新世深夜・神聖

松平 秀作

0話『始まりは緩やかで、終わりは唐突に』

 気付いた時には、もう遅かった。

 何もかもが手遅れで、逃げ場を失っていた。


「………ぁ」

 不意に漏れた声があった。

 頭に過ったのは、自分の死んだ姿。

 この喉は、その鋭すぎる程に、ギラリと月明かりに光る牙に噛み潰され、力虚しく空の肉塊になる肉体には、その肉を引き裂き、千切り、破る為の爪によって付けられた跡がある。


 ああ、所詮は人間だ。

 こうなるのは、決まっている。


 そう理解し、ドシャリという醜い音がして、あり得ないものを見た後、武士から武装を捨てた侍のように、身軽にした獣が自身の獲物を見定め、一直線に駆け始めた。

 それを静かに計測し、確かに記録していく自分の死への時間みちを、やがて空虚の元だと判り、右手を顔前に持ち上げた時―――

「―――ぇ」

 次に放たれたのは、無意識の驚愕だった。

 取り掛かる動作で、最中のまま動きを止めた獣の姿が、視界にはあった。

 時間が止まった感触はなく、死後に囚われた感覚もなかった。


 ただ、そこにあったのは―――

「………鎖」

 鎖。輪っかと輪っかが、無数にも互いを引き留め、鉄の縄になった物が、そこにはあった。

 月明かりが反射し、鎖の固さを、より強調させる。

 鎖が鎖に触れ合い、放たれる音が、その強さを理解させる。


 そんな鎖が、獣とは呼べない化物の首、両足と両腕に絡み付いては、離さない。

 獣は自分の状況に理解が及ばず、目の前に座り込む獲物に、涎を垂らしては威嚇をしている。


 しかし、時は動かない。

 時は止まったまま、獣を空の中ではりつけて、その獰猛さと凶暴さを露呈し、提示してから、逆に戻り始めた。

 違ったのは、獣が辿って、降って来た坂道よりも上空に、そのままの形で持ち上げられ、背後から飛んできた一本の鎖が、胴体に巻き付き、蛇の行き方と同じように、絡み付きながら、獣の肉体を鎖で隠し始めた事。


 やがて、獣の姿の全てが、鎖に隠れ、孵化直前の蛹のような姿に変わった時、タンッという力強い足音がして、気付いた。


 彼女の赤のドレス仕立てのワンピースと、その金のツインテール、紅玉を思わせる赤の瞳。

 そして、そんな彼女の右手から、腕にまでに巻き付いている鎖の姿が、彼女の苛立ちに満ちた表情と良く合っていて、同時に自分の傍観者かんきゃくしゃとしての立場を、思い知らされた。


 間違いはない。

 自分が彼女の場を汚したのだ。

 西条さいじょう夜月よづきの完璧で、華麗なる公演を、自分という存在が舞台上に登った所為で、台無しにしてしまったに違いない。


 だから、それに気付いた事には、もう遅かった。

 何もかもが手遅れで、その鎖がこの首に巻き付いては、逃げ場を失っていた。



 ◇



 始まりは緩やかで、The beginning is gradual

     終わりは唐突に―――。and the end is abrupt.

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新世深夜・神聖 松平 秀作 @emiyahana

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