閑話 薬とスペル

「ちょっと疑問に思ったんだけどさ」


 玉ねぎをみじん切りにしながら、横で温めている二日目のアイリッシュシチューの様子を見つつ川魚の切り身を茹でるルイちゃんに問いかける。


「治癒のスペルがあるのに、どうしてルイちゃんは薬屋をやろうって思ったんです?」


 ルイちゃんが薬師になったのは父親の影響が大きいが、こういったファンタジー世界では回復魔法での治療行為が一般的で、医療知識の発展が遅れていそうなイメージがあった。

 わざわざ時代遅れと言わざるを得ない薬師になるメリットがあるとは思えなかったのだ。


「薬でしか治せない怪我や病気がありますから」

「そうなの?」

「薬品での治療が普及したのって結構最近ですから、知らない人も多いんですけど、治癒呪文って万能じゃないんですよ。ん、そろそろお魚いいかな」


 鍋から切り身を取り出し、フォークでほぐしながらルイちゃんは続ける。


「治癒呪文って基本的に、生物が本来持っている自己治癒力を強引に底上げして無理矢理傷を治すから、体に強い負担がかかっちゃうんです。怪我したばかりなら、かなりの大怪我でも疲れる程度で済むんですけど、何度も治癒呪文に頼ったり、怪我をしてから時間が経って体力を失った状態だと、かえって体調を悪くしてしまうんです」

「へぇー、それは初耳。なるほど、だから体への負担が比較的少ない薬品での治療も需要があるってことか。あ、玉ねぎ切り終わりましたよー」

「ありがとうございます」


 解いた卵に玉ねぎとほぐした川魚の身を投入して軽く混ぜ、それをバターを敷いたフライパンに投入する。

 じゅわぁっ、と聞いてるだけで食欲をそそる音が鳴った。


「スペルと同じで、使いすぎると毒になったり、副作用の強い薬もあります。でも、病状や怪我の状態に合わせて、時間がかかったとしても、できる限り負担のかからない方法を選べるっていう選択肢が取れるのがメリットですね」

「即時回復でも負荷の大きいスペルか、時間がかかっても無理無く治せる薬、一長一短って訳ね」


 魔石式冷蔵庫からソースに使えそうなものを探していると、トマト、もといポマトを見つける。


 この世界ではポマトが実用レベルの美味しさで存在している。

 芋部分は主食にもなるし、暑さにも寒さにも強く、痩せた土地でも根付き、冬以外ならいつでも育てられることから、この国では積極的に栽培されている。

 可食部が二つあるが、ポマトと言えばトマト部分の事であり、ジャガイモ部分をポマトイモ、あるいは単純に芋と呼称している。

 しかしどちらも小ぶりで、ジャガイモ部分は新じゃがサイズ、トマト部分の方はミニトマトより一回り大きいくらいのサイズだ。どちらも小型サイズであるためか、皮が薄くて柔らかく、そのまま皮付きで料理しても問題ない。


 ただしポマトはかなり酸味が強く、こちらの世界では加熱して食べることがほとんどで、生では食べない。

 スープや煮込み料理に使ったり、ジャムやソースにしたり、乾燥させてドライポマトにして保存食にするのが一般的だ。


 現代人として試食してみれば生ポマトの使い道を考えることも出来たかもしれないが、生憎私は生トマトが苦手なので無理な話だ。ナスやほうれん草等、元々苦手だったが大人になってから食べられるようになったものも多いが、未だに生トマトだけはこの歳になっても食べられない。

 加熱したトマトはあんなに美味しいのに……。


「ソースはポマトソースとホワイトソース、どっちにします?」

「じゃあポマトソースで! トワさんの作るポマトソース、とっても美味しいから好きなんです!」

「オッケー任されました」


 ポマトはヘタを取って適当な小ささに乱切りにし、ニンニクは適度な大きさの荒みじんに切っていく。

 フライパンに油を多めに入れて温めてから、フライパンを傾けて油を集めた所に先にニンニクだけを入れ、弱火でじっくりと、小さな欠片がきつね色になるくらいまで加熱すると、ニンニクの香ばしい香りがキッチンに拡がった。


