第21話 西洋の香りがする女性

 そのとき、澄香たちの前をひとりの女給が大股で通り過ぎた。


 そして店の入口で仁王立ちになると――。


「――っちょっと待ったぁぁ~~っっ!」


 そう叫んだのだった。

 声の主を見ると、短い髪に黒目がちな瞳をした先ほどの女中が、明莉を指差し睨みをきかせている。


「――は? 女中ごときがわたくしになんていう口のきき方をなさるのかしらッ?」

「これはこれは失礼いたしました、お客様。ひとつお尋ねさせてください。そちらのリボン、どちらのものでしょうか」

「……どちらのものって、どういう意味よ?」

「製造国、でございます。お客様のものであるのでしたら、当然把握なさっているかと」

「……し、知らないわよッ。プレゼントでいただいたものだから」


 明莉の目は完全に泳いでいる。


「そうでしたか。では、どなたからいただいたものなのか、教えていただけますか? わたくしたちの方で、その方にご連絡させていただきますので」

「ど、どうしてそこまでしなきゃいけないのよッ!」

「……ということは、お客様ほどのおキレイでお上品な方が、誰ともわからない人間からもらったものをお使いになっているということですか?」

「……グググ……」


 明莉は顔を歪め、歯を噛み鳴らしている。


「明莉さん、僕も知りたいですな……。もしそれが男性であったのならば、聞き捨てならないですし」

 

 背後で愉快そうに成り行きを見ていた白河が口を挟んだ。


「――何よッ、こんなもの! そんなに欲しいのなら、お姉様にくれてやるわッ!」


 明莉はシュルシュルっとリボンをほどくと、ゴミでも捨てるかのように放り投げた。


「おっとぉ……」


 近くにいた白河はそれをキャッチすると、いまだ立てずにいる澄香に近づき膝を曲げて手渡した。


「……澄香さん、近いうちに、また」

「……えっ?」


 白河は澄香にだけ聞こえるように囁くと、ロイド眼鏡の縁を指でキュッと持ち上げ踵を返した。


「澄香ぁ~! よかったぁ~!」


 ハチ香が半べそをかきながら抱きついてきた。


「澄香……」


 流唯が膝を折り、心配そうに澄香の顔を覗き込む。


「旦那様……お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳――」


 澄香の唇は、流唯の人差し指で塞がれた。


「もうそれ以上、言うな。分かっている」

「――はい……」


 流唯は澄香の背にそっと腕を回して立たせると、優しく抱きしめた。


「コ、コホンッ!」


 振り向くと、先ほどの女中が黒目がちの瞳を左右に動かし、ふたりを交互に見ている。


「あっ……さ、先ほどは本当にありがとうございました!」

 

 澄香は深々と頭を下げた。

 この人がいなかったら、大事なリボンは戻ってこなかっただろう……


「――あぁ、芽唯めい、さっきはありがとうな」


 流唯は照れくさそうに、ぶっきらぼうにそう告げた。

 芽唯と呼ばれた女性は、そんなことよりも早く、と肘で流唯の脇腹をつついている。

 あの……、と不思議がる澄香。


「あぁ、澄香。紹介がまだだったな。彼女は鬼京芽唯。俺の妹だ」

「――い、妹さん?!」

「初めまして、澄香ちゃん! 兄さんがお世話になっています!」


 そう言うと芽唯は自然な動きで澄香に近づき、少女の頬に自分の頬を当て、チュッと音を立てた。


「――っ?!」

 

 突然のことに驚いた澄香は反射的に頬を押さえて後退あとずさりするも、失礼だったかもしれない、と慌てて一歩前に出た。


「おいおい芽唯! そんなことをしたら、澄香が驚くだろ? ここは西洋ではない。皇國なんだぞ?」


 流唯は声を尖らせる。


「ヘヘッ、澄香ちゃん、ごめんね。あなたがあまりにも可愛らしくて、つい……」

 

