第7話 青い商人と不死の魔女


 その客はあらかじめ連絡してきた時間通り、魔女の住む屋敷へとやってきた。

 部屋の入り口で商人らしい過剰かつ丁寧な挨拶をし、商人らしい真意の見えにくい瞳で微笑んだ。

 本に視線を落としたまま全く興味を示さない魔女の様子に、商人は微笑みを浮かべたまま言った。


「あの方がお眠りにつかれて何年になるのでしょうか」


 その問いかけに魔女は顔を上げる。

 輝きを失った金の瞳で商人を見つめ、そして感情の全くこもっていない平坦な声を出した。


「ああ、二代目ね。それとも九代目?」

「この度、十六代目を継ぎました、とさっき申しました」

「そう」


 興味なさげに魔女は呟き、手元に広げた本へと向き直る。

 ぱらりとページをめくり、先ほどの商人の問いに答えた。


「もうすぐ二十年」

「ではとっくの昔にどこかで産声を上げて、そろそろ成人していてもおかしくないでしょう」


 にこやかな笑みで商人は慰めの言葉をかける。

 魔女にそんなことを言うのはこの商人くらいだ。銀の眉をピクリと寄せた魔女に気づいていながら、彼は続ける。


「これからも引き続きお客様との橋渡しをさせていただきます。昨今では戦争が多くなり、疲弊した魂が増えているようです。魔女様のお力を頼りにしている民は多くいます。どうか傷ついた魂をお救いください」