 その食欲をそそる匂いに誘われたらしいヘーゼルが、クッションでヘソ天状態で寝ていたはずなのに、いつの間にか起きて足下をうろついていた。蹴り飛ばしそうで怖い。


「なーん、なるるん、んなぁん」

「はいはい分かった分かった、蹴りそうで怖いからあっち行ってろって」


 そう言ったが、待ちきれないのか、器用に服に爪を引っかけて肩まで登って来た。

 火を使っているから危ないというのに、食い意地の張った奴め。


 ふと隣を見ると、ルイちゃんは一つ目のオムレツを完成させたところだった。ホテルの朝食で出てくるオムレツのように形が整っている。

 丁度シチューも暖まったようで、二個目に取りかかる前に火を落とした。


「あれっ、もう一個目出来ちゃいました?」

「そんなに急がなくても大丈夫ですよ」

「いや、どうせなら出来たてホカホカの状態で食べたいじゃん?」

「あはは、それは確かにそうですね」


 これからポマトを入れる段階で一つ目のオムレツが出来上がってしまったので、慌てて火を中火にしてポマトを投下し、黒胡椒と岩塩をペッパーミルで砕いて入れた。

 後はいい感じに果肉に火が通って柔らかくなるまで、焦げないようにかき混ぜつつ炒めるだけだ。

 わざわざポマトを潰したりはしない。ある程度なら勝手に煮崩れしてソース状になるし、残ったとしてもそれが食感のアクセントになる。後、面倒くさい。


 普通に胡椒を使っているが、ジュリアから融通してもらっているだけで、実は世間的に言えばそこそこお高い。

 平民だと頑張って貯金すれば買えるものの、買うのをちょっと躊躇う高級食材なお値段だ。胡椒の産地近くや交易都市であれば、気軽では無いがたまにの贅沢に買えちゃうくらいのお値段になるらしい。


 だが、香辛料全てが高い訳でない。胡椒がお高い代わりに、唐辛子やハーブはお手頃価格で買えるのだ。

 だから同じ味で似たような料理ばかり、というわけではない。特にウィーヴェンでは香草料理とニンニクを使った料理が豊富だ。


 この世界の食事事情は、舌が肥えている現代人が味覚に困らないくらいに発展している。

 以前ルイちゃんから聞いたのだが、何代か前の国王様が自らレシピを考案し料理まで手がける程の美食家で、知らない味を求め城を抜け出し、変装をして市井の食堂に潜り込んだところ、当時の平民の食事事情が大変貧相でショックを受けたらしく、国民達にも美味しい料理を食べさせるために貿易や農耕、畜産の改善に努めたのだという。

 地域毎の差はあれど、美味い飯が食えるのはありがたい限りだ。何代か前の国王様に感謝。


 二つ目のオムレツが出来上がり、ちょっと残った卵液でスクランブルエッグを作り終わった頃に、ソースも出来上がってきた。

 行儀が悪いが、ヘラについたソースに息を吹きかけて熱を冷まし、一口ペロリ。

 味の方は目分量だったものの、我ながら良い塩梅と言えたが、若干生ポマトの青臭さが残っていてつい顔をしかめてしまった。


「ごめーん、もうちょっとかかりますわ」

「じゃあ、今のうちにパン炙っちゃいますね。トワさんは軽めにトーストでしたっけ」

「うん、それでお願いしまーす」


 ルイちゃんはコンロに足付きの焼き網をセットすると、昨日買ってきた丸いパンを二つ置き、強火で炙り始める。

 強火の遠火で炙るのが一番美味しくなるらしい。実際美味い。外はサクサクカリッなのに、中がふんわりしっとり且つもっちりするのだ。トースターじゃ出せない美味さだよこれは。


