17 もふもふも最上級の精神安定剤

「ぉあ~……染み入る冷たさ……生き返る心地良さ……」


 渡された濡れタオルをアイマスクのように目に当てて、タオルを落とさないように上を向き、ソファーの背もたれに寄りかかる。

 まだどこか緊張していたのかもしれない。体の力が一気に抜けるのを感じた。


 目元を冷やしている間に、ハーブティーの良い香りを感じる。ルイちゃんがお茶を入れてくれているのだとぼんやりと思った。

 苦味のあるリンゴに近い薬草の匂いは、恐らくカモミールティーだろう。


 カモミールに限ったことでは無いが、元の世界にあった植物や食材によく似ているものが存在することが多々ある。

 これがネット小説ならナーロッパだの何だの言われているだろうが、これに関しては、全てに現実の物と違う固有名詞を与えるより、現実にあるものをそのまま出した方が読者に伝わりやすいからそうしているだけだと思っている。

 有名なゲームにだって、サンドイッチ等現実にある料理とかをそのままの名称で出しているんだから、揚げ足を取るのは野暮ってものだ。

 それに固有名詞や設定を増やしすぎても、多くの読者やプレイヤーは覚えきれない。世界設定をこだわりたいのもわかるが、あまり突き詰めすぎてもついて行けない。

 物語にはある程度のわかりやすさが必要なのだ。


 コトリとテーブルにカップを置く音がする。タオルをとって見ると、予想通り、テーブルにはミルキーで美しい薄黄色のカモミールミルクティーの入ったカップが置かれていた。

 向かいに座ったジュリアは一足先に角砂糖を二つ入れてかき混ぜている所で、私の前にはカップの他に、昼にも飲んだ薬とぬるま湯が入ったコップが置かれていた。


「気を使わせちゃってごめんね」

「ううん、気にしないでください。丁度私もお茶が飲みたいと思っていましたから」


 とりあえず先に痛み止めを飲んでから、カモミールミルクティーをいただく。やはり元の世界にもあるカモミールと同じような味がする。


 ルイちゃんは私の隣に座り、カップに角砂糖を一つ入れる。

 実は年上のジュリアの方がルイちゃんより子供舌というこのギャップがたまらない。ニヤつきが表に出ないように必死に口元に力を力を込めて耐えた。


「ところで、随分遅かったですね。ジュリアちゃんも一緒だし……もしかして、読書に夢中になりすぎて、時間を忘れちゃってました?」

「まあ、そんな感じ。帰り道でちょっと転んじゃって、大人らしかぬギャン泣きかましちゃって――」

「彼女は帰宅途中に例の連続殺人事件に巻き込まれたんだ」

「ちょっ、ジュリア様!」


 私が誤魔化したから言わないつもりだと思われてしまったのか、ジュリアが直球で伝えてしまった。

 当然、ルイちゃんはさっと顔を青くして取り乱し、私とジュリアを交互に見ながら珍しく声を荒げた。


「巻き込まれた、って……二人共、怪我とかしてない!? 大丈夫だったの!?」

「だ、大丈夫だってば。こうして無事に帰って来たじゃないですか。ジュリア様が助けてくれたし、ちょっと転んで擦り剥いたけど、騎士さんから治してもらったし」

「ルイ、落ち着け」

「でも……二人に何かあったらって思ったら、私……!」


 今にも泣きそうな表情でルイちゃんは俯いてしまう。そんな姿に動揺してしまい、ついジュリアに視線で助けを求めるも、彼女もばつが悪そうに目を伏せていて気付いてくれなかった。


 私はしばらく行き場の分からない手を右往左往させてから、隣で寝息を立て始めていたヘーゼルを掴んでルイちゃんの胸に押しつけた。

 自分でもどうしてそんな奇行に走ったのか分からない。そのくらい動揺していたのだ。


 彼女は震える手でヘーゼルを優しく抱くと、そのふわふわの毛に顔を埋める。

 ヘーゼルは急に起こされて訳が分からないと言いたげな様子だったが、自身を抱いているのがルイちゃんで、彼女が泣きそうな状態だと気付くと、困惑した様子のまま、とりあえずこうしておけばいいだろう的な感じで彼女の顔を舐め始めた。


