第3話 その手は離したくない
数日が経った頃にはわたしと五十嵐先輩の距離は縮まっていた。
「はいあーん」
わたしの膝の上に座る五十嵐先輩。文字通り距離が近くて、親鳥から餌を受け取る。
五十嵐先輩持参のお弁当のおかずを頬張るわたし。そして購買で買ったパンを五十嵐先輩の口に向ける。
「どうぞー五十嵐先輩」
その小さな口で数回パンを噛み千切る姿は本当に雛鳥に見えた。
「千秋!うめえなこのパン!」
お気に召したようだ。
いつからだろうか、昨日?一昨日?五十嵐先輩はわたしの事を下の名前で呼んでいた。あまりにも自然すぎて、いつからそう呼ばれていたのか覚えていない。
別に不快だとか早すぎるとか、不満なんてものはなく、五十嵐先輩から仲良くしていこうぜ?っていう気持ちが伝わってきて、純粋に嬉しかった。
人に好かれるのは嫌じゃない。嫌いな人はいないじゃないだろうか?
わたしの場合は嬉しいし、その人の近づき方によっては可愛く感じる。それを無下にするほど面倒臭がりではない。
今はまだ高校生だから人付き合いを大切にしようと考えている。でもこの考えは大人になっても変わらずにいられる、なんて根拠も自信もない。だってまだ高校生だから。
「五十嵐先輩はなんで留年したの?出席日数?勉強苦手そうだし赤点だらけだったとか?」
「…………」
あぁ……これがわたしの悪い所だ。調子に乗ってしまい、ドカドカと人の来てほしくない場所まで踏み込んでしまう。
特段仲が良いから、この人ならきっと楽しく受け応えてくれる、そんな自分勝手な期待を押し付けてしまう。自分が楽しくなると、その人のグレーライン、最悪レッドラインまで気付かず踏み進んでいる時がある。
「あ、あの、せん――」
「あまり私をバカにするなよ?」
わたしの膝から五十嵐先輩は立ち上がり、普段より低いトーンで冷たく、俯いてて顔は見えない。わたしは恐る恐る手を伸ばし、「五十嵐先輩?」と声をかけると、突然スマホの画面を見せ付けながら口を開いた。
「1年の成績だ。約200人中4位はこの私。五十嵐楓子様だぜー?」
多分誰が見てもほとんどの人はイラっとするであろう、ドヤ顔がそこにはあった。
憎たらしい目、小馬鹿にした眉、嘲笑う口元。
「嘘!?意外にも程がある!!」
「へへん。バカにするからには千秋さんはさぞ、お利口さんなんでちゅねー?」
「むっかぁ!その顔やめて!」
でもわたしはイラっとなんてしない。全く少しも微塵も。何故なら安堵しかなかったから。
それでもわたしは演技する。
気まずい空気を吸わせない為に、五十嵐先輩が気を使ってくれたと思ったから。
もしかしたら気を使ってくれたとか、わたしの勝手な思い込みかもしれない。
それでもいい。五十嵐先輩の行動に助けられたのは事実なのだから。五十嵐先輩が作ったレールに乗るだけ。それが一番だとわたしは思い、甘えてしまう。
ありがとう五十嵐先輩。そしてごめんなさい、五十嵐先輩。
この気持ちはまた今度言わせてもらいます。今はこの楽しい時間を過ごさせてください。
放課後になると教室は騒がしくなる。急いで帰り支度をする者、友達と喋って有意義に過ごす者、部活に行くために着替える者、そんなわたしはダラダラと家に帰る者。
「千秋帰ろうぜー」
後ろから両肩を掴まれ、揺らす者。
「分かったから揺らさないでー」
あはは、と笑い合って教室を後にする。ふと五十嵐先輩の制服姿に違和感を感じた。
スカーフの色が2色。
1年生のわたし達は赤色。五十嵐先輩は赤と緑、2つのスカーフが目に入った。
「なんで2つ付けてるの?」
「気付いたか。どうだ?いいだろう?」
なにが?と率直に思った。なんかだらしなく見えるだけのような。無理に2色見せてるせいか、ぐしゃってるし変だよ?なんて言えなかった。
「特別感出てるだろ?2色付けてるのは私だけだぜ?」
五十嵐先輩は得意気に言うけど、それはただ留年してるだけで寧ろ恥ずかしいと思う所では?確かに特別感は出ているが。
「かっこいいですね」
「へへーん、だろー?」
可愛い。
そんな可愛くて変な五十嵐先輩と並んで歩いていると、チラチラと視線を感じた。
話し声は聞こえないけど、こちらを見てわたし達の事を話しているのは確かだろう。
スカーフの色は緑色。てことは2年か。五十嵐先輩の友達かな?