 そう言って商人は礼を取る。

 魔女が何の反応も示すことなくとも、彼は常に魔女への態度を崩すことはない。

 たった、一度を除いては。





 それは彼が商会の二代目を継いだばかりの頃。

 初代会長として商会を大きく発展させた父の跡を継ぎ、太客との顔つなぎや重要な取引全てを任されるようになってしばらくした頃だった。

 父はたった一つだけ、彼にまだ教えていないことがあった。

 それは終転の魔女の存在。

 彼の父は決めかねていた。

 国の最大の秘密とも言える魔女の存在を息子に明かすかどうか。そしてその秘密を代々継いでいくべきかどうか。

 魔女との関わりを一切無くすならば、これが最大の好機。これを機に自分の作った商会とは全く異なる機関に託すこともできる。

 決めかねた彼は一度だけ、息子がどのようにそれを処理するかを試すことにした。


 ――ある女性に、人を紹介する仕事だ。


 そう告げ、その女性との面会希望者のリストを息子に渡した。

 その中から本当にその女性と会うべき者を見つけろと。



 そして二代目だった彼は、失敗した。



 それは一瞬のことだった。

 二代目としての矜持と重圧に挟まれながら、彼は何とか父から継いだ業務をこなしていた。

 それでも、最後に託されたその仕事の価値を見抜くことができなかった。


 二代目が初めて魔女に会ったのは、ことが起こる一週間ほど前だった。

 父親と共に訪れたひっそりとした屋敷に魔女はいた。


「私の跡を継ぐ二代目の商会長です。これからの繋ぎは彼が行わせていただきます」


 貴族や上客に接する時のような丁寧な言葉遣いで挨拶をする初代会長。

 二代目はその後ろで神妙な顔をしつつ、相手を観察した。

 黒いハーフベールで顔を半分隠しているが、僅かに見える顔の輪郭や唇から相当な美人であると分かる。

 もっと近づいたらあの紗の奥もおぼろげには分かるのではないか。

 父の後ろで二代目はそんなことを考えていた。

 もし魔女が男性だったら、高齢だったら、いかめしい雰囲気だったら違ったかもしれない。

 だが魔女は若い風貌をしていたし、客が挨拶をしているにもかかわらず体を半分斜めして背もたれ部分に肘をつき、反対の手で開いた本を読んでいた。


 父を尊敬し、自尊心の高い二代目は魔女を軽視した。

 だがそれにより彼が大きな間違いを犯したわけではない。

 彼は託された仕事を真面目にこなし、父から渡されたリストを入念に調べた。

 そこに記載された名前を調べ、彼らの状況を探った。


 ある者は裕福で幸福の絶頂にいた。

 ある者は裏切られ絶望のどん底にいた。

 ある者は平凡な人生を生き、ある者は孤独な人生を生きていた。


 事情も何もかもばらばらなそれらの中から、二代目はある人物を選んだ。


「この人を魔女様に合わせようと思います」


 最終確認として、その人物の情報を父親である先代に見せた。

 彼はその資料を一瞥し、そしてわずかに眉をひそめた。

 他の業務を遂行する中でも見せたことのないその表情に、二代目はわずかに違和感を覚えた。

 だが先代は彼の決定に口を出すことはなかった。

 たった一つだけ、普段はあえて口に出したことのない指示を出した。


「護衛を連れていけ」


 二代目は戸惑いながらも深く考えずに首を縦に振った。

 その指示の本当の意味を、彼は血に染まった部屋で知ることとなる。




 魔女とリストから選んだ客との面会日が決まった。

 当日、直前に顔を合わせた客は凡庸な町人だった。

 そう、二代目が彼を選んだのは、彼が凡庸だったからだ。


 何か大きな事を為したわけでもなく、金に溺れてもおらず、ただの信仰心の厚い町人。

 これは彼なりの打算だった。

 金持ちを引き合わせたら、自分が金を優先すると思われるのではないか。

 裏切られてボロボロになった人を引き合わせたら、嫌な顔をされるのではないか。

 あらゆる状況を予想し、最初はまず魔女の反応を見るために今回の客を選んだ。

 どう転んでも、自分には何の不利にもならない。それが彼の出した答えだった。



「魔女様、こちらが今回の依頼者となります」

「わ、私は」

「名前はいらないわ」


 高い天井のがらんとした部屋に魔女の声が響く。

 彼女は相変わらず部屋の真ん中に置かれた長椅子に座り、黒いベールをかぶっている。

 客を迎えるために立ち上がることもせず、魔女は淡々と作業のように告げた。


「そこのソファに座って。とりあえず話を聞くから」


 その言葉に二代目は頷き、ためらいを見せる客の背をそっと押す。

 二代目の仕事は一旦ここまでだ。魔女と客を引き合わせ、そして用件が終わるまでは部屋の外で待機する。

 客がこの部屋を出てきたら何も聞かずに元の場所へと送り届ける。

 それだけの仕事のはずだった。


 一礼してその場から辞そうとする直前、二代目が連れて来た客が動き出した。


「ま、魔女、さま」


 ふるふると震える男が、一歩、二歩と魔女の元へと近づく。

 二代目はその後ろ姿を見ながら、感激のあまり足元がおぼつかないのだろうと思った。

 その男は、魔女に勧められた席に着くのかと思えば、そのままソファの横を通り過ぎて更に魔女の元へと足を進めた。

 二代目は彼を引き留めようかどうか一瞬迷った。客が魔女に無礼をはたらけば、それは二代目の失点になる。


 しかしその迷いが仇となった。

 魔女が首をかしげながら男を見上げる。

 そして、紗の奥で彼女の瞳が強く光った。

 金の光が二代目にも届く。


「ああ、あなた、歪んでしまったのね」


 どこか楽し気な魔女の声がした。

 彼女の赤い唇が細い弓のように左右に引き絞られる。


「うあああああああ!!」


 突如、男の口から叫びが上がる。

 高く、濁った叫び。

 男の手にはいつの間にか短刀が握られている。

 それが一度きらりと光り、そして鋭い切っ先が魔女の胸元へと吸い込まれていった。


「はっ」


 魔女の口から、悲鳴でもなく断末魔でもなく、ただの微かな吐息が漏れる。