 もう一度ソースを味見してみて、今度こそ生の青臭さが無い事を確認してから火を止める。


「今度こそ完璧! おまたせしました~!」


 出来たてのトマトソースをオムレツの上にかけて、オムレツは完成だ。

 丁度そのタイミングでパンも出来たようなので、私はオムレツと炙った円パンの乗った二人分の皿をテーブルに運び、ルイちゃんは二人分のスープボウルを食器棚から出して、そこにシチューをよそう。

 ジャガイモと羊肉に人参、キャベツ、タマネギと、アイリッシュシチューとしては食材自体は王道だが、二日目故にスープの旨味が食材の芯まで染みて昨夜以上に美味しくなっていること間違いなしだ。

 昼時だがこのシチューに加えてオムレツとパン、それにサラダという朝食みたいなメニューではあるが、家の味なためか、それとも地域性なのか具沢山なので、それでも満足感は高いことだろう。


 既に完成していたサラダと取り皿も配膳し、各々飲み物も用意して、ヘーゼル用の食事も専用の皿に盛って、昼食の準備が完了する。

 私達は席に着き、私はスプーンを持って両手を合わせ、ルイちゃんは片手を胸に当て、ヘーゼルは待ちきれないように足踏みしながらご飯皿をガン見する。


「白き神と黒き神、そして命の巡りよ。此度の糧に感謝します」

「いただきまーす」


 ルイちゃんはARK TALE世界の文化に基づいた食前の祈りを、私は慣れ親しんだ日本の文化である食前の挨拶を口にして、それぞれ食事を始めた。


「うん、美味しい! このポマトソース、私が作ってもなんか違くなっちゃうんですよね」

「わかりますわー、料理って人様と同じように作っても、同じ味にはならないんですよねぇ。ルイちゃんの作るオムレツと私のオムレツって別物だもん。どうしても卵液が漏れちゃう。何が違うんでしょうねぇ?」

「火加減? それとも味付けかなぁ」

「あー、火加減はありそう。ルイちゃんは丁寧に作りますからねぇ」

「ただの職業病ですよ。薬品の調合って、分量や加熱時間が大事ですから」

「いやー良い事だと思いますよ? お菓子作りなんかそれこそ分量とか大事だし。半分バケ学みたいなもんですしね、アレ。あ、このパンうんまい! 外はカリッと中はモチッと! 軽く炙ったから香ばしさが増してて最高!」

「オーツさんの所で新しく販売されたやつなんですよ、それ。中に角切りのチーズが入ったやつもあったんですけど、すごく人気みたいで売り切れちゃってて」

「何それ絶対美味いやつじゃん、今度また買いに行きましょ」

「早起きして行かなきゃですね!」

「朝一番に並んで焼きたてのやつ買って、遅めの朝ご飯にしましょうぜ。……うん、やっぱ汁物は二日目が美味い。クッタクタになったキャベツとタマネギの美味さは格別だわ」

「それ、いつも言ってますよね。実際二日目が一番美味しいですけどね」

「美味しい物には何度でも美味しいって言っても良いんだよ。美味しいことに変わりは無いんですから」

「あはは、確かに!」


 美味しい食事を囲みながらの歓談は、この世界に来てからしばらく経ったとはいえ、それでも未だに慣れないものだった。

 慣れないとはいえ、決して不快な訳ではない。感情的には楽しい、落ち着く、といったものである。

 ただ、私自身がコミュ障という訳では無いにしろ、今までそういう機会に恵まれなかったこともあって、楽しい食卓というものが現実に存在しているのが未だに信じられないだけだ。


 遠くない未来、世界を救った後はこんな機会も失われる――否、こんな日常が無かった頃に戻るのだと思うと、少し寂しく感じる。


 とはいえ、遠くないというだけで、少なくとも春頃まではこんな日常を送れるはずだ。

 今しばらくはこの夢みたいな時間に微睡んでいたいなぁ、と頭の隅で考えつつ、ふわとろオムレツに舌鼓を打つのだった。

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