千年後の世界

第5話

 千年。

 ビブリオティカの言葉に、ミュリエラはすぐ反応できなかった。

 この物言う魔法のマントの言葉に嘘偽りはない。ミュリエラがそう創ったのだ。

 しばらく呆然としたのち、ビブリオティカを身に引き寄せ、言う。


「なぜ、こうなったのじゃ……?」

『私には分かりません。ミュリエラ様に何かのお考えがあってのものかと』

「千年は気まぐれで過ごせる年月ではないのう……」


 もう一度、立ち上がろうとする。しかしやはり、力が入りにくい。

 体力の消耗は想像以上だ。

 どこかで食事して暖を取り休息せねば、単純に衰弱して死ぬだろう。

「いと悪しき状況じゃな……」

 なんとか立ち上がり、奇妙な品々の並べられた壮麗な広間を歩く。

 裸足が石の床を踏んで、ぺたぺたと音を奏でる。

「それで、この、ミュール神の神殿とやら。危険な信仰ではあるまいな? 話の分かる信徒ならよいのじゃが」

『神殿ではございません。博物館ミューレネムです』

「まあ、千年も経てば、話し言葉も書き言葉も、多少は変わろうがの。要するにここは何なのじゃ」

『美術品や工芸品などの珍しい品々を収集し、研究し、広く公開し、叡智の進歩にあずからんとする施設です』

 ミュリエラの足が止まる。

「なるほど。合点がいった」

『何かお分かりで?』

「王宮か。王宮なのじゃな。この部屋の壮麗な造りといい、そうとしか考えられぬ。王が珍奇な品々を集めて臣下に見せつけ、権威を高める部屋というわけじゃ。なるほど、おぬしが陳列されておったのも道理じゃのう」

『……間違ってはおりませんが……』

「しかし、部屋を飾り立てるのに、タペストリーすら使わず、壁をきめ細かく漆喰で仕上げ、柱に金細工と見まごう彫刻を施して美しさを引き出すとは。なんたる典雅。この部屋は世界でも指折りのドワーフの仕事に相違あるまい」


 今にも倒れそうなほど消耗しているくせに、ミュリエラは饒舌だ。

 ここは、【中原最大の賢女】【大賢者】と呼ばれた彼女にとって、いたく好奇心をくすぐられる、まだ見ぬ知の宝庫であった。


 ミュリエラは、これまた惚れ惚れするような、意匠の洗練された扉の前にたどり着いた。

 ハンドルに手をかけ、引く。

 動かない。

 押してみる。やはり動かない。

 鍵穴もなければ掛け金もなく、魔法の仕掛けの気配もないのに、開かないのだ。

 押しても引いても動かないので引き戸かと思い、横にずらそうと試みるがそれでも開かない。悪戦苦闘して、ただでさえ乏しい体力をさらに消耗しただけだった。


「……外側じゃ。外側にかんぬきが掛けられておるのじゃ。閉じ込められたぞ」

『ミュリエラ様、これはドアハンドルです。単にレバーを押し下げて、掛け金を外せばよいのです』

「どこに掛け金があるのじゃ!?」

 と、ミュリエラが千年の間に進歩していた扉の開閉方法に戸惑っているうちに、扉の外から足音と話し声が近づいてきた。


「……ほら! あそこ! あの部屋でしょ! あの部屋にあなたの見たいものがあるんでしょ、コリノ!」

「姉上、戻りましょう。ここは公開されていない区画だと思います」

「あなたの勉強のために来たのに、目的のものが見られないんじゃ、意味ないじゃない」

「はぁ……リリ、言ってあげて」

「アニエお嬢様、コリノ坊ちゃまのおっしゃる通りです。社交界デビュー前のご令嬢が泥棒の真似事は洒落になりません」

「すぐ戻るし、それにドリアス先生が言ってたのよ、お弟子さんが研究員見習いで採用されたって──ね、ほら、ここ!」


 がちゃりと音がして唐突に扉が開いた。ミュリエラは勢いよく開いた扉に頭をぶつける。さながら重い盾でぶん殴られたようなものだ。消耗しつくした体力に加えてこの一撃がとどめとなり、ミュリエラは床にもんどりうって倒れた。