 彼女がここまで心を乱しているのは、恐らく過去設定が関係しているからだろう。


 ルイちゃんは十歳の時に、とある事件で父親を亡くしている。

 彼女の父親はジュリアの家に薬を届けに行った際に、突如現れた自立人形ゴーレムが暴れ回る事件が起こり、その時にジュリアを庇って亡くなってしまったのだ。

 その時のルイちゃんは父親から留守番を頼まれていて、そのまま帰って来なかったとゲーム内で語っていた。きっと、その時の事がトラウマとなっているのだろうと想像がついた。

 その事件でジュリアの両親も亡くなっていて、ジュリアはゴーレムの制作した、あるいは操作していただろう人形技師に復讐するために淑女であることを捨て、剣の道へと足を進めることになった。

 ゲーム本編では、その人形技師を探すことを理由に、二人が主人公に付いていくことになっている。


 ルイちゃんにとって、知人が命の危機に直面する事件に巻き込まれたというのは、きっと何よりも恐ろしいことなのだろう。


 ヘーゼルの顔ペロのおかげでようやく落ち着いたのか、まだ目を潤ませているが、ルイちゃんは顔を上げた。

 ヘーゼルを回収しようかと思ったが、まだしばらくモフモフセラピーをさせておいた方がいいかもしれないと思い直してやめた。

 でもヘーゼルから舐められた所はキッチリと濡れタオルで拭いておいた。羨ましいそこ代われ。


「ごめんなさい、取り乱しちゃって……」

「良いんだよ。ほらお茶飲んで。私生きてるから安心して」

「そう、だよね……トワさん、ここにいるもんね」

「ジュリア様ももっとこう、もうちょっとね? こういうショッキングな事を伝える時はね? やんわりとね?」

「む。す、すまない……」

「ううん、ジュリアちゃんは悪くないの。こういうことは秘密にされた方が嫌だからちゃんと教えてって、私が言ってるから」


 ふと、ルイちゃんの敬語が取れていることに気が付く。

 ルイちゃんは普段のジュリア相手の話し方や、原作での口調は敬語ではない。ただ、礼儀正しいので目上の人や、知り合って日が浅い人相手だと敬語を使うこともある。

 普段私と話をする場合は基本的に敬語で、最近は少し砕けた口調になることもある程度だ。年上だから敬語を使っていたのか、それとも私が敬語混じりの話し方だったからつられていたのかもしれない。


 今は取り乱しているせいで敬語が取れてしまっただけなのだろうが、いつもは「礼儀正しいルイちゃんだから」と気にしていなかった敬語が無い言葉に、何となく、心を許してもらえていたんだなと実感して嬉しかった。

