第8話 マリアンナの死
超常現象研究会のクラブルームを後にして、正人の頭は新たに学んだ魔法と、その秘められた領域のことでいっぱいだった。
この聖エルドラン学院の敷地は無駄に広く、大人気ファンタジー映画も顔負けな施設や場所が沢山あると、風の噂で聞いたことはあった。
けど、佐藤麗奈と関わって、やっと現実にその一端に触れたような気がした。これまでは正人の性格上、そういう未知の世界とは懸け離れた生活を送っていたから。
普通教室が集まる一般棟へ戻ってくると、気持ちも穏やかになってきた。
教室に戻ったところで、ロッカーで荷物を整理している女生徒を見かけた。浜崎咲希子だ。
今日の彼女は何かが違っていて、どこか遠くを見つめるような、心ここにあらずといった様子だった。
彼女とのやりとりを避けるため、正人は極力そちらを気にしないようにした。
あの手紙の一件以来、咲希子とは話していないし、近づくのもなるべく避けていた。まあ、その前もそんなに話したことはなかったけど。事態はただ……より複雑になっただけだ。
教室前の廊下に出る。ちょうどポケットの携帯が振動したので見ると、マリアンナからのメッセージだった。
彼女は一日中テキストを送ってきていたけど、あの新しい、リアルに魔法が絡む混乱の中で、返信するのを忘れていた。
簡単な謝罪を打ち込んでいると、後ろに誰かの気配を感じた。振り返ると、心配と興奮が入り混じった表情でマリアンナが立っていた。
「マサト、前のメッセージに返事がなかったから心配してたのよ?」
マリアンナは正人に歩み寄りながら、遊び心のある、それでいて真剣な口調で言った。
休日を2人一緒に過ごしてから、もちろん彼も嬉しかったが、彼女の方がその気持ちは上回るようで、何かにつけ正人のことを気にしている節があった。はじめて出来た恋人が見せる様子に、つい微笑ましくなってしまうのも無理からぬことだ。
「あ、うん、ごめん」正人は謝りながら、気まずさを隠そうとした。「今日はちょっと忙しくて」
マリアンナはいいアイデアが浮かんだように微笑んで、
「じゃあ、今日は一緒に帰らない? 楽しくなると思うけど」
返事をしようとしたその時――。
突然後ろから、正人の背中めがけて、強い一撃が見舞った。
正人は「いたっ!?」と叫んで前に飛び出し、痛む部分をさすった。突然、誰かに空手チョップでもされたような感覚。
振り返ると、咲希子が何食わぬ顔で歩いていくところだった。マリアンナと仲良さそうに話す正人へ、ジトッとした横目を向けて。
咲希子がこんなことをするはずがないよな、と正人は思ったが、他に該当者も見当たらないので、頭にクエスチョンマークを浮かべて混乱した。
「???」
「ど、どうしたんですか? 大丈夫?」
マリアンナが心配してくれたので、なんとか平静を取り戻した。
「や、なんでもない。誰かが僕らの噂をしてるみたいだ」
「そう? ふふ。じゃあ気を取り直して、行きましょう?」
☆★☆★☆★☆
正人とマリアンナは人目につかない道を歩きながら、週末の計画や、他愛のない笑い話で盛り上がった。
魔法の世界に巻き込まれた不安や気後れも、その瞬間の楽しさにかき消されていた。
「この道、通ったことないや。こっちからでも帰れるの?」
「ええ。ずっと歩いていくと、駅前にあるショッピングモールの裏に出るわ。人も少なくて、お気に入りの道よ」
マリアンナは微笑んだ。
事実、多くの生徒や住民が通る表通りと比べ、閑静な集合住宅の間をめぐる細道は、このあたりに詳しい生徒だけが知る抜け道の観を呈していた。兄弟姉妹などで学院に通ってた知り合いがいれば教えてくれたのだろうが、正人にはマリアンナと出会うまで、この道を知る機会はなかった。
団地の向かい側にある幼稚園から、子供たちが歌う声が聞こえてきた。聞き憶えはあるのだが、なんの歌だったかどうしても思い出せなかった。
