第4話 終転の魔女と絶望の囚人2
「魔女と会ったのはいつだ?」
役人の質問に、囚人はピクリと体を震わせ、そしておずおずと窺うように魔女を見上げた。
だが魔女の整いすぎた美貌からは何の感情も読み取れず、力無く首を垂れる。
「……二度、前の時、です」
「放火の時か?」
「はい」
囚人の答えに役人は顎に当てた指を忙しなく動かす。
横目で魔女を確認するが、魔女は前世の記録を詠む以外は自分の仕事では無いと言いたげに無表情のままだ。
「なぜ、彼を転生させた?」
「転生をさせたのは私じゃない」
「言い方を変えよう。なぜこの囚人に力を使わなかった?」
今度は正しい質問をしたのか、魔女の整った眉がピクリと動く。そして少しだけ不満をあらわにするように、唇を尖らせた。
「望まなかったから」
「こいつが?」
間髪入れない役人の問いに、魔女がふるりとかぶりを振る。サラリと揺れる銀の髪に役人の視線が吸い寄せられた。だから一瞬、魔女の答えの意味を考えるのが遅れた。
「ーーその時の役人が」
「役人が?」
鸚鵡返しに呟き、そして考え込むように役人は顎に手を当てて俯く。
同じ立場にいる役人ならば、この囚人の転生の履歴が危険だということを悟ったはず。
生まれ変わる度に何人もの人間を殺し、そして二代前の時は二十人以上の死者を出した。それも、犠牲者のほとんどが貴族だったのだ。
今世の死だけでなく、永遠の死を下すべきだった。それなのに、なぜ今もこの囚人は生きているのか。
「なぜだ?」
知らずのうちに、役人の口から疑問が溢れた。
「効率がいいからだろ」
その答えは魔女からではなく、別の場所から発せられる。
役人が首を巡らせると、窓際に立つ魔女の侍従と視線がかち合った。
彼はわずかにばつの悪い表情をした後、取り繕うように白い手袋をした拳を口に当てて小さく咳をする。
「効率とは?」
役人は彼の下手なごまかしに流されることなく、先ほどの言葉の意味を追求する。
侍従は大きく息を吐くと、ちらりと魔女へ視線を向けてから彼の考えを告げた。
「そこの囚人は、大きな犯罪をいくつも犯してきましたが、それらは皆納得のいくものばかりでした。殺された相手に、そうされても仕方のない非があったのです」
それは囚人が語った事件の真相が正しいのであれば、確かに頷けるものだ。
役人が続きを視線で促すと、わずかに侍従に嘲りともつかない薄い笑みが広がる。それを訝しく思う前に、侍従は滑らかに彼の推測を語り出す。
「たとえば、二代前の放火。もしそれが実際に捜査されていたら? 途中で貴族の横槍が入ったかもしれない。捜査して追い詰めても、まともな裁判がされなかったかもしれない。トカゲの尻尾切りがあったかもしれない。証言者が秘密裏に殺されていたかもしれない。被害者の救済は? 証拠は確実に揃えられただろうか?」
二十人以上の貴族を刑に処す程の力が当時の司法にあったのか。
言外にそう問われ、役人は押し黙る。
ふっと侍従が鼻で笑う。魔女がここまで呼び出されて、囚人の記憶を見たのに力を使わせなかったかつての役人を嘲笑った。
「天秤にかけたんですよ。彼の転生と、取りこぼしてしまう犯罪者の存在を。彼に全ての尻拭いをさせ、捕まえることができない犯罪者を処理させる。そして彼を捕まえて刑に処せば事は丸く収まるんですから」
侍従はそこまで言い終えると、綺麗に礼をとって姿勢を正す。体を起こして正面を向いた彼の顔からは、完璧な使用人の仮面のように何の感情も浮かんでいなかった。
重苦しい沈黙が殺風景な部屋を支配する。
役人は、ここにいる全員が役人がどう判断するか注目しているのを肌で感じていた。
強く噛み締めた奥歯がギリっと不快な音を立てる。
「来世は見えないのか?」
