第一章 第六話

 肉の塊と化した死体が倒れゆく様を見ることもなく、アデライーダは聖剣を納める。その輝きは返り血すら蒸発させ、刀身には汚れ一つ残らない。


「そういうこと。

 名目上だけでも人間の国が残っていれば、魔王同士で戦ってはならないという呪詛も続く……」


 彼女の頭からは斬り殺したオークのことなどとっくに消えていた。黄金竜の考えを理解したことに比べれば、情けないオークの死体など路傍の石にも等しい。


 世界の全てが魔王の領土となるまで他の魔王を攻撃してはならない、という呪詛は魔王である限り絶対のもの。それを黄金竜は、人間の国が存在する限り他の魔王からの攻撃を防ぐことができる、と解釈したのだ。


 形だけ人間の国を残して金の流れだけを支配してしまえば、呪詛を維持しつつも人間の国を思うようにできる。そうやって得た金銭を元手に、他の魔王に対して経済的な攻撃を仕掛けて魔王間の呪詛とは別の、黄金竜自身の呪詛で縛る。


 この戦略を打破する方法は一つ……借金が積み重なり黄金竜の呪詛が強力になる前に直接的な戦いを仕掛けて、黄金竜を討ち果たすこと。


 だが、この対策は机上の空論だ。魔王は人間の国が残っている以上黄金竜に攻撃できず、そして魔王でない者に殺されるほど黄金竜は弱くはないからである。


「あ、アデライーダさん!?」


 ぶつぶつと考えに没頭していたアデライーダを、声が現実に引き戻した。見ればフアナが駆け寄ってきていた。そして遠巻きにオークの死体を見つめる、村人たちの目。


「『借金取り』を殺しやがった」


「なんてことだ」


「もうこの村はおしまいだ……」


 村に住み着いていた魔物が討ち取られたことへの喜びはない。むしろこれ以上の恐怖がやってくるのだと恐れ慄いている。戦ってもどうにもならない、少しばかりの希望はすぐ絶望に塗りつぶされると。


 黄金竜の呪詛以上に、村人たちを縛っているものがあった。それは、恐怖心。自らの内から起こる感情が、彼らを縛っていた。


 それが根本的に強者である大魔王、アデライーダには理解できない。


「なぜ怯えているのですか?

 起床することさえ恐ろしい魔物を討ったのであれば、喜ばしいことではないのでしょうか」


「魔王の手下だぞ、黄金の魔王の!

 逆らったってことになるのは俺たちなのに、あんたのせいで……」


 反論する村人の声が萎んでいく。未だアデライーダが大魔王だとは気づいていないが、それでも人知を超えた武芸の持ち主であることは既に明らかである。


 怒らせれば自分たちの首が飛ぶのではないか……そんな恐怖が村人たちの口を噤ませたが、かといってアデライーダを称え、受け入れることは黄金竜に対する恐怖が邪魔をして。


「なんで逃げやがったんだ、フアナ!

 お前が素直に剣を差し出していれば、こんなことにはならなかったのに!」


 結果、槍玉に上がったのはフアナだった。


 黄金竜は当然恐ろしい、アデライーダも恐ろしく感じ始めている。だが、フアナはそうではない。今まで村の中で共に暮らし、見ていて、知っている……彼女がいくら責めようと反撃できない、ただの人間であることを。親しみを感じるほど近い関係は一転して、抑圧された生活の捌け口と化した。


「だ、だって、この剣は、この剣は……!」


「だってもクソもあるかよ!」


「こんな宝物を隠し持って、本当はお金になんて苦労していなかったんでしょう!」


「そうじゃ、儂らが生活に苦しんでいるのを嘲笑っていたに違いない!」


 フアナへの罵倒が再開される。そう、再開だ。昨日、村人たちが聖剣の存在を知った時も、容赦なくフアナを責め立て、奪い、オークに渡そうとした。だからこそ彼女は村から逃げることとなったのである。


 泣きそうな顔で震えるフアナの膝が折れる。精神的なショックもあるが、それ以上に身体的な原因によるものが大きかった。彼女は昨日からずっと眠っていない。身体が疲労を思い出してしまえば、むしろいつ倒れてもおかしくはなかったのだ。


 村人たちはそんなフアナを見て気遣うどころか、むしろ弱みを見つけたとばかりに弾劾する声は大きくなり。やがて、石を投げつける村人すら現れ始め――


「不愉快」


 アデライーダが目を細めた瞬間に、フアナへと飛ぶ石が砕けた。いや……砕けるどころではない。一瞬にして砂と化すほどまでに細かく粉砕された光景は、常人には石が消えたように見えたかもしれない。


