第24話

「任務達成ご苦労様」


 幸いにすっと水を差され、俺は自分でもわかるほどに嫌な顔をした。日和子の手を握る力が強くなる。さくらはそういった反応の一歳に無関心な様子でスカートの端をつまんで礼をした。


「無事、ヴィランが討伐されて良かったよ。あのまま放置されていれば、加速度的に世界は怪異に塗りつぶされていただろうからね。ご苦労様、蘭日和子」

「なあ」


 俺は一歩前に出た。さくらの目がじろりと俺を見る。俺のどんな発言も届かないのではと危惧する。それでも、言いたいことがあった。


「日和子を解放してくれないか」


 俺が頭を下げている間、さくらは何も言わなかった。よーくん、と日和子の不安そうな声。十数秒、俺としてはできうる限りの誠意をこめきってから、頭をゆっくりと上げる。

 さくらはにこにこと口元に笑みを浮かべていた。うん、うん、と俺の言葉を咀嚼するように頷く。


「これは君たちの世界でいう、愛、というものなのだろうね」


 愛、という言葉を言い慣れていないようにイントネーションにほんのわずかな違和感があった。さくらが俺と日和子を交互に見る。レーダーめいた瞳は、そこから何かを読み取ろうとしているのか。


「その感情を私たちは真に理解することは出来ない。私たちの世界は発展しすぎて何かを失ってしまったのだろうね。君たちの世界を守りたいと思うのはそういう意図がある。この世界はね、重要な保護区なんだ。私たちの世界でその概念が失われないように」


 さくらは胸元に手を当てて瞑目する。


「君たちを見ていてわかったよ。これが感情というものか。大変に興味深かったよ。不思議なものだね、愛する人を傷つけたくない、自分の身を削っても……なんて」


 ぞ、と背筋が凍った。

 さくらの視線が酷く冷たいものに変化したためだった。目の色や形が変わったわけではない。なんなら今に至るまで彼女は優しく微笑んでいるのに、


「不合理だ」


 冷たい言葉は、いともたやすく俺たちの大事な物を切り捨てた。さくらが肩の辺りまで手を上げ、ゆっくりと首を振った。優しく諭すように桜色の唇が言葉を紡ぐ。


「結論から言おう。蘭日和子を解放することは出来ない」

「……どうしてだ」


 俺は軽く日和子の手を引いて、すぐ側にまで引き寄せた。このあとのこいつの出方次第によってはその方が都合が良い。俺はちらりと日和子を見た。瞳は揺らいでいるが、けして光は消えていない。


「半分は不可能だからだ。一度人の身体を宿主にした私たちは、自分の意志で離れることは出来ない。離れる方法があるとすれば一つ、死ぬことだ、私たちか宿主の人間のどちらかが」

「じゃあ日和子の中にいる奴を殺せ」

「傲慢だ、君たちの世界を守る存在だよ」

「それが愛だ」


 きっぱりと俺は言い切る。世界なんて勝手に滅んでも良い。

 さくらはしばらく無言で俺を見ていたが、やがてため息をついた。


「理解できないな。どっちにしろ許可は出すものか。いいかい、蘭日和子は私たちにとっては重要なサンプルなんだ」

「サンプル?」


 不穏な単語だ。人道にもとるような。俺はさくらを強くにらみつけたが、もはや俺の事なんて見ていないようだった。

 彼女が大きく腕を広げる。その姿は夜に大きく映える。人間の敵に見えた。少なくとも今は、俺たちの敵ではあろう。


「本来はね、人間の魂は私たちの、特にヒーローになるほど強力な力を持つ同胞の魂に勝つことは出来ないんだ。端的に言えば、私たちに身体を貸した段階で君たちの自我は失われ二度と目覚めることはない」

「……ハァ!?」

「だが君の隣にいる彼女は、私たちの同胞に身体を貸したうえで、自我を保っている。これはすごいことだよ。私は彼女に期待した、これまでのヒーローは肉体がその駆動に耐えきれず稼働期間が短かった。けれど彼女なら、自分でその力を制御し、長期間の安定した稼働が可能なんじゃないかと思ったんだ」


