第4話 じゃあ、お風呂に一緒に入るしかないね。

 夏の夜風に濡れたワイシャツが揺れ、塩素の匂いがほんのりと漂う道路を俺は自転車を押しながら歩き、先輩はその後の荷台に腰をかけ足を揺らしている。

 まだ乾いていない濡れたスカートから伸びる白い脚が時折俺の視界に入り、その度俺は目を泳がせる。


「先輩降りてくださいよ、流石に重いです」

「辛辣だな〜乙女にそんなこと普通は言っちゃダメなんだよ?」


 目を細めて笑いながらそう言う先輩は荷台から腰を上げ俺の肩を掴むとそのまま地面へと飛び降りる。

 そして俺と向かい合うように立つと両手を後ろに組みニヤニヤとした笑みを浮かべ俺を見上げる。

 小悪魔のような悪戯っぽい表情に、少し濡れた赤髪や透き通るような白い肌が月の光に照らされると妖艶な雰囲気を醸し出し、俺は思わず目を逸らしてしまう。


「ブレザーわざわざごめんね。寒かったら遠慮せずに言って、すぐに返すから」

「いや別にいいっす、というより着ててください。さすがに女の子がワイシャツ濡れたまま外歩いちゃダメですし」


 スカートからブラウスまで水を吸い込んでしまい、下着の線が微かに浮き出ていたのを見た俺は、咄嗟に学校に出る前に俺の着ていたブレザーを彼女に着させたのだった。

 夜名先輩は俺より身長がかなり高いからそんな変じゃないだろうと思っていたが思っていたよりもぶかぶかで、袖からちょこんと覗く細い指先がなんとも可愛らしかった。


「そっかぁ、女の子かぁ……ふふっ。朝日はちゃんと私のことを女の子って思ってくれてるんだね」


 袖を口元に当てて頬を赤らめながらクスクスと笑う先輩を見て、俺はさっき自分が口にしたことを思い返す。

 完全に無意識で……やばい、でも女の子だろ先輩は。

 こんなに綺麗で、いい香りがして声が可愛くて、あと胸が大きいのに逆に女の子じゃなければなんて言えばいいんだよっ!!

