10 スローライフと怪しいお客

 あれから私の日用品を揃え、生活基盤を整えて、ようやくルイちゃんの店で働けるようになったのは、この世界に来て三日目のことだった。

 まさか人にお金を、それも年下から借りるだなんて、現代で生活していた時の私には想像すらしたことがなかった。買い出しに出かけた日なんて、頭を下げすぎてルイちゃんから「今日はもう謝るの禁止です!」と言われてしまった。


 流石にどの商品がどこに置いてあるかまでは覚えきれなかったが、大学時代にコンビニバイトをしていた経験もあったおかげで、品出しや原材料の発注は初日で大体把握出来た。


 が、肝心のお客が来ない。厚利少売な商売だと事前にルイちゃんから聞いていたが、呑気にお茶を淹れて飲んでおかわりをしても大丈夫なくらい暇だった。

 お茶を飲んでいる最中にお客さんが来ても、顔見知りばかりだからか何も言われないし、この世界では現代のようなギッチギチなマニュアル対応があるわけではないからか、むしろ一緒に茶をしばき、井戸端会議に発展していた。

 もしかしたらセールスの場を設けているのかと思ってハーブティーのセールスをしたら、近場の八百屋の娘さんだという若い子に「商売上手だね、うちで働かない?」なんて逆に勧誘を受けた。後でルイちゃんに聞いてみたら、なんといつものことらしい。お茶の試飲とかじゃなくて普通にごちそうしていただけだった。


 こんなのでちゃんと利益が出ているのかと不安になったが、実は契約しているギルドや騎士団に卸している薬品が主な収入源で、店の方はどちらかというと趣味に近いらしい。


 とりあえず初日で思ったことは、おそらくルイちゃんに商才は無い。

 父親から受け継いだこの店を維持するだけの知識はあるが、規模を大きくしようという気は一切無いようだった。


 店主たるルイちゃんがそれでいいなら私もそれでいい。私は唯の一店員だ。

 とはいえ、現代の利益至上主義に揉まれた私からしてみれば、何というか、(個人経営だが)一企業としてそれで良いのか……!? と困惑してしまった。


 そんな現代とのギャップに混乱しながら、閉店も間近に迫った夕暮れ時。

 ビターン! と店のドアから何かがぶつかる大きな音がした。気付かぬ内に背後にきゅうりを置かれた猫の如く無様に体を跳ねさせた私とは裏腹に、ルイちゃんは平然とドアを開けた。

 ドアの向こうには、ブルーグレーの鳥と、一枚の紙、そして鳥の頭に乗っていただろう緑色の小さな帽子が転がっていた。ルイちゃんが「また止まれなかったのね」と苦笑いしている所から、これはいつものことらしい。


「伝書鳩……?」

「鳩を飛ばしたってことは、緊急の連絡だと思います。ええと……」


 ルイちゃんは気絶した鳩(?)を抱き上げて、次いで紙を拾って確認する。

 一通り内容を読んだルイちゃんは、慌てて商品棚から色々と手に取って、気絶した鳩を受け付けのカウンターに優しく寝かせる。


「ごめんなさい、ちょっとだけお店を任せても良いですか? 肉屋のおばさんがぎっくり腰になっちゃったみたいなんです。おじさんもお店があるから手が離せないし、湿布と薬を持ってきて欲しいって」

「そりゃ大変だ、早く行ってあげてください。店番くらいなら任せて!」

「ありがとうございます! あっ、それとこの子、目を覚ますまで休ませてあげてください!」

「はいはい了解しましたよ」


 緊急の連絡だと言っていたから何事かと思ったが、ぎっくり腰程度でとりあえず安心した。原作通り、この都市は平和そのものらしい。

 必要な物を慌ただしく持って店の外に出たルイちゃんは、その背中に付いた翼ではばたき、あっという間に居なくなってしまった。原作ではあんまり飛ぶシーンを見たことが無かったが、ちゃんと飛べるんだな、と感心してしまった。

