第17話 鬼神の真実

「『どういう意味』って、そのまんまの意味よ。頭が悪いわねッ! お姉様が嫁ごうとしている鬼神は花嫁の寿命を奪うってことよッ! 何も知らずにお気の毒なお姉様ァ~」


 明莉は可笑しくてたまらないというように、いまや身体をのけ反らして大笑いしている。


「まぁ、せいぜい残りの人生を楽しむといいわ! 無能で引きこもりのお姉様ァ~」


 歌うようにそう告げると、明莉は腰を振りながら御不浄を後にした。

 明莉が立ち去った途端、澄香はへなへなとその場にしゃがみ込む。


(――『鬼に喰われる』、『寿命を奪われる』……いったい、どういう意味なの……?)




◇◇◇


 その日、本社に再び戻った流唯は、堂元から『澄香様のご様子がおかしい』という報告を受けた。

 百貨店で澄香と別れる前、流唯は堂元に澄香を鬼京家まで送るよう指示を出していた。

 堂元によると、澄香は百貨店の入口で流唯を見送った後、いったん店内に戻ったらしい。しばらくして姿を見せたときには、顔は青ざめ、足取りはおぼつかなかったという。車内でも終始無言であり、時折何かを呟いては頭をぶるると振る様子も見られたそうだ。


(俺と別れた後、澄香に何かあったことは間違いない。誰かに遭遇して何か言われたのか……)


 流唯はいてもたってもいられず、本社でのトラブル対応を早々に済ませると、自宅へと急いだ。

 玄関を入るなり、多江が廊下をパタパタと急ぎ足で歩いてくるのが目に入った。

 胸騒ぎを感じ、どうした? と尋ねる。


「澄香様が、夕餉をまったくお召し上がりにならないのです……。『食べたくない』とおっしゃって……今はお部屋でお休みになられています」


 多江はため息まじりに告げた。

 流唯は着替えもせず、そのまま澄香の部屋へと向かい、トントンとドアを叩いた。

 ――が、返事はない。


「澄香、寝ているのか? 具合はどうだ。少しだけ顔が見たい……開けてもいいだろうか……」


 最後の方は“我ながら自信なさげな声を出していたな”と思いつつ、流唯は返事を待つ。

 しばらくして、どうぞ、というか細い声がした。

 流唯がそっとドアを開けると、ヘッドボードに背中を預け、なんとか座っているといった状態の澄香が目に入った。

 澄香のすぐ隣では、ハチ香が金色の瞳を光らせこちらをじっと見ている。


「澄香……近くに行っても、構わないか」

 

 こくんと頷く澄香に、流唯はホッと安堵する。

 考えてみれば、澄香の部屋に入るのは初めてのことだ。


「夕餉を食べなかったそうだが……どこか痛むのか? それとも熱があるとか…?」

 

 額に手を当てようと流唯が腕を伸ばした瞬間、澄香はビクッと身体を震わせた。


「……すまん……こんな夜遅くに男が女性の部屋に入るだなんて、無神経だったな。多江に胃に負担のかからないものをこしらえさせよう。後で部屋に届けさせるから、せめてひと口だけでも食べておくれ……。そして、ゆっくり休むといい」

 

 流唯がきびすを返し、部屋を出ていこうとしたそのときだった。

 ウッウッとむせび泣く声が、背後から聞こえてきた。

 振り向くと、澄香が身体を二つに折り曲げるようにし、ポタポタと涙をこぼしているではないか。

 流唯はナイトテーブルの上にあったティッシュ箱を手に取ると、澄香のすぐ隣に腰掛け、背中をゆっくりとさすり始めた。


「――よしよし……澄香、どうした? 俺が側にいるから、何も心配はいらないよ。俺がおまえを守ってやるから……」


 優しくそう囁くと、あろうことか澄香の嗚咽おえつはますます激しさを増した。


(これは、逆効果だったか……。澄香は俺のことがまだ怖いのかもしれない……)

 

 そう思い、ベッドから腰を浮かせようとしたその瞬間。

 澄香が流唯のジャケットの裾を強く引っ張った。


(……まだ隣にいても大丈夫そうかな)