 いつか、普段からもうちょっと砕けた口調で話しかけてくれたりするのだろうか。


「ともあれね、私は大丈夫ですよ。怪我……はしたけど、ほんと軽傷ですし」

「……いや、無事とは言い難い状態だと思う」


 ルイちゃんを落ち着かせるために言葉をかけるも、深刻そうな顔つきでジュリアがそれを否定する。


「ジュリアちゃん、どういうこと?」

「恐らくだが……トワは例の犯人から目を付けられたかもしれない」

「あ……あー。確かに『またの』って言われたっけ」


 思い出してみれば、確かに「また襲いに行くね」的なことを言われた記憶がある。

 騒ぎが収まって助かったと思っていたが、よくよく考えてみれば、全然助かっていないことにようやく気づき、背筋に悪寒が走った。


「しばらくは身の安全のためにも、店を閉じて外出を控えてくれ。これは友人としての心配ではなく、騎士としての要請だ」

「うん、分かった。トワさんの安全が第一だもんね」

「その上で、しばらくの間は周囲の巡回を増やす」

「ご迷惑をおかけします、ホント……」

「トワさんにはいつもお世話になっているんですから、むしろこういう時くらいは頼って欲しいです」

「そうだぞ。トワ、君は何でも一人でしようとするきらいがあるが、今回ばかりは一人でどうこうできる問題では無いんだ」

「アッハイ……ソッスネ……」

「本当は護衛を付けたいところだが、女性二人暮らしの中に男性騎士を入れるのはな……」

「ジュリアちゃんは団長さんだから抜けるわけにはいかないし……冒険者さんに協力を要請するのは?」

「それも思ったが、ウィーヴェンに居る冒険者は高くてもシルバーランク程度。犯人とは一度剣を交えたが、アレを相手するのにシルバーランクでは役不足だ」


 この世界における冒険者は、要するに何でも屋だ。素材集めから魔物退治、時には護衛任務を受けることもある。

 冒険者のランクは、前作、つまり未来と変わり無いのなら五つ、見習いと例外を含めると七つのランクに分類されている。


 冒険者見習いはホワイトランクに分類され、昇格試験を受けて始めて正式に冒険者として名乗ることが許される。この工程は試験を受ければ飛ばすことも出来るので、孤児院から出てきた人達や、弟子入りのような形で冒険者チームに入った人に適応されることが多い。

 活動している冒険者は下から順にブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナとランク付けされるが、これはチームで活動しているならホライトランクを除き一括りにランク付けされ、ソロ活動をしている人ならその人個人にランク付けをされる。

 そして、規格外の強さを誇る冒険者には、チームとは別に個別にブラックランクに認定され、国お抱えの用心棒のような扱いとなる。


 ゲーム内でも冒険者のキャラが存在しているし、前作では主人公が冒険者ギルドに所属していたし、店でもよくポーションを買って行ってくれる冒険者さんが居るので、個人的には馴染み深い存在だった。それにルイちゃんが薬草採取に行く時も、彼女は一応クロスボウを使って戦うことも出来るが、一人だと危険だからと護衛を依頼することもあるため顔見知りが多い。

 けれど、ウィーヴェンに滞在している冒険者達のランクまでは把握していなかった。

 そもそもゴールドランク以上に頼むような依頼を私達も出していなかったし、お客さんとして来店されても聞こうという発想すら無かったのだ。


「中堅程度だけか……町の発展具合からすれば、もっと高ランクの冒険者が居てもおかしくないと思うんですけど、何か理由があるんですか?」

「あー……まあ、そうだな。少々込み入った事情がな……」


 珍しく歯切れの悪いジュリアの物言いに、ルイちゃんが代わりに答える。


「騎士団の皆さんが頑張ってくださってる分、冒険者さん達にお仕事が回らないんですよ」

「あら~、分かってはいたけど有能なんですね」

「やめてくれ、冒険者の育成が滞っているのはウィーヴェンの欠点なんだ。民間人や商人らが利用する冒険者ギルドの質が低いのは、褒められるようなことじゃない」


 騎士団の団長としては能力を評価されて嬉しいが、領主としては嬉しくないのだろう。

 騎士団は王都と主要都市に配属されていて、貴族の護衛や危険な魔物の討伐、あるいは戦争といった余程のことがなければ動かない。

 フットワークが軽く、迷子の捜索から魔物狩りまで、騎士団が動かないような事案でも、報酬を用意すればどんな身分の人の依頼でも動いてくれる冒険者とは棲み分けがなされている。


 冒険者ギルドの質が低いということは、商業利用、及び民間利用が出来る案件の幅が狭いということだ。


 ウィーヴェンはローズブレイド家の領地なため、言っちゃ悪いが職権乱用で多少はカバーしているのだろうが、国立記念日だとかでジュリアを始めとした騎士達の多くが王都に向かうとなれば、残った騎士や冒険者達への負担は大きくなる。

 ジュリアもそれをわかっているからこそ、こうして悩んでいるのだろう。

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