いう間に居なくなってしまった。原作ではあんまり飛ぶシーンを見たことが無かったが、ちゃんと飛べるんだな、と感心してしまった。

 他の鳥人種のキャラクターより翼が小さいこともあって、てっきり飛ぶのは苦手なのだと思っていたのだが、そうではないようだ。

 ちなみにそのはばたき音で鳩も起きたらしく、せかせかと落ち着きの無い動作で店の外に出たと思ったら、弾丸の如き勢いで飛び立っていった。恐らく止まれなかったのは、あのスピードで飛んでいるせいだろう。


 そうしてルイちゃんが店を出て数分くらい経った頃だろうか。

 カランコロン、とドアベルが鳴る。

 暇すぎて油断していたが、学生バイト時代から染みついて取れない接客業経験が瞬時に脳を切り替えさせ、無意識に接客モードでトーンの上がった声を上げた。


「いらっしゃいませ」


 被ったシルクハットをドアの上枠にぶつけないように身をかがめて店内に入ってくるお客さんに、随分と背の高い男性だな、とぼんやりと思った。

 身長は大体二メートルくらい、もしくはもう少し背が高いくらいだろう。

 推しカプの双璧を成すウォルイの攻めさんことウォルターの身長が210センチなので、現実に居たらこのくらいの身長だろう。長時間見上げていたら間違いなく首を痛めそうだ。


 彼は何となく特徴を掴めない外見で、シルクハットと高身長以外でふんわりと認識出来るのは、オレンジの隈取り模様のついた白いペストマスクくらいだろうか。集中して見ようとすればするほど目が滑るような気がする。

 立て襟のマントを羽織っているが、少し背中が膨らんでいるように見える所から、翼のある種族なのだろうと推測する。

 某狩りゲーの天廻竜のような翼腕があればウォルターと同類の種族なのだろうが、彼は宙族、つまり人類(人族)と敵対する種族。こんな人族の国に堂々と現れる方がおかしいので除外。ペストマスクの先入観も相まって、何となく鳥人種だだろうかと考えた。


 お客さんは私を軽く一瞥して、軽く店内を見回す。シルクハットが天井スレスレで、つま先立ちなんてしたら簡単に天井に届いていまいそうだ。


「……ルイはどこに?」


 見た目からして明らかに怪しいこのお客さんは、どうやらルイちゃんに用があるようだった。

 ルイちゃんを呼び捨てにしている所から、恐らく常連なのだろうと当たりを付ける。が、こんなペストマスクの大男が常連っていうのも怪しい。


「ただいま店長は席を外しております、どの様なご用件でしょうか?」

「いえ。たまたま近くに寄ったので、様子を見に来ただけです」


 聞いた事のあるような、そうでないような、妙に引っかかる声だ。何処かで聞いた事があるならば、恐らく元の世界の知っている声優さんなのだろう。

 だが、こんなキャラクターは居なかった。モブや敵キャラでもペストマスクなんて特徴的なものを付けている存在は居なかった。


 しかしそれよりも気になるのは、ほんの数秒前に聞いた声とどこか違うように聞こえた事だ。

 何というか、微妙にピッチがずれているというべきか、リアルタイムで設定を変えているボイスチェンジャーを使っているような、そんな違和感があったのだ。


「ところであなたは?」

「先日からこちらで働かせていただいております、トワと申します」

「ふうん……そうですか」


 自分から聞いてきたくせに、声色からして至極どうでも良いと言いたげで、内心ちょっと苛つく。

 しかしこちらも社会人ウン年目、疑念も苛つきも、そんなものは分厚い営業スマイルの下に隠し通した。


「ルイによろしく伝えておいてください」

「かしこまりました」


 そう言うと、彼はさっさと出て行ってしまった。


「店に来たんなら何か買っていけっての……」


 軽く悪態をついたものの、それを聞く人は誰も居ない。

 そのたった数分後に、ルイちゃんが帰ってきた。

もう少し私と世間話でもしていたら会えていたのに、残念だったな、とあのペストマスクを思い出して心の中で呟いた。


「ただいまー、お客さん来ましたか?」

「さっき、やたら背の高い男の人が来ましたけど、ルイちゃん知り合いです?」

「ああ、あの人がいらっしゃってたんですね。常連さんで、このお店初めてのお客さんなんです! よくハーブティーを買っていってくれるんですよ」

「へー、今回はなーんも買って行きやしませんでしたけどね」

「えっ!? そうなんですか?」

「ルイちゃんが居ないって分かったらアッサリと帰って行きましたよ」

「意外ー……あの人、いつもよくおしゃべりしたり、旅行に行ったからってお土産を持ってきてくれたりするから、フレンドリーな方だと思ってたんですけど……」


 あの素っ気ないクソデカ身長ペストマスク、人によってそんなに態度を変えるのか。あからさま過ぎやしないか?

