龍ではなく、巨大な隕石が空を覆っていたのだ。


 龍は、この日が来ることを予見していた。

 その予見を人々に警告し、避難するよう促していたのだ。


 隕石が地上に迫る。

 皆が逃げ出した静かな街。

 その中に、逃げ遅れた人々がいた。


 その時、轟音とともに龍が現れた。

 強靭な翼を広げ、風を切り裂きながら、その巨躯を隕石に向ける。

 龍は、彼らを守るため、自らの身を隕石に向けて飛び立った。


 どうなるかは、わかっていた。

 巨躯が隕石に衝突し、爆発が起こる。

 龍の鱗が、隕石の破片とともに散らばった。


「空が…空が…!」

 少女が泣き叫ぶ。高く離れた空に、その声は届かない。


 その時、客人が現れた。

 少女の肩に手を置き、優しく微笑む。

「僕に任せてくれ」

 そう言うと、客人は空に向かって手を伸ばした。


 すると、重力から解放されたかのように、その身体が宙に浮かび上がった。

 

 客人は、空に向かって飛んでいく。

 高度が上がるにつれ、空気が薄くなっていく。


 息が白くなり、肌は凍えるような冷たさに包まれる。

 だが、客人は前へ進み続ける。

 空の元へ。命の恩人の元へ。


 傷ついた龍に近づくと、客人は手を伸ばした。

「今度は僕が助ける番だ」そう呟くと、客人の手から光が放たれる。

 その光は龍の傷を癒し、力を取り戻させていく。

 龍が目を開ける。

 客人を認めると、龍は再会に微笑む。



 やっと隕石を追い払うと、客人と龍は、大地に舞い降りた。

 そこには、少女と、街の人々が待っていた。


 龍を見た人々は、最初は恐れの目で見ていた。


 しかし、客人が疲弊した龍に寄り添う姿を見て、彼らは気づき始めた。

 龍は、彼らを守るために戦ってくれたのだと。


 一人、また一人と、人々は龍に近づいていく。

 そして、その雄大な姿に、畏敬の念を抱くようになっていった。


 それからというもの、人々は敬意を込め、龍を「空」と呼ぶようになった。


 見上げれば、いつでも空がそこにいる。

 人々を見守り、導いてくれる存在として。

 その長寿を誇り、何百年ものあいだ空とともに人を見守る神の使いとして。




 それから数多の年月が過ぎていった。

 いつしか、龍は人々の前に姿を現さなくなった。


 龍の伝説は、親から子へ、子から孫へと伝えられた。


 雲の上の、もう一つの空の話。

 そこには、人を見守る龍がいるのだと。

 子供たちは、ときおり空を見上げては、龍を探してみるが、鱗のひとつも見つからない。


 だが、その存在は、人々の心の中で生き続けている。

 そして、いつの日か。

 この物語を聞いた子供たちの中から、

 また新しい「空の子」が生まれるのだろう。


 雲の上の、もう一つの空を探すように。

 そこにいる、大切な友を思うように。


 そんな大昔の、空の話。

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空の話 Colet @kakukaku025

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