第14話 水に流せない感情③

「さぁお嬢様方お召し上がりください」

 キツネがテーブルにお弁当を広げると、まるで運動会を思い出す。

 ひとつ卵焼きを口に運ぶと、涼香があんぐりと口を開けた。

「――!うまっ!なにこれ!」

「むっ……理解出来たのなら大目に見てあげる。私のさいきょーの――」

「私も私も!――おおー!ほんとだっ!うまぁ!」

 五十嵐先輩も続けて卵焼きを食べるとわたしと同じ反応をした。


「私のさいきょーだから!ダメ!」

 涼香は卵焼きが入ったタッパーを自分の物だと主張するように抱き抱える。


 あの涼香が怒った?嘘、初めて見た。

「こらこら涼香、皆で食べる為に作ってきたんだから」

「……」

「それにほら!卵焼きはまだまだありますぜえ!?」

 大きなタッパーには黄色い塊だけが詰められていた。いったい卵何個分なんだろうか?

 拗ねる涼香は目を一瞬輝かせたが、すぐにその目を曇らせた。

「キツネが言うなら……分かった」


 これは何か悪い事をしてしまったのか?でも卵焼きは見ての通り大量にある。

 五十嵐先輩と目を合わせると、「どうしよう?」と困った顔をしていた。

 まだ関係が浅い五十嵐先輩からしたら、困るのも分かる。でも、わたしも分からない。

 だからここは……

「いっぱいあるしもう1個もーらい!」

 いや本当に美味いなコレ

 涼香の顔は怒っているより悲しそうな顔だった。


「涼香、これすごい美味しいね。でもキツネが涼香の為だけに作った卵焼きはもっと美味しいんだろうなぁ。いいなー涼香だけしか知らない卵焼き」

 ちらりと涼香の顔を見ると、恥ずかしそうに目を逸らして

「ごめん。食べていいよ……皆のさいきょーだから」

 今日はなんていい日なんだろう。色んな涼香が見れるし、意外と可愛い所あるじゃん。


 また目が合うと今度は「やるじゃん!」と言った顔で笑う五十嵐先輩。

 そんなわたしも恥ずかしそうに目を逸らして、もくもくとお弁当を食べてしまう。


 キツネも涼香の頭を撫でて褒めている。

 一時は変な空気になってしまったが、皆でいつもの雰囲気でお弁当を食べていた。

 キツネ達も同じ学年とはいえ、年上がいるのに気兼ねなく会話してて、何故かわたしが安心してしまう。

 まぁキツネ達もすごいけど、五十嵐先輩がその空気にしてるんだよなぁ。

 いい空間。来て良かったと心から思う。



「あら?もしかして五十嵐さん?」

 後方から五十嵐先輩を呼ぶ声。この空間で和んでいたわたしの心は一気に不安に飲み込まれた。

 視線を向けると、水着姿の女の人が3人いた。声を掛けた人は周りの2人より派手な水着で背が高く、サングラスを頭に乗せて、まるでモデルのような人だった。


「リリー……」


 先輩が名前を呼ぶ。多分この派手な人の名前だろう。というかリリーって、見た目からしてハーフかな?


「2年にいないと思ったら、まさか留年していたとはねー!」

 派手な見た目に大げさな喋り方。相当目立ちたがり屋なんだろうなこの人は。

「ああ、ちょっとな。まぁ楽しくやってるぜ?」

「ふーん」

 リリーという先輩はわたし達を品定めするように見てきた。


「で?次のパートナーは誰かな?」

「――!いや、そんな……そんなんじゃねぇって!あはは!冗談キツイって!」

「触らないでちょうだい」

 五十嵐先輩はリリーの肩を叩くと、見下した目で押し退けられた。

 体格差のせいか、五十嵐先輩は大きくよろめいた。

 座っている涼香にも当たりおかずが落ちてしまう。


「随分、気合の入ってる水着じゃない?誘惑でもしようと頑張ってるのかな?」

「ちがっ――」

「しっぽまで付けて、発情してますアピールでもするの?」


 わたしは、我慢出来ずに、そもそも我慢なんてしなくていいだろう。もう五十嵐先輩と2年生を関わらせたくない。2人の間を割って入り、2人の先輩の胸を鷲掴んだ。

「確かに五十嵐先輩の水着姿は魅力的です。あなたのとは違って、雲泥の差ですよ。あなたも見れば分かりますよね?全然違います。スタイルはモデルみたいですが、女の武器がちょっと心もとないですね」

「ななななっ――!」

「ば、ばか!人前で掴むんじゃねえよ!」


 わたしの行動に2人がびっくりしていた。

 リリー先輩はわたしの手を払い除け、手を大きく振り被った。

「あんただけに言われたくないわよ!!」

 ごもっともです。わたしは避ける事なんて考えなかった。ここまで辱めを与えたのは自覚しているし、わたしが標的になれば五十嵐先輩に矛先は向かないだろうと思ったから。

 覚悟はしているけど、咄嗟に目を瞑ってしまう。だって痛いのは分かっているから。

 でもその手は一向に振り下ろされなかった。

 片目だけをそうっと開けると、リリー先輩の手は掴まれていた。


「お前……何してくれてんだよ」

 五十嵐先輩、私の為に?

 両目を開けて掴む手を追うと、そこにいたのは五十嵐先輩ではなく、涼香だった。


「私の、私達のさいきょー返せよ」


 ええー?涼香?全然キャラが違くない?

