第4話 大気圏流氷に暮らすナギサペンギンたちがかわいい理由

 デスフラグ大佐は復活をする。

 飛行士ペンギンが語った事実は、ペンタロウに衝撃を与えた。

 大気圏流氷に暮らすナギサペンギンたちは、スペースサメハンターの冒険譚をおとぎ話に聞かされ育つが、最終話だけが失伝していた。その結末の物語を、地上から来た飛行士ペンギンは知っていたのだ。

「火星での戦いのせいで、まるでツギハギだらけの化け物みたいになっちゃったけど、スペースサメハンターにはわかったんだ。変わらぬその目の輝きが、デスフラグ大佐だってこと!」

「化け物って、美形キャラのはずの大佐が、まさか……」

 ペンタロウは生唾を呑む。

 ペンタロウは、停止したリングの屋根にあたる部分に腰掛け、地球の輪郭を見やりながら、足をぱたつかせて話を聞いた。リングは正確には「C」の形をしていて、隣に腰掛ける飛行士ペンギンは「エレベータ」と呼んだ。

 エレベータは、地上から宇宙へ旅するための乗り物らしい。塔はその昇降軸にあたる。エレベータは塔と違って量子糸では編まれておらず、触れても消滅する心配はない。というのは、触れてからわかったことだけど。

「だけど驚いたなあ。地上にもペンギンが住んでいたなんて」

「私だって驚いたさ。いやね、大気圏に棲む同胞の話は、伝説には聞いていた。それが本当にいたとは。きっと君たちの祖先が地上に堕ちて、その末裔が我々なんだ」

 飛行士ペンギンはもこもこの白い服に身を包み、頭をすっぽりガラスの球で覆っていた。だからペンタロウには彼の顔しか見えなかったが、けれども彼の覆い隠せぬかわいらしさは、同じペンギンであると確信させた。

「地上には、他にも生き物がいるんですか?」

 訊くと、飛行士ペンギンは目を丸くして、それからプハッと噴き出した。

「いるとも、いるとも。猫に魚に虫に猿。植物ならば草木に花に。その種類は何万、何百万でもきかないくらいだ。この星はね、命に溢れているのさ。それから歴史に、文明も」

「文明?」

「この軌道エレベータだって、ある猿の仲間が造ったものなんだよ。彼らは滅びてしまったけれど、彼らの遺産はいまも、星の暮らしを豊かにしている」

 そうして飛行士ペンギンは、地上の珍しいあれこれをペンタロウに語ってくれた。

 雷が雲から地上にも落ちること。

 シャチやサメが伝説ではなく実在すること。

 まるでペンギンのように空を泳ぐ、鳥という生き物のこと。

 ペンタロウは不思議に思った。それだけ驚きに満ちた世界からなぜ、飛行士ペンギンは宇宙にやってきたのだろう。何を目指しているんだろう。そんなガラスの球を頭にかぶっていては、磁気嵐が束の間みせる凪の香りも嗅ぐことができない。

 そんな疑問に応えるように、飛行士ペンギンは穏やかに言った。

「宇宙には空気がないのに、こうして君と話せるのはなぜかな」

「それは、僕たちペンギンが、量子的な存在だから」

「そう。それだ。命あふれるこの星でなぜ、私たちペンギンだけが、これほどにも不確かで、互いにもつれ合って、かわいらしいのか」

 飛行士ペンギンはそっと手羽を天に示した。視界には、限りない宇宙を割るようにして塔が伸び、歪に砕けた月がさまよう。飛行士ペンギンの眼差しは、そのさらに彼方に向けられていた。

「太陽系第九惑星。冥王星よりさらに外縁、オールトの雲に潜むその星が、ワームホールを塞いでいる可能性があるとわかった。次元閉塞というやつだ。なぜわかったか。音が漏れていたからだ。閉塞は完全ではなくって、孔の隙間から歌が漏れてきている。その歌は私たちを途方もなく懐かしい気持ちにさせる」

