第18話 別荘地

 セミの声が響いていた。

 樹木の背が高いからか、町中と比べると遠くから聞こえてくる気がした。

 ツバサは緑が視界を占める中で、ゆっくり深呼吸する。木と土の匂が体中に広がった。


「綺麗な場所だな!」

「地域全体がイギリスっぽい」


 車から飛び出すように降りたのは俊介だ。

 綺麗に小麦色に焼けた肌の彼が緑に溢れた場所にいると、さながら田舎のガキ大将のようだ。

 ガキ大将にしては上品すぎる服装で俊介はキョロキョロと周りを見回していた。

 龍之介は車窓から見える景色の感想を顎に手を当てながら口にする。


「洋風な建物が多いね」


 ツバサも同意するように頷いた。

 この別荘地区に入ってから、建物も含め雰囲気がガラリと変わった。

 煉瓦作りの洋館や小洒落たログハウスが多く、目を奪われる。


「オシャレなカフェがあったから、行ってみない?」

「面白そうね」

「ち、ちょっと緊張する」


 目ざとくお店までチェックしていたさくらは早速、女の子たちに提案する。

 悠里は頷き、紗雪は緊張からか胸元に手をあてていた。

 長時間の移動を終えたばかりだというのに、バテているのはツバサだけのようだ。


「みんな元気だね……」

「はは、移動は多いからね」


 体を伸ばしながら皆の様子を眺めていたツバサは苦笑しながら呟いた。

 男女それぞれに盛り上がる様子を呆気にとられながら見つめる。

 車から降り、別荘に一度顔を出した海斗が戻ってきていた。


「それにしても大きい別荘だね」

「祖父がこの場所を気に入って建てたみたいだね」


 ツバサは朝倉家の別荘を見上げた。

 門は山の下にあり、そこからは数分イギリス式庭園を両脇に眺めつつ進んできた。

 そして、この車止めつきのロータリーである。

 まったく、いつの時代だとツバサは言いたくなった。


「荷物運ぶよ?」

「わたしも手伝う」


 海斗がスマートに女子たちの荷物へ手を差し出す。

 女の子は荷物が多い。服装をかさばるものがあるし、化粧品なども種類が多くなる。

 海斗が持ったのは、もちろん、許婚である悠里の荷物。

 ツバサはその隣の荷物を手に取った。


「ありがとう、海斗くん」

「わ、嬉しいな」


 ツバサが持った荷物は紗雪のものだったようだ。

 隣を歩きながら海斗たちについていくように足を進める。

 後ろから見ても、海斗と悠里のバランスは完璧だった。

 喜んでいいのか、悔しがるべきなのか。

 この頃、湧き上がる感情をツバサ自身持て余していた。


「ちょっと田中と宮本も手伝いなさいよ」

「えー、俺のじゃないのに」

「ほら、やるぞ」


 残った荷物はさくらが俊介と龍之介を捕まえて、運ばせている。

 文句を言いながらも動く姿は長年の付き合いを感じさせた。

 肩に荷物をかけながらさくらたちが動き始めると、その後ろでゆっくり車が動き始める。

 波乱の予感しかない旅行が始まった。


 まず通されたのはホール。

 家にホールがあるのも驚きだが、その大きさにもツバサは開いた口が塞がらなくなりそうだった。

 海斗と悠里が男子部屋と女子部屋の確認に行っている。


(着替えだけかなぁ)