その時だ。突然、不吉な存在感に空気が濃くなり、平穏が破られた。
陰から黒いローブに身を包み、不可解なシンボルに飾られた背の高い不気味な人物が現れたのだ。そのシンボルは薄暗い光の中で蠢いているように見え、彼の威圧感を増していた。
「嗚呼、若い者たちが理解を超えた力をいじっているようだ」
その男は暗いローブに似つかわしい声で、不吉な言葉を口にした。
「え……?」
「マラカイ・ダークソーン」
「?」
「憶えておくといい。この名を告げれば。三途の川の渡し守も君たちの不幸を哀れみ、彼岸へゆく船にいち早く乗せてくれるだろう」
その言葉の意味を、2人が理解するゆとりはなかった。
マラカイと名乗る男は、ゆっくりと手を上げた。その緩慢な動作にもかかわらず、空気が切り裂かれたかのように鳴った。
「マリアンナ!」正人は叫んだ。
興奮が全身を駆け巡り、2人の間に割って入ろうとしたけど、無駄に終わった。マリアンナは驚くべき勇気を見せ、いち早く邪悪な影の前に立ちはだかったのだ。
「だめ、正人!」と彼女は言い、正人を守るように押し返した。
マラカイの影の手が彼女に伸びると、時間がゆっくり進むように感じられた。それはまるで悪夢のような光景だった――厳しく、衝撃的で、非現実じみた。
マリアンナは倒れた。
正人は彼女のそばに跪き、目の前で繰り広げられる恐怖を理解できずに震えた。
あらん限りの力を振り絞り、地面に崩れ落ちた彼女を腕の中に引き寄せた。彼女の体は冷たく、無機質で、恐怖が彼の心を支配した。
凍りついたたような静寂の中、マリアンナの声が聞こえた。
「まさと……よかった…。あなたが、ぶじで………」
彼女の言葉は、それまでの不安を掻き消すような、心からの安堵に満ちていた。穏やかな表情の少女は、正人の腕の中で息を引きとった。涙で曇る視界を通して、信じられずに彼女の名前を囁いた。かつて生き生きとしていた彼女の瞳は今は暗く、命の光はすでに消えていた。
「お願いだ、マリアンナ、こんなこと、ありえない……。目を覚まして………」と僕は悲しみに引き裂かれた声で懇願した。
「魔道書を」
フードを頭から取り去り、その男、マラカイ・ダークソーンは言った。
男の肌は白く、顔だちは美しく、しかし不条理な不運に幾度も襲われた人のように、隈の出来た瞳をギラギラさせている。
「魔道書を、わたしてもらおう」
「……魔道書……?」
正人はうめいた。
「そう。私の願いを叶えるために、必要なもの。
あらゆる欲望を成就させる、全ての魔法使いの――そして、あらゆるニンゲンの――夢。
あの、
その時――――。
大天正人の目の前に、彼が見つけた魔道書が異界の光を放ちながら姿を現した。ページが開き、エネルギーに満ちた強力な呪文が露わになった。その呪文は正人を引きつけ、絶望の中で救済のチャンスを約束するかのように見えた。
『どうかお願いだ』
――小さい頃、夜寝る前の布団の中で、もし神様が一つだけ願いを叶えてくれるならどうしようかと考えていた。
もしもその時が来たら、迷うわけにはいかない。叶えたい事が沢山ありすぎて、どれを選ぼうか本気で困ったものだ。
でも、いま。その時に考えたどれでもなく。正人の願いはたった1つだった。
『マリアンナを、たすけたい。どうか、この願いを、叶える力を――…』
心の中に湧き出す感情に押され、正人は魔道書に手を伸ばした。呪文が発動すると、荒れ狂うビジョンと、感覚の渦が彼を包みこんだ。時間と空間が歪み、意識は未知の淵へと消えていった。
最後に大天正人の心に焼き付いたのは、命を失ったマリアンナの姿と、迫り来る暗闇の中で光輝く魔道書のページ。
そして、それから。目の前が真っ暗になって消え、正人は未知の世界へと飲みこまれた。その向こうで何が待っているのか、僕には全く分からなかった。
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