 流唯はふたたび腰を下ろすと、澄香の気持ちが落ち着くのを辛抱強く待つ。

 しばらくして、隣からぽつりぽつりと声が聞こえてきた


「――旦那様、ごめんなさい……。ご心配をおかけしてしまって……本当にごめんなさい」


 澄香は項垂うなだれたままである。

 流唯は返事の代わりに澄香の手を優しく握る。


「――わたし、自分のことは信じられないけれど……旦那様のことは信じられる。そう思っていたのです。それなのに……」

「……『それなのに』?」


 流唯は優しく先を促す。

 澄香はそこで大きく息を吐くと、ひと息に続けた。


「旦那様、旦那様がわたしの寿命を奪うおつもりだというのは、本当なのでしょうか……」


 流唯は大きな石でふいに後頭部を殴られたかのような激しい衝撃を受けた。


「……」


 言葉を発することができず、ただただうつむく流唯。


「……旦那様ぁ……本当のことを、教えてください……」


 澄香は両腕を伸ばし、泣きながら青年の肩を強く揺する。

 流唯はそんな澄香の腕を優しく下ろすと、わかった、と呟き立ち上がる。

 そのまま窓辺へ向かうと、カーテンをそっと指で押しのけ、窓の外に広がる暗闇に目をやったまま語り始めた。


「……ちまたで俺が『冷酷な鬼神』と呼ばれていることは、おまえの耳にも入っているだろう?」


 澄香は一瞬ためらいを見せた後、首肯する。


「おまえがこの家に越してくる前、何十人にも及ぶ花嫁候補がこの家にやってきたのだが……彼女たちはみんな『恐れをなして泣きながら逃げ帰った』と聞いたのではないか?」

「……はい」

「あの女性たちがみんな泣きながら逃げ帰ったというのは本当だ。ただ、俺を恐れて泣いたわけではない」

「――え……?」


 澄香は思わず顔を上げて流唯を見る。


「おまえも覚えているだろう。初めて会ったとき、俺はおまえの顔を見ようともしなかった。それは他の女性たちに対しても同じだった」

「……それは、なぜですか?」


 流唯はそこでいったん言葉を切ると、ナイトテーブルに置かれているウォーターピッチャーを手に取り、横にあるグラスに水を注いだ。

 そして一気に飲み干すと、再びカーテンの隙間から暗闇に目を投じるのだった。


「それは……顔を見て……その人の雰囲気をこの目で捉えることで……ほ、惚れてしまわないようにするためだ――」


 流唯はそう言うと、カーテンを掴んでいない方の手でその美しい髪をくしゃくしゃとかきあげた。


「――それは……お相手を好きにならないために、わざと顔を見なかったということでしょうか」

「そうだ」

「……なぜ花嫁候補を好きになってはいけないのですか?」

「それは――」


 ゴクリ、と流唯が唾を飲み込む音が部屋中に響き渡る。


「お、俺が惚れてしまうと……相手の寿命を奪ってしまうからだ……」

 

 流唯はそう言うと、再びウォーターピッチャーを手に取り、グラスに荒々しく水を注ぎいれる。

 ごくごくと喉を鳴らす音。


「花嫁の寿命を奪わずに済む方法、それは相手に惚れないことだ。惚れないためには、相手を見ないのがいちばんだ……」

「――だから……だから最初の頃、お食事の席も横並びだったのですね……」


 澄香は顎に手を当て、これまでのことを振り返っているようだった。

 そして、ふと気付いたかのように言葉を継いだ。


「では、これまでの花嫁候補の方たちは、旦那様がお顔も見てくださらないし、冷たい態度を取り続けてらっしゃるという理由で、泣いて逃げ帰った……ということでしょうか」

「……ああ、そういうことになるな」


 すると澄香は、顎に手を当てたまま小首を傾げると、眉尻と口角を下げ呟く。


「……たったそれだけのことで逃げ帰ってしまうだなんて……」

 

 流唯は弾かれたように顔を上げ、尋ねる。


「おまえはあの頃つらくはなかったのか? 一度も逃げたいと思わなかったのか?」

「……つらくはなかったです。ただ、なんでだろう? とは思っていましたが……。それに、逃げたいと思ったことなんて一度もありません。むしろ、いつ追い出されるだろうとヒヤヒヤしていました」


 澄香はそう言って、肩をすくめて見せた。


(やはり、この子は特別だ……)


 流唯は澄香の隣に駆け寄りたい気持ちに駆られるも、「まだ話は終わっていない」とひとりごち、その場に留まる。

 ややあって澄香が、でも、と切り出した。


「『好きになってしまったら花嫁の寿命を奪う』って……旦那様が心の中で『好きだ』と感じだら、その瞬間に相手の寿命が減ってしまうということ……ですか?」

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