 ツバサの気がかりといえば、それくらいだ。

 幸いなことに上流階級の子息たちは、あけっぴろげに体を見せつけ合ったりはしない。

 着替えも素早いし、今のところ見る羽目にも見られる羽目にも陥っていない。

 だが少人数でもそれが適応されるかだけが心配の種で、ツバサは小さなため息をついた。


「まだ、調宮さんとあまり話せてないの?」

「テストとか、色々重なっちゃってね」


 ツバサのため息を聞きつけた紗雪が心配そうに尋ねてくる。

 ツバサは苦笑交じりにそう答えた。


「つ、調宮さんも話したいと思ってると思うよ」

「ありがとう。そうだと嬉しいな」


 これほどまでに長い間、悠里と話さないことがあっただろうか。

 初等部で転校してきてから何だかんだツバサの隣には悠里がいた。

 それはツバサ自身が彼女の隣を望んだからで、悠里がそれを許してくれたからだと今更気づく。


「紗雪ー、大丈夫?」


 途切れた会話にさくらの明るい声が入り込む。

 紗雪はわずかに体をさくらに向けると、朗らかに笑いながら頷いた。


「うん、ツバサくんが持ってくれてるから」

「たまには役に立つじゃない!」

「あはは、これくらいはね」


 俊介たちに荷物を運ばせたさくらは、紗雪の隣に来るとツバサを見て、にっと口角を上げた。

 ポンポンと背中を軽く叩く。その仕草はステージの上で、ダンス踊っている時とは正反対だ。

 ぐっと首に腕を回されると内緒話をするように顔の距離が近くなった。

 紗雪が不思議そうに首を傾げている。


「柚木、いい加減、ケリつけなさいね」


 ぼそりと告げられた言葉にツバサは目を丸くした。

 さくらを見れば、生暖かい視線が降り注ぐ。

 ツバサは苦笑するしかなかった。


「……そんなに、分かりやすい?」

「分かるわよー。発表会の前からずっと暗い顔しちゃってさ」


 紗雪に次いでさくらまで。

 どうやら自分で考えているより、よほど重症のようだ。

 どう返そうか考えているうちに悠里の声が響いた。


「小野寺さん、部屋なん、だけれど」


 悠里の声が途切れる。

 自分に突き刺さるようなプレッシャーを感じて、ツバサは慌ててさくらと距離をとった。

 さくらもマズいところを見られたように苦笑している。


「あら、調宮が呼びに来るなんて珍しいじゃない」

「海斗くんに頼まれてね」


 口調こそは平然としている。が、視線は見ている人間に容赦なく突き刺さる鋭さだった。


「仲が良さそうね」


 ツバサの背筋を冷たいものが走った。

 絶対零度のような冷たさと重さ。

 それを回避するために、ツバサはさくらと視線を合わせ、お互いうなずき合う。

 全力で否定するしかない。


「気合を入れてもらってた、かな」

「そうそう!」


 さくらからの言葉は餞別以外の何物でもない。

 初等部から同じ教室で過ごしている人間への応援だ。

 前回はなかった繋がりだったが心強い。

 悠里はさくらとツバサが示し合わせたことに、ピクリと頬を引きつらせたが何も言うことはなかった。


「星野さんと一緒に二階に来てくれる?」

「わかったわ」


 それだけを言うと体を翻し、ニ階に向かう階段を上っていく。

 姿が見えなくなったところで、さくらの肩から力が抜けた。


「こっわぁ……ごめん、柚木、余計な面倒かけるかも」

「ううん、気にしないで。早く行ってあげて?」


 悠里から反応を貰えるなら、それだけで嬉しい。

 何も話してくれない彼女に近づく方法をツバサは持っていなかった。

 こういう時、同性であれば気安いのに。と思うのと同時に、同性だったら、これほどまでに気にされることもなかっただろう。

 一長一短。

 その言葉が頭を過った。


「柚木、あんた」

「何かな?」


 荷物を肩にかけたさくらが、大きな二重をパチパチと瞬かせる。

 まじまじと見られたことに、ツバサは居心地の悪さを感じた。

 ふっと視線がそらされ微笑まれる。


「相変わらず、調宮に激アマね」

「はい?」

「こりゃ、俊介もからかわないわけだわ」


 なんで、俊介?

 湧いた疑問に答えることなく、さくらは二階へ上がっていった。

 紗雪も後を追いかけるように続く。


「さくらちゃんがごめんね」

「いいよ。荷物運ぶから先に上に行ってて」

「ありがとう」


 すれ違いざま、紗雪にそれだけを伝えて、ツバサは荷物に向き直った。

 赤い絨毯が敷かれた階段に足をかけ、紗雪はピタリと動きを止めた。


「あ」

「どうかした?」


 振り返った紗雪の口が小さく開閉する。

 何か言いたいことがあるのだ。

 ツバサは紗雪の側に数歩寄った。


「わ、わたしは、ツバサくんを応援してるから」

「うん、ありがとう?」


 そう返すと、紗雪ははにかむように微笑んだ。

 上からさくらが紗雪を呼び、すぐに階段を登り始める。

 ツバサはひとり、首を傾げていたが、すぐに海斗が降りてきて移動になる。


「ツバサ、こっちもベッド決めるぞ」

「今行くー!」


 悠里と話したい。

 その願いが叶うには、もう少し時間が必要だった。

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