金銀妖瞳皇ソウマ

冬空夏海

第1話 トゥマンの恵

 割と温暖な大陸の最東端に太陽の国の二つ名を持つ『ヒノメ』という、封建国家がある。

 東も南も海に面し、それ故に世界の他国から最初に陽が昇る太陽の国と呼ばれているのだが、国の西端となる境には広い大河が走り、北には天高く聳える、人を寄せ付けぬ連なる山々に囲われている為古来から他国の侵略に脅かされる事も少なく、安定して途切れる事なく伝承が続く為なのか、他の国とは違う高度で独自の文化を持っていた。



 この国の封建制度は、国の黎明期の帝の血筋が貴族として崇められて今も頂点に代々帝として祭り上げられてはいるが、それは名ばかりで悠久の歴史の中、帝は常に大義名分のお飾りの存在でしかなく、実際の政など実権は全て時の権力者である将軍家が握っていた。

 しかしその摂政達も世襲の末にやがて権力も衰えると、野心に燃える豪族や太守達が下克上とばかりに戦で世を乱し、武力と財力、そして権力に長けた者が新しい摂政として政権を手にするといった栄枯盛衰を繰り返す国の歴史であった。



 今の将軍家である中地方の名門デラ家が摂政の役に就いてから300年近い時が流れ、一見安定した情勢に見える中、将軍家の力が低下している事は庶民の目にも明らかだった。

 それは近年の気候の乱れによる氾濫や干ばつで国中が疲弊しても、それまでの公財を私欲の贅でとっくに潰しており、何一つインフラの整備を怠っていたのも露見した上に、他の地方太守達からも既に見放されつつあるといった噂が城下町で毎日のように飛び交っていた。



 そんな中、先帝ボースが自然の理によって老いの為崩御し、その息子であるトゥマンが新皇帝の座についた時に、歴史上始まって以来の驚くべき施しがなされた。

 それは、名ばかりの筈の帝が自ら直々に、氾濫した川の治水及び利水の指揮を執り、飢えた領民達へある限りの備蓄穀物等を無償で開放し、更には籠城用の保存食である兵糧までも、被災各地に分け与えたのだ。

 一般の国民、領民達はただの役人達ですら畏まる相手であるのに、太守や将軍家、摂政までも通り越した雲の上の存在である帝の予期せぬ登場に恐れ慄き、まるで神に触れたように畏怖したものだが、当の帝であるトゥマンは決して威厳を振りかざす事もなく当たり前のようにフランクな振る舞いで、偉ぶるどころか現場では作業する職人達と一緒に泥まみれになり、身なりを気にする事なく昼食も皆と共に固くなった古いパンを頬張っている姿に、多くの領民たちは心を打たれ、手を合わせて涙を流すものも少なくなかった。

 やがて半年以上かかった工事を終えた頃、新皇帝のこの評判は既に国の隅々にまで、庶民の熱い敬慕の念と共に口々で広がっていたのであった。


 ヒノメ東北地方であるズイホウを太守として治める、豪族のヒラテ王の居城は堅牢にして質素が常なのだが、この日は燦々と灯りが城下町まで溢れる程、賑やかで明るい笑い声まで溢れていた。

「いや、此度の帝の見事な行動力は流石に私も想像出来ませなんだ。」

 贅とは無縁と一目でわかる、60過ぎても尚無駄も無く引き締まり、しっかりとした意思を持つ輝きをした瞳の男は、そう言って山葡萄のワインを自慢の口髭に注意しながら嬉しそうに喉に流す。

「いや、あんな事が出来たのは全てヒラテ王のご慈悲と協力があっての事、恥ずかしながら私だけでは例え全ての財を投げ打ったところで幾ばくの領民ですら救う事等出来ませんでした。」

 40半ばだろうか、凛々しさ以上に情深さが溢れる精悍な顔立ちは、恐らく誰が見ても善人と認識する人柄に溢れているこの男は、そう言うと深々とヒラテ王に頭を下げ礼をした。

「トゥマン様!皇帝が私めにそのような真似はどうぞおやめください!」と慌てて老太守が遮ると、またいつもの事かというように、皇帝から信頼され常に付きそっている侍中が呆れたように微笑んだ。