「歌……」

「君たちの群れにもこんな伝承があるんじゃないか。かつて、我らの父祖はスペースサメに追われていたが、あるとき導師が入り江を塞ぎ、我らを安息の地に住まわせた。寓話に語られるスペースサメが表象するもの、それは、宇宙の熱的死に他ならない。しかし量子化により並行宇宙に遷ることで、私たちは世界の死から解脱したんだ。向こうの宇宙には存在した終わりが、この宇宙にはないから、だから、私たちはこんなにかわいらしいんだ」

 ペンタロウは虚空を見上げ、数多の銀河に耳を澄ませた。

 あの星へ、この星へ、意識を何千、何万光年彼方に向けて、歌を探す。

 無の、透明なやさしさだけが聴こえた。


「さて」

 飛行士ペンギンが立ち上がる。

 出発の時間らしい。

 太陽は地平に沈みはじめていて、地球の輪郭をふち取る大気の膜がいっそう輝き、ペンタロウの瞳を刺した。

「あなたはなぜ、ワームホールを目指すんですか。向こうの宇宙にあるのが死なら、何のために行くんですか」

 と、引き留めるようにペンタロウが訊く。

 飛行士ペンギンはきっぱり答えた。

「友が目指しているからさ」

「とも……」

「私が語った仮説はぜんぶ、奴の受け売りなんだ。それも、実は本当じゃないかもしれない。だからそれを確かめたいと、私の友が言ったんだ。彼は一足先にロケットで静止軌道に到達している。このエレベータの頂で、私が合流するのを待っている」

「あのっ。ぼ、僕も連れて行ってください」

 と、くちばしから飛び出た言葉に驚いたのは、他の誰でもないペンタロウだった。僕は地上に行くんじゃなかったのか。宇宙には何もない。飛行士ペンギンの語った通り、地上にこそ未知が溢れているというのに。

 飛行士ペンギンがやさしく答える。

「私は、私の友しか信じられない。私の友も、私のことしか信じない。そして君にもそんな仲間がいるんだろう。私たちペンギンは量子的な存在だから、そのくらいは感じ取れるよ」

 ひゅるりと、地球のふちに引っかかっていた陽の最後の光芒が消え、輪郭が夜と混じった。地上は真っ黒になって宇宙に溶けて、ペンタロウを孤独にさせる。

 暗くなった大地には、砂粒を散らしたみたいに繊細な光が散在していた。それは大気圏に棲むパンスペルミア藻虫の蛍光にも似て、大陸大の生物が銀河に擬態でもしているのだと思っていたが、飛行士ペンギン曰く、違うらしい。あれは灯。ひとつひとつが誰かの造った燈篭で、そのひとつひとつに、誰かの営みがあるという。

「ペンギンの命は短い。が、星よりは長い。いくつかの文明の興りと滅びを見守ってからでも、きっと遅くはないんじゃないかな」

 飛行士ペンギンはそう言い残すと、エレベータで星の世界に発ってしまった。


 リングが見えなくなるまで見送ると、ペンタロウはもとの通りに、大気層と宇宙の境にぷかぷか浮いて、物言わぬ塔を眺めた。いつもと違うのは、うつ伏せではなく仰向けになって、宇宙を向いていることだ。遠くて塔の頂までは見えないけれど、ふたりは合流できただろうか。

 ペンタロウは、捉えどころのない星の海の永遠に身を任せた。

 デスフラグ大佐は復活をする。

 そう教えたら、コペルニッケはどんな顔をするだろう。しりもちをついて、涙も流すかもしれない。そんな想像をすると、胸の奥がくすぐったくなる。

 東の沖に、淡く、青く、星の輪郭が目覚めはじめる。

 大気圏流氷に暮らすナギサペンギンたちのにぎやかな声が、磁場の流れに乗って伝わってくる。

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大気圏流氷に暮らすナギサペンギンたちがかわいい理由 久乙矢 @i_otoya

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