 俺は自分の言った言葉に酷く後悔しながらも平常心を装いながら先輩の隣を歩く。


「いや先輩は女の子でしょ……普通に。別に変なことは」

「うんうん、そうだね。私は女の子だから普通だね」


 何を言っても先輩は嬉しそうに笑いながら俺の顔を覗き込むので俺は諦めてため息をついた。

 完全にしくった……けどまあ先輩の楽しそうな笑顔が見れたらいいか。

 濡れた長いまつ毛や高い鼻筋は月明かりを反射させキラキラと光り、月光に照らされた長い乾いた艶やかな赤髪は、僅かに吹く風でサラサラと流れるように揺れる。


「はい止まって。ここが私のマンション」


 自転車の荷台を先輩は掴んで止めて、指差した方向には周りの建物とは一回りも二回りも大きい白いマンションがあった。


「ええっ……ここですか」

「うんここです」


 前から先輩は少し金持ちっぽいそぶりを見せていたが、まさかここまでとは。


「駐輪所はこっちだから、自転車を停めてきていいよ。私はエントランスで先に鍵開けてくるから」

「あっ、はい」


 俺は言われた通りに駐輪所に自転車を停め鍵を抜き、小走りでエントランスに向かう。

 先輩は慣れた様子で鞄から鍵を取り出しオートロックを解除すると、エントランスの自動ドアが開き先輩は俺の裾を引っ張る。


「うわぁ……すっげぇ」


 大理石でできた美しい床とともに、その奥にはガラス張りの壁が広がっていて、そこから見えるエレベーターや廊下は高級感で溢れていた。


「そうかな普通だと思うけど?」

「いや先輩の普通は、俺の普通じゃないですって」


 初めて来る場所にどこを歩けばいいかわからず、俺はキョロキョロしながら先輩の一歩後ろを歩く。

 落ち着いた雰囲気を醸し出しているフロアには俺と先輩の足音だけが響いておりなんだか妙に緊張してしまう。


 エレベーターの前まで来ると、先輩は上矢印が書かれたボタンを押す。するとすぐにそのボタンは光り、ゆっくりとドアが開いて中に乗り込むと8階のボタンを押した。

 そしてエレベーターのドアが閉まり密室になると俺は思わず生唾を飲み込む。

 今この狭い空間には俺と先輩しかいない……いや別にやましいことを考えてるわけじゃないけど、やっぱりなんか意識するだろ。

 そんな俺の気も知らずに、彼女は俺を横目で見ながら言う。


「朝日の家はマンション?一軒家?」

「一軒家です。でもなんていうかこじんまりとした」

「いいじゃん。私ずっと一軒家に住むのが夢だったんだよね」


 プールの塩素でシクシクとなった髪を耳にかけながら先輩はそう呟いた。



「じゃあ俺の家にいつか住みます?なん…ちゃって……」



 緊張でおかしくなっていた俺はそう言ってしまい、慌てて口を両手で塞ぐが時すでに遅し。

 俺の顔を見上げるように首を傾げる先輩と目が合うと、俺はさらに自分の顔が熱くなるのを感じた。

 なにやってんだ俺は!?これじゃあただの頭おかしいやつ……いやセクハラオヤジだろ。馬鹿か?馬鹿なのか俺は!?


 ポンッと音ともにドアが開くと先輩は何も言わずにエレベーターから降り、俺もそれに続くように慌てて降りた。

 これは無視されたと捉えるのか?それはそれで傷つく。

 廊下の一番端の扉の前に先輩が立つと、ポケットから鍵を取り出し、それをドアに差し込むとカチャリという音と共にロックが外れる。

 先輩はドアノブを捻りながら俺の方へ振り返ると少し意地悪な笑顔を浮かべる。


「朝日は今から女の子の部屋に入るんだよ?ねぇ、朝日。どんな気分?」


 ずっと考えないでいようと思っていたことを言われた瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。

 やっぱり先輩は、俺に優位に立てるときの意地悪な笑顔が一番生き生きとしている。

 動揺した俺を見て、クスクスと笑いながら先輩はドアを押し開き、俺を部屋の中へ招き入れる。

 俺は唇を強く結び、短く鼻で息を吸うと羞恥心を振り払って家に入る。


「おじゃましますっ」

「はい、おじゃましてください」


 足を踏み入れた瞬間、玄関に漂う甘いフローラルの香りが鼻腔を通り抜け俺の脳を刺激する。おしゃれな家の象徴である、玄関に敷かれた真っ白マットも先輩が履いているスリッパさえも俺には眩くて、こんな綺麗な場所に俺のような普通の男が足を踏み入れることに嫌悪感を抱く。


「入ってこないの?」


 彼女に急かされ俺は焦ってスニーカーを脱ぐと、フローリングの床が俺の靴下越しにひんやりとした感触を伝えてくる。

 先輩に背中を押されるようにリビングに入ると、そこは俺の部屋より遥かに広く生活感のないモデルルームのような空間だった。

 大きなテレビにおしゃれなガラステーブル、そしてそれを囲むように並べられたふかふかな白いソファ。

 テーブルの上には大きめのガラスの灰皿があり、棚には高そうな酒が数本並んでいて、その横にはワイングラスも置かれているのが見える。

 俺は思わずキョロキョロと周りを見渡してしまう。


「今日は親も妹もおばあちゃん家に帰っていて、いないから。好きにしていいよ」


 誰もいないと聞くとさらに緊張感が増してしまい、俺は思わず唾を飲む。

 先輩は俺の横を通り過ぎキッチンへと向かい冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すと俺にそれを差し出した。


「今からお風呂沸かしてくるから、先にそれ飲んどいて。ついでに部屋着に着替えてくる」


 俺は先輩からお茶を受け取り見つめると、リビングの扉を通る彼女の後ろ姿を思わず見つめてしまう。

 扉を閉じる瞬間に見えた白いニーハイソックスに包まれた長く綺麗な脚に、俺の視線は釘ずけになっていたがすぐに我に帰りソファーに座ると先輩が用意してくれたお茶を一口飲む。


 冷たいお茶が喉を潤す感覚を感じながらペットボトルのキャップを閉めると、脱衣所の方から水の流れる音が聞こえてきて体が強ばるのを感じた。

 何を緊張してるんだ俺は……別にお風呂に入るだけだろ?いや、でもどっちが先に入るんだ?

