第8話 空白の兵士と金の加護1
射撃場に高い銃声が鳴り響き、火薬の臭いが充満する。
訓練兵が走り、的の状態を確認して手に持っていた旗を上げた。
「見事、命中だな」
兵士の隣に立っていた同じく兵士である友人が、にこやかに笑って肩に手をかける。
兵士はにやりと笑って友人の背を叩いた。
「これで、酒は俺のものだな」
「待て、俺にもまだ三回出番があるぞ」
「俺はここまで五発命中。お前は一発だろ。どう考えても俺の勝ちだ」
「げっ!? 俺、そんなに外してたか?」
友人は慌てて振り返り、彼の世話をする訓練兵に声を掛ける。幼い顔をした訓練兵は慌てて手元の用紙を確認して、どもりながら答えた。
「は、はい。五発中一発です。は、外した四発のうち、一発は隣の的に当たりました」
「ええええ。いいだろ。当たったなら当たりにしてよ」
「そ、そう言われましても」
「いや、どう考えてもはずれだろ。敵を撃とうとして味方撃つようなもんだ」
「あ、そりゃ駄目だ」
兵士の言葉に、友人は苦い顔をする。
それでも諦めきれないとばかりに兵士へと視線を向け、朗らかな顔で気の抜けるようなことを告げた。
「それじゃ、お前が全部外してくれたら俺の勝ちか!?」
「いや、五発当ててる時点で俺の勝ちは決定だろ」
「くそお」
友人は悔し気に銃の柄をガツっと地面に当てる。
途端、ビキッと嫌な音がして兵士と友人、そしてそれぞれの補佐をする訓練兵は顔を見合わせた。
「おい」
「あ、あははははは」
乾いた笑いをする友人と、蒼白になる彼付きの訓練兵。
無理もない。銃の手入れをするのは訓練兵の仕事。もし暴発が起こったら怪我をするのは彼だ。下手したらただの怪我で済まないかもしれない。
ため息をついて兵士は手を伸ばす。
「は?」
「は? じゃない。その銃を貸せ」
きょとんとした顔の友人に、兵士はひったくるように彼の手にある銃を奪い取った。
そして代わりに自分の銃を押し付け、今度はさっきの友人よりも強く銃の柄を地面に叩きつける。
バギッという明らかに銃の壊れる音がして、周囲から視線が集まった。
「そこ! 何をしている!」
大きな声が飛んでくる。
短い言葉なのに、どこか粘り気を帯びたその怒鳴り声に、周囲にいた全員が顔をしかめる。
ドスドスと訓練されていない一般人よりも大きな足音を立ててその人物が近付いてきた。
「また、
歪にその醜悪な顔を曲げ、ねっとりと下声で指揮官が尋ねる。
頭半分は低い位置にある指揮官を見下ろし、兵士は淡々と答えた。
「銃が壊れたようです」
銃を両手で掲げ持ち、大きくひび割れた銃の柄を見せながら兵士は報告する。
それを見て指揮官は唾を飛ばす勢いでまくしたて始めた。
「はっ! これだから一般上がりの力しか取り柄が無いやつは! 高価な物資を何だと思っている。お前の空っぽな頭では何も考えられないのか?」
自分の頭をぷっくりと短い指で何度も指差し、重い瞼の奥から淀んだ瞳で兵士を見上げる。
「ああ、そうか。前世の記憶も持っていられないほど空っぽの脳みそをしていたな。前世でよっぽど悪い行いをしたんだろう。神様の加護すらも受け入れられないとは! 過去無しは加護無しってのは本当だな!」
ニヤニヤとこの瞬間を何よりも楽しみながら、指揮官は兵士に向かって唾を飛ばす。
そして目線が自分よりも高い場所にあることへの不満からか、目の前の兵士の向う脛を蹴り上げた。
ほんのわずかに、兵士は片目を細める。だがその反応すら指揮官には生意気に映ったのか、指揮官は兵士の両手に乗った銃をもぎ取り、その柄を渾身の力で彼の腹へと叩きつけた。
「ぐっ」
さすがにそれに耐えきれずに、兵士の口から小さな呻きが漏れる。
指揮官は両目を輝かせて更に二度、三度と彼の体を殴りつけた。そしてガシャンっと音を立てて銃をその場に放った。
「この銃の修理代はお前の手当てから引いておく」
最後に兵士の足を思いっきり踏みつけ、指揮官がその場を去っていく。
兵士は小さく息を吐き、じくじくと痛む腹部に手を当てた。
「わ、悪りい」
隣から聞こえた声に、兵士は口元に笑みを浮かべる。
「これで奢りは決定だな」
「奢る。銃の分も、俺が金を出す」
「半分でいい。俺も壊したからな」