「──あっ! 失礼あそばせ──って、きゃあああああああああああ!?!?」

「!! コリノ様!! 見てはいけません!!」


 裸にぼろぼろのマントを羽織っただけのミュリエラは、遠のきそうになる意識をなんとか保ちながら、自分を機械仕掛けの牢獄から解放したのと同時に、とどめまで刺した者たちを見た。


 悲鳴を上げたのは、背のすらりとした少女。ミュリエラがこれまで見た中で、もっとも豪華かつ瀟洒なドレスで着飾り、これまた見たことのない豊かな胸をしていた。よい物を食べている証拠だ。顔立ちは整っており、ふんわりとウェーブのかかったロングの髪の色はブラウンと平凡だが、これほどの王宮に住まう姫君として納得のいく美しさを湛えていた──悲鳴以外は。


 その後ろに、少女よりはだいぶ地味だが、洗練されたスタイルのドレスを着たエルフの女性が立っていた。背丈は少女より低いものの、なめらかなバターブロンドの髪が館の外から差す陽光を背負って輝き、きらめきを際立たせている。長い耳とミルクのような肌はまさしくエルフの特徴だが、顔にはそばかすが浮かんでいた。エルフの基準では「器量なし」と評されるのだろうが、人間の基準では美女以外の何者でもない。瞳の色は琥珀で、いささか眠たげな目だ。


 そのエルフが両手で目を覆い隠しているのは、九歳か十歳といったところの少年。姫君の弟らしい。こちらもミュリエラが見たことのないスタイルの服に身を包んでいたが、その洒脱さを見れば、詳しいことを聞かなくても王位継承権を持つ人物だと推察できる。


「まずは……お礼を申し上げる……わらわは……事情があって閉じ込められ……」


 ついに限界に達し、ミュリエラは昏倒した。


 ──……。


「……シーツを借りてきました、アニエお嬢様」

「ありがと、リリ。どこにあったの?」

「博物館の研究員の宿泊所に。事情を話して貸してもらいました」

「えーっと、事情って、話してよかった……のかな?」

「さるご身分の方が気分を悪くなさったのでと。あとは少々、心付けを渡して」

「よくわかんないけど、とても良い働き。それじゃ、この方を包んで……はい! コリノ! もう振り返ってもいいわよ! 運ぶの手伝って! あっ、ダメ! 足の方は持っちゃダメ! こっち! 頭を持って! あとそれからなるべく見ないで!」


 朦朧とする意識の中で、ミュリエラは自分の体が柔らかい布で覆われ、運ばれていくのを感じた。

 少女たちの言葉はイントネーションが極めて独特なうえに聞き慣れぬ単語も多く、ミュリエラには半分ほどしか意味が分からない。が、彼女たちは少なくとも、自分を助けるつもりであり、馬車に積み込んで自宅へ運ぼうとしているようだった。