すがるように投げた願いは、魔女によって否定される。
「それは聖女の仕事」
魔女は聞く相手は自分ではないとキッパリとした声で告げる。
役人は投げやりな魔女の答えに落胆する。どこの聖女が、処刑が確定している囚人の来世を見てくれるというのか。
結局は自分で判断するしかないと、役人は改めて目の前の囚人を観察する。
どこにでもいる町人。大した力もなく、金もなく、容姿も優れてはいない。
だからこそ、違和感を覚えた。
だから魔女を呼んだ。
殺人への忌避感がなく、九人も殺したのに取り乱す訳でもない。これから待っている極刑すら諾々と受け入れていた。
「麻痺してきているな」
役人の口からこぼれた呟きに、魔女は彼を見上げてわずかに瞳を揺らす。彼は少しだけ躊躇い、そして自分を納得させるように重々しく頷いた。
「何度も転生を繰り返し、その度に人を殺め、徐々に罪悪感や自分の死への恐怖が薄れている。今までの相手は全て悪だった。だがそれがいつまで続くか保証はない。彼自身が悪へと転び、そしてその麻痺した心のまま、誰かを殺めるかもしれない」
早口に一息で言い切り、役人は深く息を吸い込んで迷いを振り切るようにはっきりと告げた。
「この囚人の生を、ここで終わらせる」
役人の決定に、囚人は伏せていた顔を上げる。
緩んだ口元にあるのは絶望でも懇願でもなく、安堵もしくは喜び。
その力の抜けた表情は、彼自身が転生への希望を失っていたことを物語っていた。
「これは刑罰であり、報奨ではないのだがな」
役人が呟く。
その言葉に我に返るように囚人は顔を落とした。
苦みの走った表情を浮かべ、役人は魔女へと体ごと向き直る。そして右手で囚人を指し示し、会釈とも頷きともつなかない仕草で魔女を促した。
魔女は体の前で重ねていた手をほどき、一歩囚人へと進みでる。
そして彼に向かって伸ばそうとした両手を、空中でぴたりと止めた。
「彼の両手に触れても?」
動きを止めた魔女の問いに、囚人は部屋の中にいた刑務所職員二人を呼び寄せる。
彼らは心得たように囚人の左右に立ち、一人が囚人の手から枷を取り外し、もう一人は足元にかがみこんで今度は足枷を取り付けた。
全ての準備が整ったのを見て、魔女は更にもう一歩足を進める。
所在なさげに手首を撫でていた囚人はピクリと動きを止め、ためらいがちに目の前に立つ魔女を見上げた。
その彼の前に魔女は両手を差し出す。
白く爪の先まで手入れされた美しい指が、まるで彼をダンスに誘うようにふわりと揺れる。
「手を」
短い、だが抗えない声に、囚人は両手を伸ばして魔女の手に自分の手を重ねる。
砂糖菓子のように溶けて消えてしまうのではないかと、触れてはいけないのではないかと思えるほどに美しい魔女。
しかし触れた肌は温かく、囚人は知らず肩から力を抜いた。
「力が働く時、違和感があるかもしれないけど、悪いものじゃないから受け入れて」
「……はい」
魔女の言葉に囚人は頷きかけて慌てて声に出して返事をする。
魔女は気にした様子もなく、ふうっと小さく息を吐く。
人一人分もないその距離。
魔女の吐いた息が自分の元に届くのではないかと、囚人は全く関係の無いことを考えながら密かに息を詰める。
きゅっと重ねた手に力が籠められ、囚人は待ち望んだその瞬間がくることを悟った。
「巡りを止め、流れを止め、転ずるを止めよ。我、クロノスターシャ、終転の巫女なり。汝、我の求めに応ずる者、今世を限りとして、命の源へ還れ」
澄んだ声が詠唱を始める。
魔女の中から何かが囚人の中へと流れ込む。
温かで、チリチリとどこかくすぐったい。冷たい指先を温かな湯につけた時のような心地よい痛みと似ている。
ふと囚人が顔をあげれば、こちらをまっすぐに見つめる金の瞳と視線がぶつかった。