「完全に壊したのはあの豚だけどな」
「聞こえるぞ」
軽く肩を揺らして笑い、地面に投げ捨てられたままの銃を拾う。柄と銃身を繋ぐ部品が壊れ、明らかに使い物にならない状態になっている。
銃が剣の代わりになり始めてそう長くない。戦いの形は変わりつつあるが、銃だけに頼った戦いはまだ難しい。
それは依然として銃の性能や火薬の状態が安定していないことにある。
兵士は壊れた銃を見て安堵のため息を吐いた。中に薬莢が入っていたら暴発の恐れがあったが、それすらあの指揮官は理解していないのだろう。
完全に血筋だけで今の地位にいることを、この場にいる全兵士は知っていた。
広く集められた兵士の中で一番腕の立つ彼を、指揮官は前から妬んでいた。
その恵まれた体躯も、人の目を引く凛々しい容姿も、落ち着いた声も、自然と人を引き付ける性格も。
だからたった一つだけ、彼の弱点と言えるものを見つけ、指揮官は執拗にそれを狙うようになった。
それは彼が前世の記憶を持たない、“過去無し”である。
「俺、何も覚えていないんだ」
何もやることがない訓練場で、前世の話が出た。
誰もが何度も転生を繰り返すこの世界で、人が集まれば話題が前世のことになるのは自然な事だった。
自分の名前や出身地を言うのと同じくらい軽い話題。
だが、その兵士は肩をすくめて言った。前世を覚えていないと。
その頃にはすでに周囲の仲間から信頼されていた兵士のその言葉に、皆驚いた。
落ち着いた雰囲気を持ち、自然と同期のリーダーのようになっていた男に前世の記憶がないなどと思えなかったからだ。
「はは! もしかしたらどこかのハーレムの王様だったのかもしれないぜ?」
「嫉妬した女神様に記憶を消されたとかな」
仲間たちが悪乗りして、兵士に前世の記憶がない理由を探り出す。
「それか、実は女で男になったことを受け入れられなくって記憶を殻に閉じ込めたとか」
「お前、それ、空想が強すぎるだろ」
ぎゃははと笑い飛ばす仲間たちに、兵士は藍の目を細める。
自分しか知らない、誰も分からない転生前のことなど適当にでっちあげることもできた。
実際に明らかに嘘の前世を語る者たちを見たこともある。
だが兵士はそうしなかった。胸の奥に渦巻く何かが、たとえ誰にもばれないとしても、嘘の前世を作ることなど許さなかった。
「お前が歴史に残った偉い人とかだったら、もう完璧すぎて笑えなかったけどな」
「そうそう。怖れおおすぎて酒を奢らせたくなっちまう」
「どういう理論だ」
無茶苦茶な要求を出した友人の背中を叩き、兵士は声を立てて笑う。
気の置けない仲間の、戦場で互いの命を預けあう仲間の、ちょっとした笑い話のはずだった。
そこに、憎しみに等しい嫉妬を抱いた指揮官が現れなければ。
「喜べ、お前たちに任務だ」
太ったカエルのように膨らんだ頼を引きつらせ、指揮官は兵士たちの前で告げた。
その言葉の意味を理解しなかった仲間たちがいぶかし気に眉をひそめる。
それに対して大声を張り上げようとした指揮官に、兵士は代表で疑問を投げかけた。
「進行中の作戦は無いと伺っておりますが」
「はっ、ただの雑魚兵士どもに作戦を全て教えるわけがなかろう」
鼻で笑って侮蔑のまなざしを兵士に向ける指揮官。
だが兵士は冷静にそれを受け止めつつ、思考を巡らせる。
彼が知らなくとも兵士同士の横のつながりはあるし、信頼のおける上官がいる部隊から情報を得ることもできる。
それに他の隊の指揮官からも疎まれているようなこの男が、そんな重要な任務を任されるとは到底思えない。
そんな兵士たちの思いに気付くはずもなく、指揮官は歌うように任務の詳細を大声で説明を始める。
「これは! 私が! 直々に! 上官から託された極秘の任務だ!」
広く開けた訓練場で、機密性も何もないそんな場所で、脂肪以外頭に何も詰まっていない指揮官は告げた。
心の中で大きなため息をつきつつ、兵士たちは彼の演説を大人しく聞く。
ここで少しでも彼の言葉を止めようならば、理不尽な罵倒が返ってくるだけだ。
ちらりちらりと視線が、仲間たちの真の指揮官である兵士へと向けられる。
だが重く垂れさがった瞼ではその様子を感じ取ることもできないのか、指揮官は自分に酔いしれながら言葉を続けた。