 車輪の響きと、移動する感覚。揺れがおそろしく滑らかなので、ミュリエラは船に乗っているのかと疑った。

 もぞもぞと体を動かす。


「アニエ様、お気づきになられたようです」

「ご気分はいかが?」


 少女のグリーンの瞳がミュリエラの顔を覗いている。


「お手を煩わせ、いたも相済みませぬ。九死に一生とはこのことですじゃ」

 ミュリエラの言葉に、アニエと呼ばれた少女が面食らう。

「ごめんなさい、あの……え~と……」

 リリという名らしいエルフの耳元に口を寄せ、ささやく。

「今のってメーノン語? 外国の方かしら?」

「と思います。ですが、私の曾祖母の話し方に似てます」

「少なくとも話は通じそうね」

「姉上」と、ここで少年が口を挟む。「その人の指にあるものを見て」

 アニエが「失礼」と囁いて、ミュリエラの手を取る。

印章指輪テールヤクリンだわ」

「しかるべきご身分の方、ということになりますね」とリリ。

「どちらの貴族家の奥様かしら」

「貴族家の奥方には相応しくない装いでした、姉上」

 コリノと呼ばれた少年は、努めてミュリエラのほうを見ないようにしている。が、ちらちらと目配せは止められない。

 アニエが突然、真実にたどり着いたと言わんばかりに手を叩く。

「追いはぎよ! 追いはぎに遭ったんだわ!」

「博物館のど真ん中で?」

「だからこそよ。身ぐるみはいで、放り込んでおくとしたら一番、意外な場所じゃない!」

「博物館をそんな風に使う悪党がいるとは思えないな」

「ちょっとは考えなさい、コリノ。身分あるご婦人がえっと、あの、裸で人目に付く場所へ放り出されるなんて、スキャンダルよ。出歩けない格好にしたからこそ、あの部屋に鍵もかけなかったのよ。このひとが身分ある方って証拠でしょ」

「スキャンダルと言うなら、ご自分のスキャンダルになる危険もお考えください」

 リリが呆れたように言う。

「博物館では少なからず人目に触れましたし、明日には噂になってますよ」

「人助けで噂になるなんて、素敵じゃない」

「姉上は能天気すぎます」

「コリノ坊ちゃまのおっしゃる通り。ご両親には何とご説明するつもりで?」

「人助け」

 アニエの屈託のない答えに、リリとコリノは黙り込んでしまった。

「……ひとまず、この方が誰であるかは、明らかにしておいたほうがよろしいかと……」

 リリの提案を受けて、アニエが優しくミュリエラに語りかける。

「奥様。申し訳ございませんが、お名前をうかがってもよろしいかしら?」

 ミュリエラは答えた。


「わらわは、グリューデン女伯爵グラフリン。ミュリエラ・ウル・グリューデン、【海嘯の魔女】と呼ばれたるもの。姫殿下と公子殿下のご高配、かさねがさね痛み入りまする」


 答えを聞いたアニエがリリに驚きの顔を向ける。「伯爵夫人グラフリンですって!」

 リリは首をかしげた。「伯爵夫人グラフリンが、印章指輪テールヤクリンを……?」

 エルフの疑問をよそに、アニエがミュリエラに語る。

「わたくし、アニエ・チャリンドと申します、伯爵夫人さま。チャリンド家の長女です。こちらは私の弟、コリノ・チャリンド。それから、メイドのリリ。私が生まれる前から当家に奉公しておりますので、秘密は守れます」

 エルフを奉公人呼ばわりしたことでミュリエラはいささか面食らったが、アニエという少女の身分の高さともなると、誇り高い独立種族たるエルフをも下僕にしてしまうのがこの時代の流儀なのかもしれない。

「アニエ姫、コリノ公子。ご助力かさねて感謝申し上げまする。それからエルフ殿、リリと申されたか。そこもとにも感謝を。リリとは父御と母御のどちらから授かったお名前かや」

 この言葉を聞き、リリが驚いて目を開く。そして、答える。

「……母から授かった名前です、奥様」

「興味本位じゃが、父御から授かった名前も聞かせてくれぬか。できれば全名で」

「父アルメイダより生ぜし娘パルシス、黒の森より出でてチャリンド家に根づきし者……」

「パルシス、か。わらわの友と同じ、よい名じゃ……」

「ねえ、リリ。それって何?」

 アニエには二人の会話の意味がまるで分からない。

「私たちエルフは、父と母それぞれから別の名前を授かるのです、アニエ様。リリは母から、パルシスは父から。成人したらどちらでも使ってよいことになっています」

 生まれた時から仕えてくれている召使いの秘密に、アニエは仰天する。

「知らなかった!」

「ご存じなくても差し支えありませんよ。とてもとても古い風習で、使わなくなってる同族もいますし。でも……」リリがミュリエラを見つめる。


「エルフ以外でご存じの方には、久しぶりにお会いしました」

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