 芽唯は組んだ両手を頭の後ろに当てたまま、澄香に向かってバチンと片目を閉じてみせた。


「……すまん、澄香。こいつは長いこと海外で留学生活を送っていたせいか、やや西洋かぶれしている節がある。失礼な態度を取ることもあるかもしれないが、どうか許してやってほしい……」


 流唯はそう言いながら、顔の前で片手を立てる。


「いえ、そんな……こちらの方こそ、至らないところがたくさんあるかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 澄香は芽唯に深々と頭を下げた。


「そんな堅苦しくしないでいいよ、澄香ちゃん。兄さんから聞いたよ、前にも来てくれたんだってね。残念ながらその日は私、お休みだったんだ。年も近いことだし仲良くしようね」


 芽唯は澄香の肩を抱いて顔を覗き込むと、形のいい唇から白い歯を覗かせて微笑んだ。


(――キレイな人……黒目がちの大きな瞳と艶のある黒髪……旦那様とよく似ているわ。背が高くて足が長いところも同じね……)


 澄香が芽唯に見惚みとれていると、後ろで流唯の声がした。


「ところで、芽唯。先ほどの手腕は見事だったな。よくあんな方法を思いついたな」

「あぁ、それね」


 芽唯はくるりと身体の向きを変えると、流唯の肩に手を置いた。


「あぁいう無駄にプライドの高いお嬢様には、正攻法でいってもダメ。絶対に非を認めない。あのタイプには、下からおだてていった方がいい。プライドをくすぐりつつ、ボロを出させる。これ、鉄板!」

「……そういう手法は、いったいどこで学んだんだ? それも西洋か?」

「やだなぁ、兄さん。ここだよ! このレストラン! ここにはああいうやからが来る日も来る日もやって来る。正面切って相手していたら、こっちの身が持たないからね」

「確かに、そうかもしれないな」


 流唯は呟く。


「あの……芽唯さんは、なぜこちらのお店に?」

 

 どうしても気になり、澄香は尋ねる。


「留学していたのは、将来的に鬼京百貨店の経営に携わるためだったんだ。帰国して、まずは百貨店の各売り場で働いてみて、経験を積むことに決めたんだよ。お客様対応も学べるし、現場のさまざまな声を上層部に伝えることもできるしね」


 そう言うと、芽唯は細くて長い指で前髪をかきあげた。


(なんて素敵な方。そしてなんて素晴らしい人生なのかしら……それに比べて、わたしは……)


 澄香はしもやけのできた手をさすりながら、納屋で残り物を食べていた自分を思い出し、黙ってうつむいてしまう。


「ところで、澄香ちゃん」


 明るい声に呼ばれ、澄香は頭を上げる。


「なぜ兄さんが、あの白いレースのリボンを澄香ちゃんにあげたか、知ってる?」


 澄香が首を傾げると、後ろで流唯の、おいよせ! という慌てふためいた声が聞こえた。


「フフッ……じゃあ兄さん、自分の口からちゃんと伝えてあげなよ。私はいい加減、仕事に戻らなきゃ。澄香ちゃん、会えて嬉しかった。またね!」


 笑顔で手を振ると、芽唯は長い脚を弾ませて店の奥へと戻っていった。


「……まったく、あいつには叶わないな」


 流唯は額に手を当て、ふぅーっと息をつく。


「あの……芽唯さんは、鬼京家のお屋敷には住まわれていないですよね?」

「あぁ、あいつは独立心が旺盛だからな。ひとり暮らしをしている」

「……!」


 年頃の女性がひとりで暮らす、それは気苦労も多いことだろう。

 

「本当に、カッコいい女性ですね……」


 澄香はスタッフに笑顔を向けている芽唯を、眩しいものでも見るかのようにしばし見詰めていたが、澄香、という柔らかい声に我に返る。

 

「ここの屋上には小さな庭園がある。ちょっと行ってみないか」

「はい」


と、そのとき、ふたりの間に小さな頭が割り込んできた。

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