第5話 終転の魔女と新緑の丘1



 新緑が萌える山々を抜け、目的地に到着した馬車から降りて魔女は大きく伸びをする。

 柔らかな生成りのシャツと深い青のスカートが、丘の上を通る風を受けてはたはたと揺れる。


「最近は道がだいぶ良くなったとは言え、長旅をしたら疲れるものね」

「馬車の性能は格別に良くなっている」


 魔女の呟きに、至極真面目な答えが返ってくる。

 文句を言おうと振り返れば、言った本人は荷物を馬車から下ろすのに忙しく、もう魔女の方など見てもいなかった。

 魔女も気がそがれて、ごそごそと馬車の中からいくつかのカバンを取り出して地面に置く。

 久しぶりの遠出でやりたいことは多い。ここにたどり着くまでの寄り道も楽しかったが、メインは明日以降だ。


「しばらく晴れそうね」

「この季節のこの地域はめったに天気が崩れないらしい」

「そう……良かったわ」


 欲しかったのはそんな答えじゃない。甘い言葉を言えというわけではないが、もっと旅に浮かれた発言が欲しかったのだ。

 そんな不満を魔女が抱いているとはつゆ知らず、武骨に鍛え上げらえた筋肉を発揮して侍従は荷物を宿の中へと運び込んでいく。小さくため息をつき、魔女も両手にカバンを持って彼の後に続いた。


 ここは魔所の記憶ではかつては何もなかった場所だ。

 どちらかと言えばこの地域は大都市から遠く離れており、とある噂によって忌避されていた。

 しかし道が伸び、人が行き交うようになり、そして人の考え方が変化して今は有名な観光地の一つとなっている。

 そしてこの地を有名にしたその理由を目にして、魔女は金の瞳を真昼の太陽のように輝かせた。


「うわ! 綺麗! 綺麗すぎる! 見て! 見てみて!」


 宿の上階に案内され、そこから見えた景色に魔女はぱたぱたと窓に駆け寄った。

 窓の外に広がるのは、春から初夏にかけての季節にしか見られないと言われている絶景。

 淵が大きく立ち上がった湖、その端にこのホテルは立っている。澄んだ水をたたえる湖の底はほのかに赤い。燃え盛る赤というより、冬の寒さに赤らんだ子供の頬のように優しげな色だ。

 遠くに見える山々の緑と、晴れた青い空がこの自然が作った絵画に色を添えている。


「ここがかつて何て呼ばれていたか、知ってる?」


 窓の桟に手を置き、乗り出すようにして特等席からの眺めを堪能しながら魔女は尋ねる。


「魔女の、鉄槌」


 部屋の隅に荷物を置き、侍従はポツリと答えた。

 振り返った魔女と侍従の視線が絡む。

 にんまりと左右に広がる魔女の唇。侍従は藍の目を細めて、窓に近寄る。そして大きく窪んだ大地とそこに溜まった水をしばらく観察してから、どこかのんびりと草をはむ牛のようにゆっくりと首を上下させた。


「もし魔女がいたら、かなり凶暴で怪力だろうな」

「はぁ!?」


 まさかの返しに、魔女の口から素っ頓狂な声が飛び出した。

 見上げた侍従の厚めの唇はぐにゃりと歪み、瞳にはからかいの色が浮かんでいる。魔女のゆるく握った拳を簡単に避け、侍従は魔女の攻撃範囲から脱出する。

 その筋肉の盛り上がった背を睨み、魔女は唇を尖らせる。


「ちょっと、どういう意味? ね、今の、どういう意味?」


 呼び止める魔女の声を聞こえないふりをして、床に片膝をついて荷解きを始める侍従。

 あまりな態度に魔女は彼の名を叫んだ。


「レゾル!」


 忙しなく動いていた侍従の手が止まる。

 彼は背中を起こし、激情にいつもよりも強い輝きを放つ金の瞳を見つめ返した。


「呼んだら、答えて。私の声を、無視しないで」


 体の横で両手を握り締めて震わせる魔女の姿に、侍従は立ち上がる。

 数歩で魔女の前に立った彼は、柔らかな銀の髪を優しく撫でる。そして金の瞳の縁に浮かぶ涙を見つけ、どこか仕方ない子を見るように眉を寄せる。


「荷物を片付けるから、少しだけ待って」


 彼の吐息のような囁きに、魔女はかぶりを振る。まるで自分が本当に駄々っ子になったような気分になる。そんな時代はもう何百年も前に過ぎたというのに。この男の前ではいつまで経っても頼りない子供だ。


