飲みかけの缶

奈良ひさぎ

のみかけのかん

 電車に乗って、ちょうど空いている二人席を見つけた時、窓際に飲みかけの飲み物が置いてあるとなんだかそわそわする。新品ではいけない。ペットボトルもいまいちいけ好かない。缶の飲み物、それも酒ではないものが至高だ。


「……キミは、どこから来たのかな」


 知りもしない人間と、少しの間でも一緒にいたのだろうそれに向かって、そんなことを考える。飲み口に口紅がついていたりなんかしたら、十中八九私と同じ女だろうけど、そんなに簡単に分かってしまっては面白くない。缶をベタベタと触って確かめるのもなんだかしゃくなので、窓側の席に座っておいて、そのくせ景色を眺めるふりをしてその飲み物を観察する。奇行に走っていると通路を歩く人に分からないよう、ちらちらと見るのが楽しい。普段はごく普通の会社でごく普通の事務職として働き、人畜無害な人間のふりをして暮らしているのに、見えないところでこんなことをしている。するとなんだか自分が自分でなくなったような気がしてきて、気分が高揚するのだ。


「会社員……あるいは学校の先生だったり、するのかな?」


 それは誰かの忘れ物、しかも口がつけられているのだから、飲み物が忘れられているだけでその席を避ける人だっているだろう。しかし私は、あえてそこを選ぶ。

 飲み物の種類を見れば、持ち主がどんな人間かはなんとなく想像できる。電車に乗った時間帯や車両の位置、自分が乗った駅や座席の温かさ。飲み物の周りに山ほどあるヒントから、推理をする。推理できなくても、妄想するのが楽しい。まさか私のような人に後からどんな人間か素性を予想されているとは思わないだろう。


「なるほど、微糖じゃなくて無糖……センスあるね」


 缶コーヒーが無糖か微糖か、あるいはカフェオレか、そんなわずかな違いがあるだけでも予想は変わってくる。こんな時間にきりりと苦味の立った無糖のコーヒーを飲むということは、眠気を吹き飛ばす必要があるということで。私自身はこれといって特徴のある人間でもないのに、アルミ缶やらスチール缶を通して見る他人の属性はとても面白い。


「今日はコーンポタージュ……」


 毎日日にち電車に乗っていて、そう簡単に飲みかけの缶が窓際に置いてあるのかと思うかもしれない。しかし当然、缶を忘れて降りてしまう人はその時によって違うし、そういうおっちょこちょいな人は世の中にたくさんいる。乗り込んだ車両にはなくても、前後1両ずつでも軽く探してやれば案外簡単に見つかるものである。

 しかしコーンポタージュとは珍しい。冷めると最も不味くなる飲み物の一つと言っていいだろう。早めに飲み切って、さっさと空き缶を捨てそうなものだが、中身が半分ほど残っていた。私が飲むわけではないが、忘れていった人は気の毒だなと思う。


「んー……」


 缶コーヒーやオレンジジュースなら分かるが、コーンポタージュを飲むのがどんな人か、向こう側をのぞくのは難しい。うまく想像できなかったので、そういう日もあるだろうと思って諦める。すると急に眠たくなって、うつらうつらとしているうちに降りる駅に着いた。改札はホームの中ほどにあるが、私はいつも端の方の車両に乗って、少しでも一日の歩数を稼ぐようにしている。そんな物好きは私くらいしかいないだろうと思っていた。




「探しましたよ、『ようやく』見つけました」




 知らないはずの人、だった。



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飲みかけの缶 奈良ひさぎ @RyotoNara

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