「ヒラテ殿はトゥマン様にとっては父のようなお方、我が帝が礼を表すのは当然の理ではございますが・・・とはいえこの国の理としては太守は帝を敬うもの。」

 ならば、と、二人に向かって芝居じみた大げさな手振りで続けた。

「解決策は簡単でございます、先ずはヒラテ様を宰相とするが宜しいかと。さすれば帝の側近として時には叱咤激励も必要とされる高いお立場になられるものを」

 そのセリフにニヤリと笑い、ヒラテが皮肉を零す。

「宰相とは官職の中でも侍中にあるシキ殿、そなたの役職であろうが。最も宰相も帝も名ばかりで、己が権力に利用するだけの将軍家の道具にされておるようだが?」

「おやおやこれはズイホウ太守ヒラテ王、うっかりでも外に漏れたら危険な発言ですぞ?そもそも将軍家が大手を振る摂政という役職は、あくまでも幼君等が成人になるまでの、後見人のかりそめの政でしかない官職の筈などとは我が身が怖くて私にはとてもとても言えません。」

 この壮大な皮肉に、広間は屈託のない王や部下たちの笑い声が弾けとんだ。

「昔からシキ殿は聡明で利発ではあったが更に弁が立つようになったようで、さぞかしトゥマン様の厨房では舌が回る油料理が多いのであろうな。」

「それはおかしいな、我が宮廷ではヒラテ王に習って贅沢を諌め、油や肉も控えておる筈だが。」

 二人から愛ある弄りを受け、嬉しそうにシキは盃を空けた。

 お飾りとは言え宮中では代々まっとうに伝統と共に教育も職務も引き継ぐ為秀才が多く、元は貴族のみの世界だった文官も、時の摂政から貴族減らしの政策もあって、庶民が高度な試験を経て官職に就けるようになったのだが、このシキは資格年齢ギリギリの12歳にして

 宮中始まって以来の満点を試験時間四分の一以下で悠々と終えて帰った天才であった。

 白眉なるこの少年は鬼才溢れる仕事ぶりで時の帝ボースの目にとまり、皇太子であるトゥマンと歳が近い事もあり大変気に入られ、若くして侍中として皇太子の友であり教育係として取り立てられたのだった。

 切れ長で思慮深く、常に落ち着いたような感情の読みづらさを感じさせる瓜実顔のこの男の出自は貧しい農家で、圧政を強いる愚王の政策がどれだけの民を苦しめるのかを常に危惧していた。

 その為、政の実権を奪われてはいても、帝となるトゥマンには民を想う心と仁政の大切さを教え、トゥマンも聡明なるシキの言葉一つ一つを心に刻み育ったのだ。

 それが形となり実を結び、先の災害で将軍家への根回しなど気にもとめずに、危機に瀕する民の為に身を投げ打ったトゥランの行動とその志に、シキの胸は熱くなった。

 そして忘れてならないのがヒノメに於いて最も仁政を敷いているズイホウ太守のヒラテ王である。

 シキもまだ若い頃にヒノメ国中の行政を見聞した中で、飛び抜けて領民を大切に重んじる国が目にとまった。それがズイホウであり、ヒラテ王だった。

 シキはすぐにヒラテ王へ丁重な文を出して時間をかけ信頼を繋げると、トゥマンを紹介して良き先生、良き父としてトゥマンの仁政の糧とした。

 そして強い絆で結ばれたヒラテ王は、実り豊かな領地にすべく民の為の善政と、予てより贅を禁じていた幸により大量の備蓄された穀物類や自国の財、更には領土各地の城内の兵糧まで全て、【苦しむ国民を救いたい】という、トゥマン帝初めての政を全力支援したのだ。

「こんな帝がヒノメの政を全て仕切ってくれるなら、俺なんかも安心して国元で親の畑仕事を継いでいたのにな。」

 今もまだ続く明るい祝宴の中、シキは荒廃して貧しさの末に亡くなってしまった親や故郷を思い出し、一人離れた窓辺で月に向かって献杯をした。


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