第10話 “鬼”というもの

 何か言わなければ、と感じた澄香は、先ほど飛んできた紙飛行機を指差しながら口を開いた。


「――そ、その紙飛行機のようなものは、何ですか?」


 澄香の問いに冷静さを取り戻したのか、流唯は、あぁこれか、と再び紙飛行機を手に取る。


「これは“式”だ。式というのは、まぁ呪術の一種だな。これもよく見てみると紙飛行機ではないぞ」


 そう言うと、流唯は“式”なるものを澄香の眼の前にかざした。


「――ひ、人型!」


 ひぃ、と澄香は上体を反らせる。


「ハハ、驚かせてすまん。そう、これは人型だ。炊事担当の者が式を使い『今朝の卵焼きは、お嬢様がすべておひとりでこしらえたものになります。他のすべてのお料理も、お嬢様が手伝ってくださいました』と知らせてきてくれたのだよ。給仕担当と炊事担当は違うからな。おれは炊事担当の顔は知らない」


 確かに給仕はお多江さんが担当されているわ、と澄香は納得する。


「鬼京家の使用人の方たちは、みなさん式が使えるのですか」


 澄香の問いに、流唯は首肯する。


「ということは、皆さん“鬼”なのですか?」

「いや、そんなことはない。様々な種類のあやかしが働いている。厳密に言えば、半分あやかしで半分人間の“半妖”だがな。例えば、おまえの世話係であり給仕担当でもある多江は、の半妖だ」

「……あ、あひるの半妖……! 全く気付きませんでした!」

「ここで働く半妖たちはみんな、両親のどちらかが人間であることから、一見するとふつうの人間の姿をしている。ただし、体のどこかに、あやかしの特徴を備えている。多江についていえば“足”だ」


 澄香は廊下をパタパタと音を立てて歩いている多江の姿を思い浮かべ、あっ! と声を上げた。


「足のヒレ、ですか?」

「そうだ。俺たち“鬼”も半妖なのだが、見た目に鬼の特徴は現れていない。なぜだが分かるか?」


 澄香は必死に頭を働かせるも、答えが出ずに首を横に振る。


「鬼は妊娠が判明したときに“生まれてくる子の容姿に鬼の特徴が現れてはならない”という呪術をかけているからだよ。鬼というのはこう見えて美意識が強いんだ」


 流唯はそう言うと、ハハハッと声に出して笑った。


(そんな呪術をかけることができるだなんて、さすが最強のあやかしね……)


 澄香は感嘆のため息をつく。

 そして次の瞬間には、ある疑問が自然と口をついて出ていた。


「……その、鬼のつがいは必ず人間でなければならないのですか?」


 流唯は、あぁ、と頷くと言葉を継いだ。


「俺たち“鬼”は元来、計り知れないほどの霊力を有している。この皇國で、人間たちや他のあやかしたちとある程度の調和を図って生きていくには、その力を押さえる必要がある。だから、人間との間に子を設ける――まぁ、これは名目に過ぎないと俺は思っているのだがな」


 そこまで言うと、流唯は少し声を潜めた。


「――鬼同士の間にできた子供というのは、見た目がだな……鬼そのものになってしまうそうなんだ。鬼そのものだから“容姿に鬼の特徴が現れてはならない”などという呪術も効かないらしい。試行錯誤を繰り返した結果、人間との間にできた子供に呪術をかけるのが、もっとも見目麗しく生まれやすいということがわかり、これが慣わしとなったそうだ」


 流唯は、おかしいだろう? というように、目を細めて澄香に笑いかけた。


(確かに、本当に見目麗しいわ……)


 澄香は黒曜石の様に輝く流唯の瞳に吸い込まれそうになりながら、そうなんですね、と短く答える。


「話が少し逸れてしまったな」


 流唯はコホンと軽く咳払いをすると、再び口を開いた。


「ここで働いているあやかしたちは誰でもみんな、式を飛ばせる――ということは、これはそこまで高度な呪術ではないということだ。人間でも使える者は使えるしな」


 流唯の返答に、澄香はハッとする。


(そうだわ、あの人たち――明莉たちもみんな霊力を有していたわ。きっと式も使えるに違いない……。わたしったら自分が無能だからって、なんて馬鹿げた質問をしてしまったのかしら)


 恥ずかしくなり俯きかけた澄香だったが――。


「おまえが美味い卵焼きを食わせてくれたから、今日はいつもの倍、いや3倍仕事を頑張れそうだ! 澄香、ありがとう」


 鼓膜を優しく叩く流唯の声に、澄香は笑顔を取り戻す。

 ステンドグラス越しに差し込む朝の光が、ふたり――と一匹――を暖かく包みこんでいた。




 翌朝、台所に入るやいなや、澄香は千代に声をかけた。


「お千代さん、おはようございます。昨日は旦那様に式を――」

「あー! ごめんよ、余計なお世話だったかねぇ」


 千代は澄香の言葉を遮って、続ける。


「あれはもちろんお嬢様のためでもあったのだけど、若旦那様のためでもあったんだよねぇ~。ほら、若旦那様は小さい頃にお母様を亡くされているだろ? だから“愛のこもった手料理”ってものをあまりご存知ないっていうかねぇ……。まぁ、あたいだって愛情をこめてこしらえているつもりなんだけど、やっぱりそこは違うんだろうからねぇ」

「――小さい頃にお母様を?」


 驚く澄香を見た千代は、あらご存知なかったんですかい? と弱った顔をする。


「喋っちまったもんは仕方がない。えぇ、そうなんですよ。若旦那様のお母様はご自分でお命を絶ってしまわれてね……。あぁ、いくらなんでも喋り過ぎだね、ほんとにあたいの口ってばペラペラと……」


 千代は自分で自分の口をペシペシと叩いている。


(旦那様のお母様も、ご自分の命を……)


 残酷な偶然に、澄香は呆然とする。


「さぁさ、お嬢様! 今朝はどんな“愛のこもった手料理”を若旦那様にお出ししますかい?」


 千代の大きな声に、澄香はハッと我に返ったのだった。

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