 大魔王が村人たちを見る目は、既に文字通りの敵視と化している。アデライーダは人間は敵だと思っているが、好悪は別の話だ。むしろ勇者や英雄の類は愛している。彼らと魔王が繰り広げてきた戦いは、敬うべき伝統の一つであるから。


 だが目の前の人間たちは戦う気概もなく、ただ漫然と黄金竜による支配を受け入れるどころか、別の相手に矛先を向けて鬱憤を晴らしている。汚らわしいとすら大魔王は思った。人間という存在を貶めていると。


 村人たちが消し飛ばなかったのは、どんな状況であれ人を守護する聖剣の妨害……そして、アデライーダ自身の手加減だ。変なことをしないで欲しい、というフアナとの約束を律儀に守ったが故の。


 そんなことは思いもよらない村人たちだが、アデライーダが何かをした事は理解したのだろう。露骨に怯む様子を見せた。


 もっとも、怯んだだけだ。アデライーダを非難するどころか逃げる様子もなく、ただその場に留まったまま恐れ惑うだけで……ある意味、村人たちの今の生活を象徴していると言えた。魔物を恐れながら魔物の支配を受け入れ、村から逃散することすらしない彼らを。


 アデライーダはそんな村人たちを無視してフアナに近づくと、ひょいと彼女を片手で抱え上げると、跳んだ。あわわ、とフアナが混乱して暴れたが、それに反してフアナの身体は落ちる様子はなく、それどころか風で揺らぎもしない。いきなり宙を舞ったというのに、不快感や圧力の類は全くなかった。そのまま村の外、つまり森の中に着地する際も、木々が枝を避けて二人を受け入れた。そんな錯覚が、フアナの中に残った――あるいは錯覚ではなかったのかもしれない。


 村から連れ出されたのだとフアナが理解するまでは少しばかりの時間が必要だったのだが……アデライーダにそのあたりの気遣いはなかった。


「約束は守ってあげるわ」


「えっ」


「あなたの代わりにこの剣を使って黄金竜と戦うって約束。

 自分で戦うのが怖い理由はよくわかったから。

 魔物が怖いって言うんなら見捨ててたけど、人間が怖いって言うのなら仕方がない。

 同種が不甲斐ないって気持ちは私も同じだもの」


 唐突に切り替わった話題に、フアナは目を白黒させながらアデライーダの顔を見つめてしまった。大魔王の顔には明らかな怒りが浮かんでいる。なぜ、とまず思い、自分のために怒ってくれたのか、と気付いて……理解した。村人たちを見下げ果てたからこそ、フアナの願いを認めたのだ。


「こ……ここまで生活が苦しくなる前は、あんな人たちじゃなかったんです。

 小さかった頃の私を、村に受け入れてくれて」


「でも今は違うんでしょう」


 村人たちを擁護する言葉を、アデライーダは容赦なく切って捨てた。


 悪いのは黄金の魔王だから、とフアナは言い返そうとして、何も言えなくなった。形はどうあれ結局村人たちはその黄金の魔王……黄金竜に従っているのだし、何よりフアナも自ら戦おうとせず、アデライーダに身を委ねている。悪いのが魔王だとわかっているのなら、なぜ自分で戦わない?そんな声が頭に響く。


 もごもごと口ごもりながら言葉を探していたフアナの視界が、とつぜん歪んだ。ぐらりと地面に落ちそうになった身体を、アデライーダに支えられてしまう。


 思わず眠ってしまいそうになったのだと自覚した瞬間に、頭が重くなってくる。


「眠いなら寝たら?

 人間はたった一日眠らないだけで辛いって知ってるわよ」


「こ、これ以上迷惑を掛ける……わけに、は……うわっ」


 アデライーダは赤子でも扱うかのように、背中でおんぶする状態へとフアナを移し替えた。もっとも、アデライーダにとってのフアナは人間にとっての赤子よりも遥かに軽かったが。大魔王がその気になれば、巨岩であろうと気軽に背負ってみせるだろう。


「ここ……まで、しなくとも……」


「? 人間なんて気軽に持てるくらいの重さじゃない?」


 アデライーダの口ぶりは自慢げな様子も、皮肉を言った様子もなく、ただ事実を述べただけだと言わんばかりの平坦な声色だった。


 そういう意味じゃなくて、と言い返す前に、フアナの意識は睡魔に絡め取られて落ちていった。

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