 そこでさくらはため息をついた。まるで、俺たちの方に非があると言わんばかりの呆れた嘆息だ。


「でも、だめだね、感情に左右されるようでは。ヴィランが側にいるとわかっていながら私情で見逃すなど愚の骨頂だ。このまま野放しにしていては危険がある」


 さくらがずかずかと俺たちの方へ近付いてきた。反射的に身体はびくりと反応するが、得も言われぬ威圧感に動くことが出来なかった。

 さくらは無遠慮に日和子に顔を近づける。日和子は唇を噛みながらも、鋭い視線でさくらを睨み付けた。


「君は私たちの元で教育を受ける必要があるね。何、人の思考なんて簡単に書き換えられるものさ。君は筋がいい、一年も訓練をすれば誰も敵わないエースになれるよ」

「やだ!」

 日和子が大きな声で答えた。その声が俺の身体の硬直を解いた。

「よーくんから離れるなんて、絶対にやだ」

「俺もいやだよ」


 日和子と顔を見合わせて頷き合う。

 俺は日和子の手を引いて走りだした。日和子もそれについてくる。というか、今は日和子の方が足が速いので、俺の方が引っ張られるような形になる。

 自分のものじゃないかのように脚が軽い。どこまでだって走っていきたかった。


「残念だよ」


 公園を出ようとした俺たちの前に人影が立ちはだかった。

 三人。性別も年齢もちがう三人の唯一の共通点は、共通の制服のような服を着ていることと、顔にまで黒い紋様が這っているところだ。

 俺たちは足を止めて一歩後ずさった。


「ヴィランか……」

「失礼だな、うちの精鋭達だよ」


 これがヒーロー? ゆらゆらと俺たちを取り囲もうとする姿は、その単語に似合わず不気味だ。

 日和子の身体に力が入り、俺を庇うような位置に移動する。


「あたし達の邪魔、しないでよ!」


 日和子が叫び駆け出す、が。


「ぐっ」


 目に見えない速度で日和子が取り押さえられた。日和子が拘束から逃れようともがく。

 焦るな。こういうピンチをこれまで何度も乗り越えてきただろう。俺は日和子を救うべく拳を握る。今なら、出来る。

 だが、それは許されなかった。


「っ、あ――」


 何が起こったか理解するより腹に先に衝撃が来た。そのまま俺は地面に叩きつけられる。呼吸がつまり、頭が真っ白になる。一拍遅れて痛み。ちくしょう、身体を打ち付けると痛い、当然だなぁ、ああ、いてぇ、苦しい。

 俺は自分の手の甲から紋様が引いていくのを見た。俺の中から力が消えていく。戦えない、日和子をもう守れない。

 うつぶせの状態で組み伏せられ、俺はほとんど身体を動かすことも出来なかった。動かせて指くらいが関の山だ。


「足掻いても無駄だよ、君たちが相手にしてきたはぐれヴィランとは違う戦闘のプロだ。……なんていうと、逆に君たちを奮起させてしまうのかな。でもこれは事実なんだ」


 首筋にひやりとしたモノが触れた。その正体を視界に納めずとも、不安と緊張が鼓動を早くした。地に足ついた恐怖だ。自分の死のビジョンがあまりにも明確に見える。

 こつこつ、とこちらに近付く足音。限界まで顔を上げて見たが、さくらは俺に背を向けていた。日和子の方を向いているためだ。


「蘭日和子、君には選択肢が二つある。一つは私たちとともに来て教育を受けること、もう一つはここで殺されることだ」

「脚を切る」


 可哀想に震えた、けれど気丈な声で日和子は言った。静かな空間に投げ出された声は、空気中に波紋を産む。


「この脚切り落としたら、この力とはおさらばでしょ! だったらこんな脚いらないもん!」

「面白い、実際にやって見せて……と言いたいところだけどね、別に君の脚にだけその力が宿っているわけではないよ。全くの無意味だね」


 さくらが呆れている、というポーズを取るようにため息をついた。彼女がしゃがみ込み、日和子の髪を乱暴に掴む。

 やめろ、と叫ぼうとしたところで冷たさが首にしみこんだ。喋るなと行動で示される。


「二つから選びなさい」


 日和子はしばらく何も答えなかった。その時間は永遠かにも思えたし、永遠であればいいと思った。だって日和子の選択を聞きたくなかった。

 耳鳴りがする。静寂が痛い。


「だったら、あたしを殺して」

「だめだ!」


 首に冷たいものが通り、遅れて熱、痛みが来た。それでも言わないといけない。


「だめだ、日和子! それだけは」

「よーくんと一緒じゃないと意味なんてない!」

「それは俺もだ!」


 日和子が死んだら生きている意味なんてない。日和子がいない世界にいる意味もないので死ぬしかないが、死んだからってもう一回会えるわけじゃない。その時点で終わりなんだ。

 だからどうかそれだけは。


「すぐに会いに行くから、どうか、生きて待ってて」


 俺は喉の奥から声を絞り出した。例え声帯が焼き切れたって、それだけは伝えないといけなかった。

 この世界にいるかぎり絶対にもう一度会えるから。例え何が邪魔したとしても巡り会うから。


「……ぜったいに?」

「ああ、俺が今まで約束を破ったことがあったか?」

「……ない、よーくんは、あたしのことが大好きだから」


 日和子が少し笑うのが気配でわかった。そうだよ、その通りだ。お前のことが大好きだから絶対に約束は守るし、悲しませはしないよ。

 さくらが俺たち二人の間に割って入った。


「話はまとまったみたいだね」

「……どこにでも連れて行きな」


 日和子が淡々と言い放った。その声の震えに気付いたのは俺だけだろうか。けれどそれを隠そうとしているのを、俺に全面の信頼を寄せているのを、いっとう愛しく思うのだ。

 俺に覆い被さった男がどき、俺は自由になったが弱い人間の身体はろくに動かない。日和子が腕を引っ掴まれ立たされるのを這いつくばったまま見上げる。


「日和子……」

「よーくん、またね」

「ああ、また、だ」


 わかっているのに視界が滲む。すぐにまた会えるのに、その未来はもはや事実なのに、嗚咽が漏れた。

 男達は乱暴に日和子の腕を引っ張り、夜闇の中へと消えていった。

 あとに残されたのは俺だけだ。弱い、俺だけ。

 俺は声を上げて泣いた。月の見えない空を見上げて泣いた。泣いて、泣いて、それから立ち上がった。

 すぐに、だ。

 俺はすぐに日和子を取り戻してやる。


 ――例え、世界を敵に回しても。

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