第一章 第五話

「こ、ここが私の村……です」


 夜が明け朝日が昇り、ようやく二人は森を抜けた……否。森を抜けたと言うのは不適当だろう。村はまるで黒い緑の中で溺れているように見えるほど小さな村で、二人は未だ森の中にいると言ってもよかったからだ。


 フアナの案内で到着した「人間の群れ」の住処は、かつてアデライーダの所有物だった魔王城とは比較にならないほど粗末なものだった。立ち並ぶ家屋は装飾どころか石造りのものすら見当たらず、揃って茅か藁で葺いたものばかり。有り体に言ってしまえば、貧しい村だった。


 もっともアデライーダが気になったのは単純な貧富の問題ではなく、防衛的な点だ。


 村は深い森の中にある、すなわち獣などの存在があるにも関わらず、外周に塀はもちろん柵すら見当たらないどころか……むしろ柵を取り払ったような様子さえ見える。そのくせ、水車小屋だけは塀に囲まれているのがアデライーダは気になった。


「なんで水車小屋だけ厳重に守られているの?」


「え、えっ……よくここから水車小屋が見えますね」


「私と戦った人間たちだって、これくらいの視力はあったと思うけど」


「は、はぁ……あの水車小屋は、その」


「……フアナ? 戻ってきたのか!?」


 返答は、男の声に遮られた。


 言い淀んでいる間に村人が集まり始めたのだ。なにせ今も聖剣は輝いているのである、日が昇っていても注意を引く。


「魔物はどうしたんだ」


「誰だいその子は」


「黙ってないで説明しろ!」


 村人たちの雰囲気はお世辞にも良いものではなく、二人に対する敵意が明らかだった。


 思わず、フアナは視線をアデライーダと村人の間で何度も往復させていた。目の前にいるのは大魔王である。彼女がその気になれば、視線だけで人体は吹き飛ぶ。


 だがそんなフアナの不安をよそに、アデライーダは足を曲げドレスの裾をつまんで頭を下げた。丁寧なカーテンシーだった。


「ご無礼をお許し下さい。私はアデライーダ、旅の武芸者です。

 このたびは森をさまよっていたところ、偶然魔物から逃れている彼女と出会い、剣を借り受けて魔物を討ち果たしました。

 ご迷惑を掛けるようなことをしたつもりではなかったのですが」


 全く予想とは異なる対応に、フアナは思わずぽかんとしてしまった。


 アデライーダは伝統と古式を重んじる。故に、彼女が「弱い」人間のフリをするのであれば、謙った礼儀作法に基づいて振る舞うのは当然のこと。


 問題は、衣食足りぬこの村で礼節を返すことができる者などいないことである。


 村人たちは困惑して顔を見合わせた後、結局態度を変えずに責め始めた。口火を切ったのは、若い男だ。


「商いをやってる魔物に払う金やら作物やらが足りなくて、俺たちは困ってるんだ。

 なのにフアナはその剣を隠し持ってやがった。

 よく知らねえが、そんな立派な見た目をしてるんだし高い値がつくだろ。

 引き渡せば今年は越せるに違いねえ。

 だって言うのに逃げ出したフアナを助けた挙げ句、追いかけた魔物を殺したってのは……」


「お聞かせ願いたいのですが、どのような名目で魔物に支払いをしているのでしょうか」


「……この村を守る代価として、いろいろ差し出す。

 そういう契約を魔物から押し付けてられてんだよ、俺たちは」


 男は、吐き捨てるように言った。


 アデライーダが他の村人を見れば、揃って苦虫を噛み潰したような顔をしている。この契約は決して対等なものではないが、もはや従うしかないのだと、その表情が語っていた。


「魔物を殺したことで責められるのは儂らじゃ。なんということを……!」


「さっさと剣とフアナを渡して頂戴。こいつのせいにして謝るしか」


「あまり大きな声を出すな、『借金取り』が起きる!」


 村人たちはそれぞれに違うことを騒ぎ始めたが、共通していることがいくつかあった。それは平気でフアナを差し出そうとしていることや、魔物を恐れていることであれば、自分たちが剣を使うつもりなど全くないことであったり……いずれにせよ、彼らには魔物と戦おうという意識が全く見受けられなかった。


「『借金取り』があの魔物を指しているのであれば、もう手遅れでしょう」


「え?」


 アデライーダに反応できたのは、フアナだけである。


 とん、と軽い調子で跳ぶ、それだけで村人たちはアデライーダの姿を見失った。聖剣の影響で弱まった膂力では音を越えることすら困難であったが、それでも大魔王の跳躍は常人の動体視力で捉えられるものではなかった。


「なんだ、なんの騒ギ…………」


 村の中で唯一厳重に守られていた水車小屋から出てきたのは、紛れもないオーク。昨晩、フアナを追いかけていたのは彼の相棒だ。


 留守番役として惰眠を貪っていた彼は、村人たちの声でようやく起床して表に出ると……目の前に、黒いドレスの少女が降ってきた。


 少女……アデライーダは挨拶も前置きもなく、いきなりオークに問いかける。


「この村は仮にも人間の国よね。

 なんでオークがここにいて、しかも特別扱いされた住処を与えられているの?」


 オークの頭は見事に混乱した。先程までアデライーダと村人たちが繰り広げていた会話など知る由もないというのに、起き抜けの頭でいきなり問い詰められても理解は困難である。まして、目の前に降ってきた少女が大魔王アデライーダであるとはわかるはずもない。


 かろうじて異常事態が発生しているとは判断できたオークは、外に置いていた処刑用の斧を拾い、構えた。


「ひ、控えロ! 俺は黄金竜ヴィヤチェスラフ様から、この村を任されてル!」


「黄金竜から村を任されてる? 人間の役人とかは?」


「何言ってんダ? たかだか人間が、黄金竜様に逆らえるものかヨ」


「だから、魔領ならともかく人間の国で黄金竜が支配者のように振る舞ってるのはなんでって聞いてるの」


「確かに人間の国だよ、形だけナ。だが金の流れを支配してるのは黄金竜様ダ。

 人間なんてどいつもこいつも、黄金竜様の呪詛に縛られて言いなりだゼ!」


 会話をするうちに、目が覚めてきたオークは理解した。目の前にいるのはこの国の現状も知らない、物知らずのバカであり……バカはバカだから、無謀な喧嘩を売ってきたのであると。


「よく見りゃあ、高そうな剣じゃねぇカ」


 そして、そのバカはやたらと光る剣を持っている。業物に違いない。これを献上すれば、黄金竜からの褒美は確実だろう。


 さっそくバカを殺して奪い取るべく、オークは斧を振り上げ。


「よこシ」


 彼の頭蓋は、光刃の一閃で消し飛んだ。

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