「国に長く害をもたらす存在がいる。それを消す重大な任務だ。国家機密に近い存在をお前たちのような低俗なやつらが知ることができるのを光栄に思え。そいつは近くこの国の中を移動するらしい。そこを襲えば簡単に殺せるだろう。頭の足りないお前たちでもできる任務だ。失敗するなど許されないぞ」
その言葉に兵士は眉を寄せる。簡単な任務。だが一方で重要ではあるようだ。
であれば、こんな一般市民の寄せ集めのような隊に任務が来るのはおかしい。
しかも愚鈍だと誰もが知っているこの指揮官の元に依頼するなど、明らかに不自然だ。
だがそれを口にすることはせず、兵士は指揮官の話が終わるのを待った。
「これが資料だ。任務の期限は一か月後。とっとと動け、ウスノロども」
指揮官は、手に持っていた紙の束を兵士の隣に立つ訓練兵の胸元に押し付ける。
兵士に渡すことで、彼がこの隊のリーダーであることを認めたくない、という彼の器の小ささの表れだ。
「あの、どうぞ」
「ありがとう」
指揮官が去ってから、兵士は訓練兵から書類を受け取って表紙を見つめる。
極秘のはずなのに、こんな公文書が発行されること自体がおかしいということが分からないのか。
国からの勅命であれば正式な印がされた指示書が届くはずだし、極秘であれば密かに呼び出されてメモを取ることすら許されない状態で指示が下されるはず。
何もかもがちぐはぐなこの任務に、兵士は眉根を寄せたままそこに書かれた作戦名を読み上げた。
「魔女暗殺計画――」
ずきりと目の奥が痛み、金色の閃光が瞼の裏を駆け抜けた。
思わずうめきを漏らした兵士に、隣から心配そうな友人の声がかかった。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫だ。ちょっと目眩がしただけだ」
「大丈夫じゃねえだろ、それ。最近寝れてないんだろ? 今はまだ目標は移動してないらしいから、しばらく休んどけ」
ぼんぼんと肩を叩かれ、兵士は長く息を吐きだす。
頭を巡らせれば、友人以外からも気づかわし気な視線を向けられ、兵士は苦笑した。
「分かった。悪いけど少し寝てくる」
「そうしろ。んじゃ、代わりに残れる奴は?」
そう言いつつ友人は仲間を見回すとその中の一人が手を上げた。
「俺、いいぜ」
「助かる」
見張りを交代してくれた仲間に礼を言い、兵士は寝床を広げたままのテントへと潜り込んだ。
靴もそのままにごろりと横になり、暗く光を通さないテントの天井部分を見上げる。
時折兵士を悩ます頭痛は、この作戦の指令が下された日から起きるようになった。
そのたび脳を焼くように輝く金の光と、断片的に浮かび上がる誰かの記憶。
これが前世の記憶なのかと仲間に聞くこともできず、兵士は藍の目を閉じてため息をつく。
「終転の、魔女」
資料には魔女は銀の髪と金色の瞳を持つとあった。
それが何を表わすのか、兵士は考え続けている。
任務が与えられてから三週間。期限である一ヶ月は目前に迫っている。
戦火が広がり始めた国内を抜け、脱出を図ろうとしているらしい魔女。国の仇が国外に出ると言うのであれば、そのまま放っておいても良さそうだが、執拗に彼女の命を狙わないといけない理由があるのだろう。
作戦に送り出されたのはたったの五名。隊の残りのメンバーは補給係として指揮官の元に残された。明らかに嫌がらせだ。
だがそれ以外にも、この作戦では不審な事がたくさんある。
しかしそれを判断して指示を仰ぐ相手もおらず、兵士はこのところの不眠も重なり疲弊しきっていた。
「――おい、起きてるか?」
どろりとぬかるみに体が沈みこむような落下感の中、潜めた声が兵士を呼ぶ。
兵士は藍の目を開き、ほんの一瞬記憶をたどる。そして周囲が明るいのに気づいて慌てて飛び起きた。
「起きた。何があった?」
そのままの格好で寝ていたため支度を整えるほどでもないが、おざなりに髪の毛を手櫛で整えてテントの外に出る。
そして友人に声を掛けた瞬間、何があったのかを理解した。
「まぁ、あれだな」
顎でくいっと一方向を示す友人。
そこには周囲を明るく照らす馬車から吊り下げられたランプと、その光の中に立つ指揮官がいた。