視線を落とし、五十嵐先輩を見ると気付いていないのか視線は真っ直ぐだった。
「あれぇ?おて手繋がないのー?」
その2年生達は離れた所から、わざとらしく聞こえる様に言ってくる。
ん?わたし達の事か?手なんて繋ぐ意味はないでしょうに。いや、中学の時に仲がいい子達は繋いでいたのを見たな。
とりあえず気付いてない振りをしておこう。わたし達の事とは限らないし、五十嵐先輩も反応してないからその可能性もあり。
「五十嵐ーほらぁ後輩が戸惑ってるよー?」
やっぱりわたし達だった。戸惑ってはいないけど、何かムカつく先輩達だ。
「……うるせーよ!茶化すんじゃねえって!」
その笑顔はいつもの様で少し違った。何が違うのかは分からないけど、わたしは違うと直感したのだ。
「お前は今1年なんだから敬語使えよー?あはは!」
「……」
この場合の正しいと思う行動を以下から選べ。
1つ、関わって面倒な事にならないように無視する。
2つ、あのうるさい先輩達に楯突いて黙らせる。
3つ、五十嵐先輩に任せる。
「……五十嵐先輩、早くケバブ買いに行きましょう!売り切れたら五十嵐先輩のせいだから!」
わたしは五十嵐先輩の小さな手を握って走り出す。
「お、おい!まだ靴が!」
「あはは!間に合わないから走りながら履いて!」
五十嵐先輩の手を引っ張りながら前へ進むと、ぴょんぴょんと跳ねる五十嵐先輩はバランスを崩し、前へ倒れそうになる。
「わぁっ!ぅぷっ!」
手を引いて五十嵐先輩を受け止める。両手で頭を包み込み、視線は2年生の方へ向けていた。この時わたしはどんな顔をしていたのだろうか?分からない。ただ2年生の顔は怒っているように見えたから、まぁそんな顔をしていたのだろう。
「もう離せって!」
「あぁ、ごめん」
思ったより強く抱きしめていた。わたしの胸の中でもがもがと暴れる五十嵐先輩に気付いて手をパッと離す。
靴を履いて、髪を手櫛で整える五十嵐先輩はどこか拗ねている子供のようだった。
「なんだよ、ケバブって」
「知らないんですか!?こうおっきい肉を薄ーくした、ベトナム?ドイツ?料理で――」
「トルコ料理だ、アホ。中東ですらねーぞ?」
「そうでしたっけ?まぁ細かい事はいいから!帰ろ?」
わたしは手を差しだして、握り返すのを待った。
五十嵐先輩はその手を見つめて固まってしまう。「これはなんだよ?」みたいな顔をしてくる。
「知らないんですか?迷子にならない為に手を繋ぐのは有効的な手段です!」
五十嵐先輩は黙ってわたしの手を握ろうとしたけど、すぐに手を引っ込めて
「ガキじゃねえんだ!いらねえよ!行くぞ!」
「待ってよー!」
この場を離れるように早歩きする五十嵐先輩。五十嵐先輩は今どんな顔をしているのだろうか?恥ずかしかったのか、迷惑だったのか、分からない。その後ろ姿を追う私は、空いている右手を握りしめる。
「……」
「汗すご」
五十嵐先輩の歩く速度が上がる。それに引っ張られるわたし。
好奇心でわたしは顔を覗く為に追い抜こうとした。するとまた五十嵐先輩の速度が上がる。何度か繰り返すと、2人して止まり、呼吸を整える。
「はぁはぁっ!なんで、走るんです、か!」
「千秋が、はし、るから、だろ!」
ぜえぜえと息を荒くしてても、わたし達は手を離さないでいた。
Y字路の合流地点で呼吸を整えてから五十嵐先輩が「千秋家どっち?」と聞いてきたので「こっち」と右側を指差し答える。
「私はこっち」
「じゃあここでお別れですね。また明日」
「またな」
「……」
「……」
「いや、手離せよ」
「そっちから離してよ」
電話してるカップルか。
「……じゃあ、な」
わたしの手から五十嵐先輩の手がゆっくりと離れていく。お互いの中指の先の先の最後まで触れ合って、離れる。シャボン玉が弾けるような悲しさや虚しさがわたしの中でそっと弾けた。
「またね」
「おう」
Y字路の右を行くわたし。左は五十嵐先輩。2人して顔を合わせながらお互いの姿が見えなくなるまで歩き続けた。
まだ距離は近いけど、姿は見えない。五十嵐先輩の歩幅を考えて隣を歩けているのかな?と変な想像をしてしまう。
きっとまだ声は届くだろう。近所迷惑になるから出さないけど。
「ちあきー!また明日なー!」
「――っ!」
五十嵐先輩の声は距離を感じた。けどはっきり聞こえる。
返事をしたい。でも前から犬の散歩をしてる子供が来ている。
流石に恥ずかしい。
「ちあきー!?」
でもわたしは
「はーい!!また明日ー!」
ワン!
と吠える犬と、じっと見てくる子供。
でもそんな恥ずかしさより、五十嵐先輩との繋がりを、わたしは優先する。
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