第5章: アストライアの動揺

5-1: バレバレ・ポーカーフェイス


 翌週月曜日のひさかた市は、朝から強めに雨が降っていた。基本的に寝起きの良くないアタシでさえ、屋根と窓ガラスを叩く大きな雨音でしっかりとアラームが鳴る前に目を覚ましてしまうくらいの雨だった。


 月曜日からこれかよ、冗談じゃない――なんて、こっそりと誰にも聞こえない悪態を吐きながらベッドから出ようとしたところで、スマホがいつもと同じ雰囲気で着信を告げていた。ひとまず、音声通話ではなかったことに一安心する。さすがに寝起きのテンションの声は誰にも聞かせたくなかった。


 ゆっくり階下に降りて、窓から見えた道路の大きな水たまりにため息をつく。今の気持ちにぴったりな空模様だ。ちょっとうんざりしてしまう。


 今日の放課後は煌星祭の準備活動の前に、実行委員権限を盛大に使ったホームルームのような時間をほんの少しだけ取ることにしていた。長引いたとしてもそれはある程度計算には入れている。そういうことは往々にしてあると先輩たちなどからも聞いているので、一応は大丈夫だ――と思う。


 実を言うと、学級内での揉め事――いざこざと言えるレベルかもしれないけれど――については一昨日からアストに相談していた。アストは一緒になって悩んでくれつつも、アタシが真っ直ぐに言えば絶対にクラスはまとまるからと言って、そこだけは絶対に譲らなかった。そこまで強引に押し切ろうとする彼が、どうにも消極的なアタシの反応に業を煮やしたか、最終的なアイディアとして出してきたのが『委員権限のホームルーム』だった。


 ――『根回しならボクとかがやっておくから、セナは気にしないで教壇のところに立ってればいいよ』


 妙に自信満々な口調で言い切られてしまっては、さすがにこちらも反論は出来なかった。ひとつだけ、『ボク』という言い回しは気になったけれど、アストはそこについても特に答えてはくれなかった。案外秘密主義みたいなところがあるからちょっとだけ困る。


 本当にこれでいいのかなと不安にはなる。その時その場に居なかった人間の言葉にどこまで当事者意識があるのか、とか。偉そうに時間取った結果、結局何の成果も上げられなかったときの、煌星祭当日、さらにはそれ以降のクラスの雰囲気はいったいどうなってしまうのか、とか。そういう後ろ向きなことを考えないではいられなかった。


 だけどなぜだか心の中のどこかには、アストなら信じて大丈夫だろうと考えている自分も居た。彼はいつだってそうだ。柔軟なようでいて、こういうときは頑固だけれど、それでも間違ったことにはならなかった記憶がある。


 だったらその感覚に身を任せてしまうのも悪くはないのかもしれなかった。


 目を覚ますためにも一旦洗面所へと向かう。ちょっとだけ迷ったけれど、思いっきり冷水に挑んでみることにした。心臓がぎゅっとなりそうだったけれど、きっちりと目は覚めたので良しとすることにして、もう一度ベッドへと戻った。


 ベッドに寝転びたくなる衝動を何とか抑え、腰をかけるのに留める。そのまま充電ケーブルにつないだままのスマホをチェックする。


 メッセージをくれていたのは、アストだった。


 やはりというか何というか。


 ――『緊張してない?』


 アストらしい――と思うのとほぼ同時に気付いてしまった。


「え。ウソでしょ。アスト、まさかの五時起き?」


 衝撃のタイムスタンプ。メッセージの内容とは全然関係の無い感想が、できたてのポップコーンみたいに飛び出ていった。


 シンプルに一言だけなのだが、よく見ればこのメッセージが来たのは今から一時間以上も前のこと。五時台に起きていないとダメな計算だった。


「はっや……」


 さすがにウチの家族でもそこまで早くは起きていない。というより、白水家は基本的に朝に弱い家族だ。尊敬を通り越して、軽く呆れてしまうレベルだった。


「……もう」


 でも、改めてそのシンプルな文面を見て、さっき顔を洗ったときとは違った意味で心がきゅっとなるような感覚になる。どうしてこんなに優しいんだろう――と一瞬だけ思って、今度は更に胸がぎゅっと痛くなった。


 決してアストのことを無碍にしているだなんて思っていない。少なくとも彼に対して悪い感情を抱くなんてことはあり得ない。そういう存在として彼を見るようになっているのは間違いなかった。


 だけど、あれほど真っ直ぐな彼の気持ちに対してアタシはどうなんだろうと思った時に、自分の気持ちが向いている方向というモノがやっぱりよくわからないのもまた本当だった。そもそもアタシの気持ちはどこにも向いていなくて、何なら自分の気持ちの真ん中に向かって引っ込んでいくように伸びているように思えてしまって。


 だからこそ、こんな中途半端な態度でみんなを困らせてしまっているんだ。


「……よしっ」


 誰に聞かせるわけでも無く、他ならぬ自分に言い聞かせるように気合いを入れて、文面を考える。どうしようかと迷いつつ、結局は明るい雰囲気にすることにした。あわよくば今この雨を降らせている重たい雲を吹き飛ばすくらい勢いで、重苦しい気持ちを少しでも吹き飛ばしてしまおうというアイディアだった。


「『緊張? 何のこと?』……っと」


 ザ・しらばっくれる戦法。ポーカーフェイスなんてできるタイプじゃないのはこの前もよく思い知らされたところだけど、あえて同じようなことをしてみることにした。


 返信は思ったよりも早く来た。


 ――『お、ポーカーフェイス風だ』


 ――『気負わなくていいんだから。何ならテキトーでもいいんだから』


「これは、バレてるね。間違いなく」


 ポーカーフェイスとか言われた上に、適当でもいい、だなんて。どうにかしてアタシの気を紛らわそうとしてくれているメッセージに、アタシの中の妙な緊張感は少しずつ溶け出していくようだった。


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