「待つのは、嫌」


 切実な訴えに、侍従の腕が伸びる。ボスっと魔女の体が硬い筋肉に包まれた。柔らかな頬が潰れて、魔女は顔を顰める。


「硬いわ」

「鎧ほどではない」

「まぁ、そうだけど」


 鎧を着たこの男に抱きしめられた時は、肌が削れるかと思った。魔女は遠い記憶を思い出しつつ、目を細める。

 今はもう全身を金属の鎧で包んだ男たちを見ることは少なくなってきた。まだ一部残ってはいるが、時代が変わってきた証だろう。

 サラサラと魔女の銀の髪をすいて遊ぶ侍従の手を感じながら、魔女は満足げにため息をつく。結局なんだかんだでこうして一緒にいるだけで幸せなのだ。


「明日、見に行きたい場所があるの」

「ああ」

「どことは聞かないの?」

「行けばわかるんだろ」

「そうだけど」


 もっと興味を持って欲しいと口をモゴモゴと動かす魔女。そこにかすめるように口づけを落として侍従は離れる。

 去ってしまった温もりを惜しみつつ、魔女は窓辺に戻る。明日行くつもりの場所を目だけで探した。


「あった」


 小さな呟きが漏れる。

 魔女の鉄槌が降りたこの地をずっと見守り続けるその存在、一本の木が魔女の訪れを待っていた。








 木々が冬支度を始める季節。落ち葉を踏み締めてその感触を楽しんでいた男の子は、ふと一緒に来ていた友達がいないことに気づく。

 慌てて見回し、彼女が何やら太い枝を使って地面に穴を掘っているのを見つけた。


「何、してんの?」


 後ろから覗き込むと、小さな穴のそばにはここに来る途中で拾った木の実が幾つも転がっている。

 女の子は両手で枝を持ち、ガシガシと地面を掘りながら楽しそうに答えた。


「リスさんに見つけてもらうの!」

「リス?」

「うん!」


 大きく頷き、一旦木の枝を横に置いて掘った穴の深さを確かめる。女の子の人差し指が少しだけ埋まる小さな穴だ。だが彼女はそれで十分だと判断したらしく、横に置いた木の実を一つ取り、ポトリとその穴の中に落とした。

 それから周囲の土や木の葉をかき集め、その穴をそっと覆う。


「これでよし!」


 どうやらこれが彼女にとっての正解らしい。

 パンパンと両手を払い、女の子は残りの木の実を握って立ち上がる。


「これ、もっと埋めに行こう!」

「どこに?」

「森じゅうに! ほら、この枝持って!」


 自分の両手は木の実で塞がっているからと、女の子は視線で地面に置いた枝を示す。

 男の子は躊躇わずにそれを拾い上げ、トンっと肩に担いだ。まるで物語の中で財宝を隠す盗賊のように、これから自分たちはリスたちのお宝を森に隠すのだ。


「どうせなら、丘の上に行こう!」

「うん!」


 男の子の誘いに、女の子は顔を輝かせる。

 二人の家族と大好きな友達が住む街が見下ろせる丘。そう、お宝は最高の場所に埋めるべきだ。

 そうして二人の子供は森の至る所に木の実を埋めた。

 

 それから数年後、丘の上にヒョロリと細い木が立っていた。

 その木はその場所でゆっくりと成長していく。塞ぐものが何もない丘で、太陽の光を十分に浴びて幹を伸ばし、枝を広げ、葉を生い茂らせる。

 それは木の実を植えた男の子と女の子が成長して、家族を築き、そして孫たちと一緒にまたこの丘に来る頃には街からでも見つけられるほどに大きく育った。


 その木はそれからずっと街を見守り続けた。

 子供のさらに子供たちが森ではしゃぎ回って疲れた時、その木は暑い日差しを遮って彼らがゆっくりと休めるようにした。

 冬が来る前には森の小動物たちのために木の実をつける。そう、あの女の子が望んだように、リスたちが木の実を集めるためにその木の元へとやってきた。

 丘から見下ろす街が大きくなり、そしてそこに住む人も増えていく。森が整備され、そして丘へと続く道ができた。

 丘の上の木の周囲にはベンチが置かれた。

 木の足元で語らう恋人たちや弁当を広げる家族。

 木は幸せだった。

 木は長い年月を生き続けた。だが生き物に終わりがあるように、この木にも終わりが訪れる。

 天からの雷が高い丘の頂点にある木を引き裂いた。

 街の住人たちは丘の上のシンボルが無くなったことを嘆きつつ、そこに木の根だけを残して囲いを作った。長く街を見守り続けた木への、住人たちの温かな思いがそこにあった。

 そして数年後、同じ場所に新たな木が育っているのを住人は見つける。同じ木から生えたのか、それともまた忘れっぽいリスが木の実を残していったのか、誰にも分からない。

 だが何代にも渡り、その木は丘の上で街の人々を見守り続けた。



 そして、終わりの日がやって来る。




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