「何をさぼっておる! これだからお前などにこの重要な極秘作戦の現場を任せることはできんのだ」
極秘任務と言う言葉の意味を本当に分かっているのか。いや、分かっていないから、こんな場所に目立つ馬車で明かりを堂々と付けたまま現れることができるのだろう。
痛む頭を押さえつつ、兵士はどうしたらこの場からこの指揮官を追い返すことができるかと考えを巡らせる。
今はまだ魔女が動きを見せていないとはいえ、いつまでもここに指揮官がいたら即座にこちらの存在を捕捉されてしまうだろう。
ため息を押し殺し、兵士は指揮官に向き直る。
自分がさぼっていると思われるのはどうでも良いが、たったの五人で作戦を回していたため誰もが疲弊しきっている。少しくらい休憩が欲しい。
「指揮官殿、良いところに」
突然愛想の良い笑みを浮かべた兵士に、指揮官が踏みつぶされたカエルのような顔で押し黙る。
「五人で警戒に当たり続けており、休憩や食事すら満足に取れておりません。これではせっかく指揮官殿に託された極秘任務を失敗してしまいます」
兵士の言葉に、周囲にいた仲間もわざとらしく肩を落として疲れ切った表情を見せる。
指揮官は“任務の失敗”という言葉に目に見えて動揺する。わずかの間、兵士に対する嫌がらせと、自分の名声を天秤にかけるのが分かった。
「お前たちがまったく役に立たないのが私のせいにされては困る」
「ですよね。なので、ここの哨戒は指揮官と、指揮官付きの兵士にしていただいて我々は少し仮眠を頂きます」
「は?」
指揮官の口から、わずかな音が漏れた。だが間髪入れずに、友人が大きな明るい声を出した。
「さすが指揮官殿。我々の体力の限界を見越して、直々にこの場に来てくださるとは!」
「いやぁ、兵士思いの素晴らしい指揮官様だ」
「交代要員に馬車の御者と見せかけて兵士を連れてくるだなんて、お優しい!」
「そうですよ。ええっと、三人? 指揮官殿も入れれば四人じゃないですか! 我々が安全に休めるようにしてくださるとはもう感激で涙が出ます」
「せっかくこんなところまで来てくださったのですから、お時間を取らせてはいけませんね。すぐに休憩に入ります」
「みんな、行くぞ!」
「おう!」
「ちょ、おい、ま……」
唖然とする指揮官と、その後ろで慌てている彼付きの兵士。彼らはあくまで補佐で実戦経験など皆無だが、それは指揮官も同じ。
だがどの国も戦争に明け暮れているこの時代。兵士になって戦場に来たからには少しでも働いてもらわないと困る。
魔女の動きが無い今が、兵士と仲間たちにとって心置きなく休みを取れる最後の時間となった。
それから四日経ち、昼夜の警戒ローテーションに組み込まれた指揮官や彼付きの兵士にも疲労が出始めた。
だが、いつ「もう帰る」と言い出すのかと待っていた兵士のところに、嬉しくない知らせが舞い込んできた。
「動きが?」
「はい、早ければ今夜、ここを通ると」
潜めた声で兵士は報告に来た仲間に確認を取る。
舌打ちしたくなるのをこらえ、兵士は見張っている街道の先を睨む。
あと半日でもずれていたら指揮官たちを追い返せていたかもしれないのに、最悪に近いタイミングだ。
「どうする?」
友人の問いかけに、兵士は緩くかぶりを振る。
指揮官が自分からここを去るように誘導したかったが、今夜までという短い時間では難しい。
空を見上げれば薄く灰色の雲が広がり始めている。
「雨が降ればテントか馬車の中で大人しくしているだろう」
「ああ、確かに」
仲間もそろって空を見上げる。
作戦中の雨はこちらの動きも鈍るが、相手に存在を悟られにくくするメリットもある。
あのどうしても五月蠅い指揮官の声や足音を消すには丁度いいだろう。
「俺、天候の相談をしてくる。そうしたらあいつは勝手にこっちに全部おしつけてくるだろ」
「任せた」
片手を上げて指揮官の元へと報告に向かう友人を見送る。恐らく彼の予想通りに事は運ぶだろう。
後は魔女がここを通る時、自分の仕事をこなせばいいだけだ。
兵士は唇を舌で濡らし、今夜の作戦をもう一度練り直し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます