咲楽の欠席

「……咲楽、休みなんだ」


 間もなく始業のチャイムも鳴り、先生も教室に来るであろう始業一分前。イヤホンから流れてくるメズマライザーを止めながら悠々自適に教室に滑り込んだ私は席の隣のからっぽの机に気が付き、小さく呟いた。

 そっかぁ、咲楽休みかぁ……やだなぁ……。水筒に入ったスポドリを飲みながら思う。実のところ私の学校生活、いやQOLはかなり咲楽に依存している状態だった。本当に、割と洒落にならないくらい。だって、咲楽以外に下らないことを聞いてくれる友達なんていないんだもん。あんまり人付き合い得意じゃないし。


「ほら、今日も一日始めるわよー」


 先生のくっそ下らない上にかなりどうでもいい話を聞き流しながら私は考える。よく考えたら、咲楽は休みなんてことになればちゃんと私に連絡をしてくれるはず。なのに私のLINEの通知は昨日のお使いの連絡で止まっている。


(まさか咲楽に何かあったんじゃ……?)


 配られた数学の小テストを適当に埋めている最中、私はハッとした。いや、考えれば当然だ。咲楽ほどの美少女ともなれば登校中に突然屈強な男どもに拉致されてそのまま薄い本が分厚くなるような展開になることもとても否定できたものじゃない。

 これは非常にマズい。というかうらやましい。こんなことになるんだったら毎朝ちゃんと早起きして咲楽といっしょに登校するんだった……。あー、今頃あんなことやこんなことされてんのかなぁ……いいなぁ……。

 私は答案用紙を回しながら「やっぱNTRって害悪だわ」という結論にたどり着き、はあ、と小さくため息を吐く。前の席の子が「柚木原さん、どうかしました?」なんて聞いてくるから、いつの間にかみんなの中で勝手にそんなイメージが出来ちゃってて、退くに退けなくなった完璧美少女モードで「ううん、なんでもないです」と私は答える。ふと脳内に「ド級のベン図、ドド・モルガンの法則」なんてことが思い浮かんだが、それを話せる相手は誰もいない。あー無理死ぬ。

 私は1限の古典の教科書を引っ張り出しながら、恨みったらしくまたため息を吐いた。


◇◇◇


「ねえ、あれ……」

「わ、マジの柚木原先輩じゃん……」

「うっわ顔良すぎ……」

「流石に眼福だわ……」


 昼休み。私は1年生のフロアを訪れていた。結局4限までほとんど咲楽のことが気になって上の空で、NTR妄想一日コースというのも流石に心がお亡くなりになってしまうので、今私はこうやって行動を起こしているわけだ。

 目的はただ一人。確か、1-A。私が「失礼しまーす」と若干砕けた先輩系完璧美少女モードで教室のドアを開けると、休み時間で騒がしかったクラスの視線が一斉に注がれる。


「あれ柚木原先輩じゃね?」

「え、ウチのクラスに知り合いとかいんの?」

「誰目当てだよ……」

「あの、氷室くんっている?」

「おい指名入ってんぞ氷室ー!」


 クラスの端の方でバシッとワイシャツを叩く音が鳴ると、背の高い少年が「あ、俺か」と立ち上がった。「どうかしました?」と首を傾げる彼に、私は「話したいことあるんですけど……取り敢えず購買とか行かない?」と声を掛けた。


◇◇◇


 咲楽の1つ下の弟である彼の名前は氷室椿樹つばき

 染めた金髪をツーブロックにした180越えのサッカー部期待のホープであり、その見た目から「女殴ってそう」「絶対DV彼氏」「顔の良さだけで食っていけるカスみたいな顔」などとあられもないことを言われている極めて善良な、かわいそうな少年である。取り敢えず、姉弟揃って顔がいい。


「へぇー、じゃあそれ元カノさんの趣味だったんだ」

「はい。「なんか思ったより堅物だった」って振られましたけど……」

「わー、理不尽だね」

「いや、俺にも至らないところはあったんで……それで、今日は何の御用すか?」


 本題に入るよう促した彼にカクカクシカジカと私の事情を伝えると、彼は「あー」と頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。


「……それ、俺のせいかもしれないっす」

「……?どういうこと?」

「いや、まず結論から言うんですけど、姉さんは風邪です。普通の」

「え?本当に?NTRとかじゃなくて?」

「はい。普通の風邪です。それで、俺学校行く前に姉さんに「取り敢えずスマホしまって寝なよ」って伝えちゃったんす。だから、それで彩花さんに伝え忘れたのかも……」

「……ああー……良かったぁ……拉致監禁超ひどい合意なしとかじゃなくて……」

「らちかん……?……まあ、良かったなら何よりっす」


 そんなことを言って購買の自販機でコーラを買った彼に私はお礼としてあんパンを投げ渡す。「あざっす」と言って片手で受け止めた彼は包装を見て「あ、俺つぶあん大好きなんすよ」と笑う。わー、笑顔めっちゃ咲楽に似てる。かっわいー。


「じゃあ、帰りお見舞いに寄っても良いかな?」

「了解っす。姉さんも喜びます。度々話してるんで」

「……え」


 その時、柚木原に電流走る。

 マズい。あれは咲楽であるから打ち明けてるというか咲楽が好きだから本性をさらけ出してるのであって例え咲楽似の弟にだって明かされるのはちょっとあれだけどでも咲楽が家族に話してるくらいの間柄になれてるとなるとかなり嬉しいようなでもやっぱり恥かしいような……。


「えっと……咲、氷室さんからどんなこと聞いてたりするの?」

「いや、別に普通っすよ。なんかクラスに凄い仲良くしてくれる美人がいるって」

「……ああ、なるほど……」


 良かったぁ、と胸を撫で下ろす私の隣で「先輩ほどの人気者でもそういうの気にするんすね」と彼はあんパンを噛りながら意外そうに言う。授業開始五分前を告げるチャイムが鳴ったのはそんなタイミングで、私達は急いで校舎の方へ戻った。


◇◇◇


「……もう、こんな時間かぁ……」


 ふと目を覚まし、時計を見上げる。午後四時過ぎ。かれこれ8時間くらいは寝ていたんだろうか。額に手を当てると、まだ熱いけどだいぶ熱は下がった感じ。明日は学校行けるかな。

 そんな感じで取り敢えずスポドリでも飲もうと身体を起こした時、指先に熱くなった何かが触れた。「あ」と小さな声が出た。


「……!そうだ、柚木原さん……!」


 朝、柚木原さんに「ごめん、風邪引いたから今日は休む」とLINEで伝えようとしたのだが、どうやら私はその途中で脱落してしまったようだった。


「……明日、謝んないと……」

「へえ、誰に?」


 いつの間にか開いていたドアの隙間から彼女、柚木原さんは「よっ」と顔を見せた。自分では分からないが、多分私は驚き混じりの少し間抜けな顔で出迎えたと思う。


「なんで来たの……?うつしちゃうかもしれないのに……」

「いや、すりおろし林檎でも口移しするチャンスかなと」

「「かも」じゃなくなっちゃうよ」

「冗談。でも、一番の友だちのお見舞いに来るのに理由とかいる?」

「……いらない、けど」

「じゃあ黙って林檎食べててよ」


 そう言って、柚木原さんは私の口にうさぎ型のりんごを差し出してくる。

 ああ、甘いなぁ。

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