第12話 初めての贈り物
◇◇◇
(――まったく、あの子にいらぬ心配をかけてしまったな……)
部屋に戻り着流しを脱ぐと、左肩に貼っていたガーゼから血が
「くそっ、腕が落ちたか」
そう呟くと、流唯はベッドに腰掛ける。
(あれから3年か……。3年も戦わないと、やはり鈍るのだな)
痛む左肩をかばうように、流唯は右側を下にして横たわる。
「早く……早く終わらせたい……。澄香――」
目に浮かぶのは、今にも目の縁から大きな雫をこぼれ落とさんばかりの澄香の顔であった。
「悲しい顔じゃなくて、もっともっと、笑顔にしてやりたいのに……」
◇◇◇
翌朝、澄香がダイニングルームのドアを開けると、そこには既に流唯の姿があった。
「――旦那様! もうお加減の方はよろしいのですか?」
澄香は目を潤ませながら、流唯の頭の先から爪の先まで視線を何往復も走らせている。
「あぁ、もうすっかり元気になった。心配をかけたな」
そう言って微笑む流唯の頬は、昨日の朝とは違いバラ色をしている。
「さぁ、食事にしようか。今朝も
そう言って流唯が箸を手にしたそのとき――。
――グルグル、キュー!
派手な音が部屋中に響き渡った。
部屋の隅では、ハチ香が皿に突っ込んでいた頭をもたげ、きょろきょろと辺りを見回している。
「……も、申し訳ありません……」
澄香は真っ赤な顔で、胃のあたりを押さえている。
「――なんだかホッとしたら急にお腹が空いてきてしまって……」
穴があったら入りたい! と
そのときだった。
澄香は自分の頬が大きな手の平で包まれるのを感じた。
えっ?! と驚いたその瞬間――。
流唯の唇が、澄香の頬を優しく撫でた。
「――!!!」
たった今、自分の身に起きたことがわかっていない澄香は、ただ呆然と
とにかく頬が、耳が、熱くてたまらない!
そんな澄香を流唯は熱い眼差しで見詰めている。
「澄香……俺はおまえが可愛くて、愛しくてたまらない。このままずっとこの家に――俺の隣にいてくれないだろうか」
鼓膜を優しく叩く声に、澄香は声の主の方に視線を移す。
黒曜石のように輝くアーモンド型の瞳。耳から肩にかけて流れるようなラインを描いている美しい黒髪。そして、先ほど頬を撫で、愛しいと言ってくれた形のよい唇。
(こんなに美しくて立派な方が、わたしなんかを……?)
これまで家族や級友たちから
鬼京家に越してきたときも、ここの人たちから優しくしてもらいたい、良くしてもらいたいなどという気持ちは一切持ち合わせておらず、ただここに置いてもらえるだけで心の底から有り難いと思っていた。
自分が嫁ぐことになるやもしれぬ次期当主の若君に限っては、
「……」
何も言わず、瞳を揺らす澄香。
「――すまん、急にこんな話をして……。澄香、急がなくていい。俺がおまえに
流唯はそう言って少女に微笑みかけた。
(旦那様……『旦那様がわたしに相応しい男性かどうか』ではないんです。わたしが旦那様に相応しい女性ではないんです……)
澄香の心の声は流唯に届くことなく、ステンドグラスから差し込む陽光に溶けていく。
「それから、これを……」
流唯は
なんだろう? と思いながら包みを開けると、中から美しい白いレースのリボンが出てきた。
澄香が通っていた女学校でも、レースのリボンを付けている級友は少なくなかった。
だが、いま澄香が目にしているリボンは、級友たちのそれとは明らかに質感が違っていた。
レースの模様がきめ細かく、ひと目見て職人の繊細な手作業によるものだとわかる。
「旦那様、これは……?」
「あぁ、おまえによく似合うのではないかと思ってな。よかったら、使ってくれ」
「……あ……ありがとうございます! 大切に使わせていただきます!」
澄香は白く輝くリボンから目を離せずにいる。
「……気に入ってもらえたなら、よかった」
流唯はひとりごとのようにポツリと呟く。
そして食後に出されたお茶をひと口すすると、澄香、と再び口を開いた。
「明後日の日曜日、空いているか?」
「はい、特に用事はございませんが……」
鬼京家での澄香の仕事といえば、朝餉の支度と、自分とハチ香の昼餉の準備、そして自分の部屋の掃除のみである。
空き時間には、女学校時代に使用していた教科書を引っ張り出して勉強をしたり、スケッチブックに風景画を描いたりしていた。
3年前に自分を救ってくれた美青年が――いまだ本人に確認できてはいないものの――流唯だと確信して以来、澄香はあのときの青年を描くことはなくなっていた。
(わたしのヒーローは、もう眼の前にいる――)
そんなふうに感じていた。
「そうか、では“鬼京百貨店”に行かないか。美味い洋食をご馳走しよう」
流唯がそう言って片方の目をつむってみせると、長いまつ毛がゆらり揺れた。
――ドキンッ!!
魅惑的な流唯の仕草に、澄香の心臓はひとつ大きく跳ねる。
(旦那様と一緒にいると、本当に心臓がもたないわ……)
一瞬にして赤く染まったであろう頬を、澄香は必死に手の甲で冷やす。
かくして、澄香と流唯が初めてふたりきりで出かける日がやってきたのだった――。
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