 これはアレか? ルイちゃんにホの字なのか? 私は異形頭×少女だって構わず食っちまうオタクなんだぜ?

 カプ推しオタクを舐めるでない。むしろ大好物だ。

 そしてもしそうならマスクは絶対に外すでない。顔を隠してるキャラは徹底的に最後まで顔を隠し通せ。それがお前の個性で美点だろ。こちとら野獣を人間にするな教過激派且つ仮面・マスクは絶対外すな教過激派やぞ。


 いやまあ実際問題あの男とルイちゃんがお付き合いするってなったら全力で反対するけども。

 だってあんな素性不明の大男にこんなに可愛くて可愛いルイちゃんを預けるなんてあり得ないでしょ。


「もしかしたら、案外シャイな方なのかもしれないですね」

「シャイって言うか、ただの怪しい人と思うんですけども。ペストマスク付けてるし、なんか話す度に声が違う気がするし、よーく見ようとしても目が滑って見れないし……」

「目が滑る? それって多分、認識阻害の刻印を付けているからかもしれませんね」


 刻印、という単語に疑問符が浮かぶ。前作でも本作でも、刻印というシステムは無かったはずだ。


「ごめん、刻印っていうの知らないから、教えてくれませんかね」

「私もあまり詳しくは無いんですけど、特定の形を作って発動させる、スペルの一種なんです。例えばほら、こういうのとか」


 そう言って、ルイちゃんは胸ポケットにしまっていた眼鏡を手に取ると、眼鏡のつるの部分を指さして私に見せる。そこには文字のような模様が刻まれており、よく見るとその部分にだけ、ゆらりと油膜のような、波紋のような光が揺らめいていた。

 なるほど、ファンタジー作品におけるルーン文字のようなものか。私はそう判断した。


「私は種族的に夜目が利かないから、夜に出歩く時なんかは集光の刻印、つまり光を集めて、暗いところでも物が見えるようにする刻印を刻んだ眼鏡をかけるようにしているんです」


 原作でも眼鏡をかける描写が存在していたが、まさかそんな理由があったとは知らなかった。

 単純に「眼鏡かけてるルイちゃん可愛い~~~!! 眼鏡有り無し両方を堪能出来るなんてお得だしオタクに優しい設定ありがてぇ~!」としか思っていなかった。


「認識阻害の刻印を付けたものを身につけていると、トワさんが言ってたみたいに、認識がぼやけるんです。基本的に、貴族の方や有名な方がお忍びで出かける時なんかに、その刻印を刻んだマントや帽子を身につけて出かけるみたいですよ。ジュリアちゃんが言ってました」


 ジュリアもお貴族様だし、お忍びでお出かけする時に使っていたり、あるいは貴族だからそういうものの存在を知っているのだろう。


「でも言われてみれば確かに、あの人の見た目を思い出そうとしても、背が高いなーって事くらいしか思い出せないです……トワさんって凄いですね! 認識阻害の刻印を付けている人って、よっぽど注意深い人じゃないと中々気づけないんですよ。今度いらっしゃったら、私もよーく見て見ようかな」


 幽霊の正体見たり枯れ尾花。いや、全容までは見られていないが、尻尾くらいは掴めたから、好奇心がくすぐられたんだろう。

 今から常連さんが来るのを待ちわびるルイちゃんは本当に可愛い。


 でもいくら常連とは言え、本当に怪しいからあんまり関わらないでほしい所はある。

私が見た目で警戒しすぎなだけなのだろうか?

 いいや、過保護でなんぼだ。推しに対しては過保護になっても仕方が無い。何故なら、それがオタクという生き物なのだから。


 それはそれとして、推しには可哀想な目に合って欲しい。受けちゃんは攻めの激重感情に押し潰されて欲しい。

 だって私はオタクはオタクでも、闇に近い夜明けのオタクなのだ。

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