 男は自分の体重全部を乗せるように、刃を更に奥深くに突き立てた。


 ゴリっと音が聞こえた気がした。

 魔女の中心を狙った刃が、彼女の骨を砕き、その奥にある心の臓をえぐる音が。


 ずるりと引き抜かれた短刀が赤く濡れている。


 ――ああ、魔女の血も赤いのか。


 場にそぐわない考えが二代目の頭をよぎる。

 こぶりと魔女の赤い唇から、血が伝った。

 それを見た男の両目が歓喜に震えたのを感じた。


「裏切りの聖女に、制裁を!」


 高らかに男が叫びを上げる。

 二代目が立っている場所からは彼の背中しか見えないはずなのに、なぜかその顔に狂喜が浮かんでいるのが分かった。

 呆然と、足がその場に縫い留められたまま二代目はその終わりを見ていた。

 赤く濡れた刃を高々と掲げ、男は勝鬨の声を上げた。


「おおおおおお!」


 そして、たった今魔女の命を刈り取ったその凶器を自分の首に向けた。

 戸惑いも未練も何もない。

 魔女の体から短刀を引き抜いたその勢いそのままに、彼は自分の喉元を引き裂いた。


「ぐふぉ!」


 男の体が大きく揺れる。

 首から吹き上がる血が、男の顔とその正面に横たわる魔女の体をびしゃびしゃに濡らしていく。

 全てが非現実的な夢のようで、そして悪夢のような現実だった。

 どさりと力を失った男の体が、魔女の体の足元に崩れ落ちた。

 二代目の心臓が疾走する馬の足音のように跳ねる。

 はっはっと口で息した途端、濃厚な血の臭いが彼の喉と鼻を満たした。


「ぐええ!」


 何が起こったかを頭が理解する前に、体が拒否反応を起こす。床に這いつくばり、目の前のカーペットに向かって嘔吐した。

 体がブルブルと震え、すえた臭いが周囲に広がった。両目から涙があふれる。それが吐いたからなのか、恐怖からなのかは彼自身も分からなかった。

 全身をおこりのように何度も震わせ、二代目は胃の中が空になるまで吐き続けた。

 汚い嘔吐の音が繰り返される。耳の奥で血管が破壊しそうなほど心臓の音が鳴り続けている。


 ――チリーーーン


 突如、澄んだベルの音が響いた。


 二代目は涙と吐しゃ物に汚れた顔を緩慢に上げ、そして驚愕に目を見開く。

 胸から血を流した魔女が、銀のハンドベルを手にして立っていた。


「あ……?」


 汚れた口から意味をなさない音が漏れる。


 ――チリーーーン


 再度響き渡ったベルの音。この凄惨な場所で、それは浄化の光のように広がった。


「お呼びでしょうか」


 突然二代目の後ろから声がかかった。

 床に這いつくばったまま、二代目は驚きに体を大きく震わせる。

 乱れた前髪の隙間からおずおずと見上げれば、そこには彼が連れて来た護衛たちの姿があった。

 なぜと思う前に、彼らに向かって魔女が指示を出す。


「ここを片付けて」

「はっ」


 上司であるはずの二代目の存在を気にかける事もなく、動き出す護衛たち。

 魔女は破れた服から見える白い胸を気にする様子もなく、ソファに寄りかかるようにして絶命した客の横に立った。

 表情の見えない紗の奥で、魔女は一度強くその両目をつぶった。

 何かに祈るように、または何かを追い払うように。

 そして再度目を開き、魔女は誰に聞かせるともなく呟いた。


「前世は聖女の騎士だった男よ。聖女を守るはずが聖女を失ってしまって歪んだのね」


 血にまみれたまま彼女はソファに斜めに腰を下ろし、そのかつて騎士だった男の死体をじっと見つめた。

 どちらのものか分からない血が、魔女の指先からぼたりと床に落ちる。

 その指先を伸ばし、魔女は優しく男の顔にかかった髪の毛をよける。


「あともう一瞬早ければ彼を転生から解放させられたのに、惜しかったわ」


 見開かれた男の両目を魔女の指が優しくなでる。赤い血が瞼に乗った。瞼を閉じたその男はどこか安らぎを得たかのように見えた。


「またきっと会うわね。その時は安らかに眠らせてあげられたら良いけど」


 そう言って魔女は、物言わぬ躯から一歩離れた。

 すかさずそのスペースに二代目が連れて来た護衛が入る。

 護衛が手にした袋に、凡庸な町人だった男の体が詰め込まれた。

 魔女はくるりとその場から背を向けながら言った。


「そこのソファも、新しいものを入れておいて」

「はっ」


 立ちすくんだままの二代目の代わりに、護衛が返事をする声が聞こえた。

 何事もなかったかのように魔女は部屋を横切り、そして客を出迎える側とは反対の扉のドアを開けた。

 そして魔女は一度立ち止まり、体半分だけ振り返って二代目へと視線を向ける。


「初代には、魔女が依頼を失敗したと言っておいて。彼の終転ができなかったのは事実だから」


 彼女はそれだけを言い残し、二代目の返事も待たずに出て行ってしまった。


 広い部屋にはせわしなく動き回る護衛たちの足音だけが響いていた。




 それから二代目は今まで以上に慎重になった。

 請け負った仕事や人間関係、あらゆる情報をかき集め、少しでも疑わしい取引には関わることはなかった。

 臆病者とからかう者もいた。だが彼はその姿勢を崩すことはしなかった。

 失敗が引き起こす悪夢が二代目を襲った。

 それ以降も魔女に客を引き合わせるたびに、あの惨劇が再び起こるのではないかと震えた。

 しかし何も起こることなく、魔女に最後に三代目を紹介する時には彼は満足のいく人生だったと感じた。


 その次、更にその次の生で魔女の過去や、いつの間にか現れる魔女の侍従の存在を知ることになる。

 ただ彼はそれ以上の詮索をすることなく、ただ信頼のおける商人として立ち続けることを選んだ。


「また、よろしくお願いします」

「ええ、よろしく」


 魔女の金の瞳が紗の奥で細まる。

 それは前回、さらに前回よりも優し気に見えて、二代目だった男は商人としての笑みに彼自身の感情を乗せる。

 そして丁寧な礼をして商人は魔女の部屋を後にした。




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