 まあここは必然的に先輩が先に入ると思うが。


「そういえば母さんに連絡しとかないと。あの人うるさいからな……」


 リュックのファスナーを開きスマホを取り出した瞬間、優しいメロディと共にスマホが強く振動し俺は慌てて電源をつける。

 すると画面びっしりに母さんからの着信が表示され、俺は思わず「ひっ」と声を漏らし嫌々ながらも画面に指を滑らせて通話ボタンに触れる。


「あっ、母さ」

『朝日!!あんた今何時だと思ってんの!?こんな時間まで帰ってこないし電話がないから心配して学校に今から行こうとしてたんだからねっ』


 俺が言葉を発する前にスピーカーから母さんの怒りに満ちた怒鳴り声が聞こえ、その音量の大きさに俺は思わずスマホを耳元から離してしまう。


「いや悪かったって。まさかこんな遅くなるって思ってなかったんだよ」

『学校関係で遅くなってるの?今どこにいるの?』

「今は……」


 なんて説明しようかと俺は口ごもっていると扉が開く音が聞こえ、部屋着とやらに着替えた先輩がタオルで髪を拭きながらリビングに入ってくる。


「ん?なにしてるの」


 ラフなオーバーサイズのTシャツに短めのショートパンツという薄い生地の服は、先輩のしなやかなボディラインを際立たせており、俺は電話中だというのに思わず見惚れて黙ってしまう。


『ちょっとねぇ聞いてるの!?朝日?答えなさいっ』

「ああうん、聞いてる聞いてる。それで?」

『それで、じゃないでしょ!!』


 先輩に気を取られすぎて母さんの言葉の処理が追いついていなかった。

 俺が適当に返事をしたことにさらに怒った様子の母さんにどう説明しようかと考えていると、ソファ越しから先輩の腕が伸び俺の電話中のスマホを取り上げる。


「こちら杉本君のお母様でしょうか?はじめまして、私は同じ夜間学校の高校1年生夜名と申します」

『えっ?ああ、こちらこそはじめまして……』

「実は杉本君がプールに落ちてしまい、風邪を引かれたら困るので先輩である私の家に来てもらったんです」


 いつもとは違う、はっきりとした口調で母さんに説明する先輩も俺は少し唖然としながら見つめる。

 この人、こんな真面目に受け答えできるんだ…。

 先輩は視線を一度俺に向け小さく頷くと、再びスマホに視線を戻し話を続ける。


「はい……先輩として責任持って家まで送りますので。あっ、はい!もちろん大丈夫です。わかりました、では杉本君に携帯を返します」


 なにを言われたのか先輩は少し顔を赤らめて頷いた後、俺にスマホを返してくる。


「俺だけど……」

『とりあえずもう今日は遅いし、女の子にあんたを送るためだけに夜道を歩かせるわけにはいかないから泊まって行きなさい。明日の昼には迎えに行くから』

「はぁ!?マジで言ってんのか?」


 俺は突然のことに驚いて思わずスマホに向かって叫んでしまう。大の大人が、一人息子を知らない人の家に泊めていいとか正気で言ってるのか?

 しかも男と女だぞ!?何が起こるかわからないじゃ……いや俺だったらなにも起こらないって確信してるのか。


『まあ先輩って言ってるし大丈夫でしょ。私はもう眠いから切るわね。迷惑かけるんじゃないよ』


 そう言うと母さんは電話を一方的に切り、俺はため息をつきながらスマホの画面を見る。

 この人は本当に俺の母親なのか?スマホを隣に置くとあまりのストレスでmソファーの背もたれに背中を預けてうなだれる。


「泊まるんだね。友達ですらお泊まりしたことないからドキドキしちゃうな、朝日が私の初めてなんだよ?」


 そういいながら先輩は隣に腰をおろすと、頰を赤らめながら足をパタパタと揺らし、髪を指で巻いているのを見て思わず可愛いと思ってしまう。

 いやそれどころじゃないだろ、俺。

 女の子と……しかも先輩と二人っきりでお泊まりって、いくらなんでも初手ハードル高すぎるって。

 

