第一章 第二話

「……やっと解けた」


 数日後、魔山から下山したところでようやくアデライーダは自由を取り戻した。魔王城を出る、という呪詛はご丁寧にも、敷地から出ることまで強制してきたのである。


 もっとも、本来であれば彼女が魔山を降りるのにここまでの日数は掛からない。頂上から勢いをつけてのノーロープジャンプ、それで麓まで跳んだ――あるいは落ちたところで下山完了である。魔山の頂は雲に覆い隠されて見えないほどの高さがあるが、何の問題にもならない。落下の衝撃、気圧や気温の変動、それらの全てが大魔王にとっては無意味だ。


 アデライーダにとっては、一歩一歩堅実に足を進める形での下山を強制されるほうがよほど面倒である。もっとも、単に時間が掛かって面倒だった、というだけだが。

 魔山を身一つで歩こうものなら、常人であれば足を踏み入れた途端に息を詰まらせ、下等な魔物でも主の許可なき者は突風によって身を四散させる。そして、当然ながら今のアデライーダは許可なき者……だが、大魔王には着衣の乱れ一つない。


「…………」


 呪詛が解けたのを確認したアデライーダは、早速身を翻して魔王城に足を向けてみる。


 途端、また文字が足に浮かび上がり、魔王城から離れることを強制された。


「黄金竜のやつ……」


 アデライーダが魔山を見上げると、ドラゴンの群れが空を飛んでいるのが見えた。彼女の視力は、黄金竜の配下が魔王城から宝物を運び去っていく最中であることを察知する。


 黄金竜がアデライーダの城を本拠とするつもりがないのは明らかだ。目ぼしい品を運び出した後は、あっさりと別の城に移るだろう。もしアデライーダが城を取り戻したとしても、待っているのは荒らされつくした城内のみ……威勢を取り戻すには、黄金竜を打ち倒して宝物も城も何もかも奪還する以外にあり得ない。


「絶対に思い知らせてやる」


 もう一度魔王城に戻ろうと試みて失敗した後、アデライーダはそう吐き捨ててその場から離れていった。


 復讐の念を新たにして。



 ……しかし。


 その思い知らせる方法はまったく思い浮かばなかった。


 既に彼女の領地は負債の抵当として持っていかれており、配下も領地と共に他の魔王の元へと移ったか、職を辞した者ばかり。


 今のアデライーダは領地もなし、配下もなし。恥を忍んで付近に居を構えている魔物の元を訪れて援助を頼んだのだが、誰一人として応じる者はいなかった。


 アデライーダが手放した魔王城近辺にいる魔物は、当たり前といえば当たり前だがほとんどが黄金竜の配下。彼らからすれば大魔王に従う理由はない……たとえ、元はアデライーダに仕えていた者だったとしても、だ。むしろ、大魔王と一緒に経済的に追い詰められる方が怖い。


「甘いもの食べたい……」


 愚痴を吐くアデライーダだったが、実際のところ肉体的な意味では疲労も餓えも全くもない。大魔王たるもの餓死はしない。しないが、それはそれとして娯楽としての食は恋しいので精神的には困窮する。


 ブツブツと呟きながら森の中をさまよう彼女が何をしているのかと言うと、手ずから草を刈っているところであった。大量に葉や茎を集めて抱え込むと、魔王の腕力で押し込んでいく。一見すると子供がままごとをしているような光景だが、アデライーダにとっては遊びではなく、かといって食用が目的でもない。


「宝石の代わりに……なるかしら……ならないかな……なってよね……」


 アデライーダが魔王城で行っていた祭祀の一つに、風の魔神に捧げるために宝石を供えて砕く……というものがあった。そして今日はまさに、その風の魔神を祀る日なのだ。


 どうせ黄金竜は儀式などしていないだろう、たとえ魔王城を追放されても自らが行わなくては、と意気込んだのであるが……当然ながら宝石の持ち合わせなどなく。しょうがないので、その辺りの草を集めて緑の塊を作ってみた。作ってみたのだが。


「…………」


 明らかに宝石というには無理がある、本当にただの緑の塊にしか見えない。


 アデライーダが腕を振ると、緑の塊が四散した。これは処分したのではなく、そういう段取りである。本来は粉々になった宝石が風の吹くままに四散し、大気の中で輝きながら見えなくなっていく……この光景を、風の魔神が宝石を受け取ったとするのだ。


 だが現実に待っていたのは圧縮された植物が四散し、無駄にかぐわしい香りを撒き散らす光景。思わず虚しくなって物思いに耽っていたアデライーダだが、突然ぴん、と姿勢を正した。


「大魔王、アデライーダと見た!」


 野太い声の方向に向き直る。


 そこにいたのは鎧を着込んだ騎士である。ただし、首無しの。


 その代わりとして、手に兜を抱えていた。その姿は正しく、首なしの騎士デュラハンの一体。


「我が名はデュラハンのブランドン! 大魔王の称号を賭けた決闘を所望する!」


「へえ……」


 あまりにも野太く大きい声が森を揺らし、葉を散らす。

 だが、アデライーダは気圧される様子もなく、ただ笑みを浮かべた。愛しさすら感じる微笑みを。


「あなた、黄金竜の手下?」


「まさか。我が望みは新たな魔王となること、そのために別の魔王の力を借りては意味はなし!」


「みたいね」


 黄金竜がアデライーダに掛けた呪詛は、借金が大きければ大きいほど強力になる。そしてその借金は、黄金竜自身どころかその配下などに対しても一方的な関係を強いられるまでに達していた。


 だが、ブランドンと名乗ったデュラハンと向き合っても、呪詛が浮かび上がる様子はない。つまりこのデュラハンは黄金竜の配下ではないということだ。


「よろしい。

 大魔王の名に於いて、その決闘をお受けいたしましょう」


 すっ、とアデライーダは一礼。


 明らかに隙だらけであるが、デュラハンは手を出さない。例え見ている者が皆無であろうと、決闘を始める前に攻撃を仕掛けては礼儀にもとる。


「では。いざ尋常に、勝負――」


「勝負」


 決闘の宣言を叫んだ、瞬間。


 剣を掲げたデュラハンの腕が……いや、腕どころか上半身まで、まるごと抉れて消し飛んだ。兜が砕けて丸裸になった首が、地面に落ちて転げ回る。


「あ、あがっ…………」


「いいわね。

 約定や契約抜きで決闘に付き合ってくれた相手は数年ぶり。即死しなかった相手は十年ぶり」


 苦痛と困惑を顕にしたデュラハンの顔前で、いつの間にか近づいていた大魔王のドレスが風になびく。


 彼女はなにか特異な行動を取ったわけではない。ただ殺意を込めてデュラハンを見ただけだ。大魔王が殺意を向ける、それだけのことで敵対者は世界から消失する。もはや魔力や技量といったものを競うレベルにない、絶対的な存在。


 デュラハンのこの有様は、決して醜態ではない。むしろ下半身と首が残っただけでも立派だったと言えよう。


「褒美を与えましょう。戦いにおいて私に触れられたことを、混沌に還った後も刻みなさい」


 とん、とデュラハンの頭に大魔王の指が触れた。


 その瞬間、デュラハンの姿は消失した。頭どころか全身が、抉れるどころか塵も残さずに霧散した。


 彼が先程までこの世にいた痕跡は、ほんの一瞬起こった突風のみである。


「このデュラハンのように、気骨のある魔物ばかりならいいのに」


 自らの行いを恐れることも悲しむこともなく、ただ魔の現状を嘆くアデライーダ。


 人間の少女と変わらない容姿の持ち主であろうとも、彼女は間違いなく大魔王だった。

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