決して光源の多くない殺風景な部屋で、金の輝きが儚く揺れる。
少しずつ熱を増す指先。
囚人は凍え切った心にのしかかる氷塊が溶けだすのを感じた。
進もうとする足元は常に凍り付き、滑って転落する奈落があった。
「巡る生からの解放を得た者よ。限りある生の訪れに祝福を」
詠唱が続き、魔女の瞳の輝きが強くなる。
金色に輝く太陽の光のように、強い熱が囚人の体を駆け巡った。
一瞬で氷が沸き上がり蒸発して消えていく。
彼を悪へと滑り落そうとするその険しい道が掻き消える。
後に残されたのは、ただ何もない彼を眠りに誘うような輝く光だけだった。
「ああ、ああ。やっと、眠れる」
放心したように囚人の口から言葉が漏れた。
彼は魔女が手を放し、そしてその部屋を出ても尚、口元に微笑みを浮かべて滂沱の涙を流し続けた。
「お疲れ様」
馬車に乗り込み、ほっと息をついた魔女に侍従がねぎらいの声を掛ける。
魔女は下ろされた紗の向こう側から侍従へと目を向け、そして猫のようにその目を細くした。
「何、あれ」
「何とは?」
魔女の隣に腰を下ろしつつ、侍従は御者に出発の合図を送る。
向かいに座る魔女を見れば、不機嫌さをあらわにするように口が思いっきり曲がっていた。
ぷっと吹き出して声を上げるとますますその角度が急になる。
「分かってるくせに。何が、"天秤にかけたんですよ”なのよ。格好つけちゃって」
「格好良かったんだ?」
揚げ足を取る侍従に、魔女はぐっと押し黙る。
だが美しく磨きこまれた黒革の靴でゴスゴスと侍従の向う脛を蹴って言葉では勝てない報復をする。
「いたっ、痛い。さすがにそこは痛い」
「何で口出ししたの」
向う脛への攻撃をやめ、グリっと彼のつま先を一度踏んで魔女は彼を睨む。
刑務所への訪問は国の「魔女は必要だから生かしている」という免罪符だ。
だから魔女の家を訪ねてくる客のようにもてなす必要など何もない。
しかし今度は侍従が憶然とした顔で口元をゆがめた。
「イラついたんだよ。前のやつに」
「前のやつ?」
「前の役人」
前回呼び出した役人の言葉かと問えば、侍従はふんっと鼻息だけで答える。
「魔女を呼び出して過去まで見させたのに、馬鹿な選択をした奴。そいつがそん時にちゃんと正しい判断をしておけば、またここに来る必要もなかっただろ」
「ああ、そういう事」
魔女が同じ人物と何度も会うことは少ない。
基本的に魔女の行動範囲は狭いうえ、家に来る客は来世を断ち切りにくる者たちだ。
二度目、三度目など無いに等しい。数種の特殊な例を除いて。
「あいつも、余計な苦しみを味わうことはなかった」
「そうね」
不機嫌な顔のままの侍従の口から、囚人を気遣う言葉が出てくる。
魔女は視線を手元に落としてささやくような声で彼に同意した。
転生は祝福だったはずだ。
いつからか、人は傷ついてもその傷を癒す間もなく進み続けることを強要されるようになった。
祝福が呪いに変わる時は一瞬。だがそのたった一度の業のために人は何百年と苦しまなくてはいけない。
「いい加減、この遊びに飽きればいいのに」
「つまらな過ぎて寝てんだろ」
「だったら全員が滅びるまで寝てるがいいわ」
「おお、同感」
両手を上げて滑稽なポーズを取って侍従は笑う。
全ての生き物が生きることを放棄するまで、どれほど星は巡り続けるのだろうか。
魔女はその時を待ち続ける。一つ一つの魂につけられたくさびを解き放ちながら。
それから数日後、新聞の片隅に九人を毒殺した凶悪犯の死刑が執行されたと報じられた。
「今度こそ、安らかに」
魔女は小さく呟いて、金の瞳を閉じた。
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