『お風呂が沸きました♪』


 すると丁度いいタイミングでお風呂場から軽快な機械音声が聞こえ、先輩はソファから立ち上がりその時ショートパンツから伸びるムチッとした太股に思わず視線がいく。


「先にお風呂入ってきていいよ」

「えっ?いや、そこは先輩が先でしょ」

「先輩はこういう時後輩に譲るの。私は大丈夫だから先に入ってきて」

「俺だって大丈夫なんで。先入ってきてください」


 互いに譲り合いながらも一歩も両者引かず、ただ時間が経過し結局先輩は諦めたように赤髪を耳にかけて、頬を赤らめながら琥珀色の瞳で俺を見つめる。



「じゃあ、一緒にお風呂入るしかないね」



 耳に届いたその言葉を俺はうまく理解できずに、一瞬だが思考が停止しそして全身に血が巡るのすら止まった。

 この人は一体何を言っているんだ……!?風呂に一緒に入る?そんなことしたら俺の心臓が保たないって。

 ていうかそもそも男と一緒にお風呂に入ることに抵抗ないのかよ!?

 先輩は俺の手を掴むと指を絡めて、そして瞳を揺らしながら耳の近くまで顔を寄せると吐息混じりの声で囁く。


「ね?」


 髪から漂う甘い匂いと、肌に伝わる生温かさに包まれながら俺は小さく頷くことしか出来なかった。


「じゃあ一つだけ提案があります」

「ん?なにかな」


 俺は先輩に自分の提案をすると、先輩は目を輝かせながら頷き俺の腕をグイッと脱衣所へ引っ張る。

 心臓が千切れそうなほどバクバクと鼓動を刻む、俺は脱衣所に足を踏み入れるとゆっくりと深呼吸をして自分を落ち着かせる。


「じゃあまず私が先に浴室に入るから、見たらダメだからね」


 琥珀色の瞳を細めて微笑みながら俺をからかうように言い、そして浴室の扉が閉まる。

 俺は脱衣所に1人取り残され、とりあえず服を脱いでいると浴室の中から扉越しに先輩が服を脱ぐ布が擦れる音が聞こえ、その音が妙に生々しく俺の耳を刺激する。


 磨りガラス越しにうっすらと見える白い肌に赤髪のシルエットが浮かび上がる。

 理性は崩れそうになるのを必死に繋ぎ止めながら、なんとか脱ぎ終え腰にバスタオルを巻くと急に浴室の扉が開かれて先輩の顔がひょこっと現れる。


「服脱いだからこれを洗濯機の中に入れてくれない?」


 濡れた髪をかき分けながら出てきた先輩は、その綺麗な顔を惜しげもなく晒しながら俺に言う。

 まるで生まれたての赤ちゃんのように透き通った白い肌はほんのり赤みが差し、さらに水気を帯びてよりその魅力を引き立たせている。


「えっと、ここに入れればいいんですよね」

「うんそうそう。適当にポイっと」


 水分を吸って少し重くなった生暖かい制服のスカートとブラウス、その他諸々を受け取ると俺は洗濯機の中に放り投げる。


「それじゃあ入ろっか」

「はい……わかりました」


 俺は息を呑み、そして男として覚悟を決めてタオルで目元を覆うようにしてしばり浴室の中へ足を踏み入れる。

 これで何も見えない。つまり先輩の裸体を見ずに済む。先ほど俺が思いついた必死の案だった。

 俺は陰ながらこの名案にほくそ笑んでいると、急に俺の腰に柔らかい腕が絡みつき背中に先輩の身体が密着し耳元にいつもより少し低い声で囁く。


「目が見えない分、私がしっかりサポートするから」


 しかし高揚で先輩の声が上擦り、意地悪な笑みを浮かべている彼女の表情が脳裏に浮かび上がる。

 この先輩……この状況で楽しんでやがる。

 水気を帯びしっとりと濡れた先輩の肌が俺の背中で擦れて、ゆっくりと柔らかい肌は俺に吸い付くように密着した感触に下半身に血液が巡るのを感じる。

 首元から香る石鹸の柔らかな香りと、柑橘の爽やかな香りが絡み合い俺の鼻腔を刺激し俺は目眩に似た感覚に襲われる。


「私に全て任せて」


 どうやら俺はとんでもない決断を下してしまったのかもしれない。


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次回は第5話「一緒に寝ないの?」です。

お楽しみに。

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夜間学校で真面目に勉強しても隣でいつもいじってくる夜名先輩 酒都レン @cakeren

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