 開いた口を閉じれずにいたわたしは、流れるように後ろを振り向くと、同じように驚く五十嵐先輩とヤレヤレといったキツネ。


「はぁ!?何このちんちくりん!?離しなさいよ!」

「うるせー!!返せ!!!」

 涼香の口からここまでの怒鳴り声は聞いた事がない。

 今日は本当に色んな涼香を見る日だ。じゃなくて、これ本気でキレてる。

 目がヤバイ。

 取り巻き達も加勢して次第に騒がしくなっていく。

「す、涼香?1回落ち着こう?」



「こらー!何してるんだ!!」


 遠くからスタッフの人が数人走ってきた。そりゃあそうですよねーここまで騒いだら。

 

「離せ!チビ!」

 涼香を押し退け、リリー先輩達は一目散に逃げて行く。

 勢いよく尻餅をついても涼香は怒鳴り続けていた。

 キツネはどこか余裕そうに近づいて、後ろから抱き締めると、涼香はぽろぽろと涙を流して、小さく「返せ、返せよ……」と繰り返していた。


 涼香はキツネに任せて、わたしと五十嵐先輩はスタッフの人達に謝り続けた。

 しばらくしてキツネが先に帰ると言い残すと、涼香は「ごめんね」と俯きながら謝った。

 残されたわたし達は一度座り、1つ溜息をついた。

「はぁ~。」


「……ごめん」

「ごめんなさい」

 2人して謝ってしまう。お互いが「なんでそっちが?」みたいな顔を合わせて、笑った。

「で?千秋は何に対して謝ったんだ?」

「えー?わたしから?んー、どさくさに紛れて揉んでごめんなさい」

「そっちかよ!?」

 真面目に謝ったのに、驚かれた。他に何か悪い事したかな?

 思い出そうとしていると、五十嵐先輩が口を開いた。


「てっきりややこしくしてごめん、かと思ったぜ。私はさ、皆に迷惑がかからないように、どうにかしなきゃと思ってたんだ。リリーにはすっげえムカついたけど、「この野郎!いつまでもしつこすぎんだろ!」って言ってやりたかったさ。でも巻き込みたくないからさー……ははっダサいな私!それとありがとな?庇ってくれて嬉しかったよ」

 明るく振る舞ってはいるけど、手が少し震えてる。

 わたしはその手を優しく握ると、ひんやりと冷たかった。

「わたし達の為に我慢してくれるのは、嬉しいです。でも、する必要なんてないですよ。キツネ達は事情を知らないけど、多分わたしと同じ気持ちだったと思います。ムカつくのはムカつくんです!友達が嫌な目にあってるんですから!」


「へへっさんきゅー」


 ちょっと恥ずかしそうに笑っている五十嵐先輩の手の震えは止まっていた。

 わたしはハッとして手を離そうとすると、逆にぎゅっと握られる。

「もうちょっと……暖かい、からさ。だめ?」

 上目遣いでお願いされる。そんな目で言われたら断れるわけがない。

「だめ、じゃない、です……」

「いつもの千秋だな?」

「え?」

「敬語。何を考えてたのか分からないけど、ずっと敬語なかったからさ?あっ別に目上の人なんだから敬語使えー!なんて思ってないからな!?ただちょっと敬語の千秋に安心した」


 五十嵐先輩が私の手を何度も指でなぞっている。別に意味なんてないだろうし、無意識に手遊びしてるのだと思った。

 でもそれは、わたしにとってはすごく恥ずかしくて、どこかくすぐったい。

 いつもなら今すぐ立ち上がって、手を離して逃げていたと思う。でも今は逃げる事なんて考えもしなかった。

 お互い言葉を発さずに手だけを見てた。


 わたしも同じように五十嵐先輩の手を指で撫でる。

 骨のラインをゆっくり這うように触ったり、指で皮膚を摘まんだり、指と指を絡めて自分の好きな場所を探るように撫でたり、押したり、爪で引っ掻いたり、相手の爪をわざと自分の掌に押し付けて、ねだったり。

 少し湿ってきたのか、感触が変わって少し触る力が強くなる。指の股と股を擦り付け合うと密着具合が全然違う。初めは優しくてゆっくりだった指の動きが、気付くとお互い触る力が少し強くなって、より絡まっていた。

 喧嘩してるタコみたいに指と指が絡まる。最後にお互いの指がお互いの指の股に重なる。

 溜息とは違う小さな吐息が聞こえる。どちらかの吐息かなんて分からなかった。


「……さっ!ささっさぁ!もう帰ろうか!千秋!!」

「そそそっ!そうっそうっ!ですねぇえ!?もう遅いですからね!?」


 わたし達は慌てて手を離すと、立ち上がりテキパキと片付けて足早に脱衣所へ向かった。

 もう片方の手で先ほど絡んでいた手を触ると、湿り具合も温度も左右で違う。

 そっとその手を顔に近づけて


 クンクン


 匂いはない、か……

 味はなんか違うのかな……

 好奇心で舌を少し出し、五十嵐先輩を見ると目が合った。


 まるでタコのように真っ赤で口をパクパクさせていた。

 わたしはの血の気が急激に下がり始めた。


「誤解です!ただっ!匂いとか味が気になっただけで!!」

「何が誤解だよ!!ばかやろう!正直に答えてるじゃねえか!」


 ダッシュして逃げる五十嵐先輩。




「本当に違うんですー!」

「こっちくんな!」





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