第20話 犬と猫の邂逅

「レン、おめでとう」


「嫌味をありがとう!」


 レンも今回は樋口さんに手を伸ばすことなくお菓子を手に入れた。


 それを褒めたのに、理不尽に腕を小突かれた。


「明日はレンと会えないんだから今日のうちにレンを補給したいんだよ」


「意味わからないし。オレを補給ってなんだよ」


「レンの『可愛い』を脳内に焼き付けて思い出す為のもの?」


「サキってさ、結構変態だろ」


 レンが呆れたように言うけど、そんなの俺にはわからない。


 自分を主観的に見たことないし、そもそも興味もない。


 でも確かに、最近はレンをからかっているのか、本気で言ってるのかわからなくはなる。


「レンの反応見るの好きだからさ」


「結局サキはそれが一番の理由だから安心できるんだよな。腹立つけど」


 そう言ってレンはもう一度俺の腕を小突く。


「あ、今日も六時までに帰って平気?」


 レンに言おうと思って忘れていたが、今日も六時から水萌みなもさんがうちにやってくる。


 昨日の帰り道でちゃんと約束したけど、水萌さんはスマホを持っていないから、俺が帰っていないと待ちぼうけをくらってしまう。


「別に平気だぞ? そもそもオレに付き合わせてるんだからサキに用事があるなら断ってくれていいんだし」


「俺もレンと会いたいから」


 レンがいきなり俺の腕を連続で小突いてくる。


 俯いているから表情は見えないけど、何か怒らせただろうか。


「レン、痛くないけどそろそろやめて」


「うるさい。サキが悪いから甘んじて受けろ」


「でも周りの視線が痛いんだけど」


 今は土曜日の午後五時過ぎということで、人がそこそこ居る。


 なので先ほどから俺とレンのたわむれをちらちらと見ている人もいる。


 わからないけど、なんだか殺意がこもっている気もする。


「一旦出よ」


「わかった。オレもさすがに見られてるってわかったら恥ずかしい」


「はいはい、可愛い可愛い」


「誰もそんなの求めてねぇわ!」


 レンに思いっきり背中を蹴られた。


 やはり痛くはないけど、レンからしたら胸の位置まで足が上がっているのに、体幹がブレていないことに驚いた。


「体幹強いんだな」


「それなりに色々やってるからな。それより行くぞ。そろそろ店員に追い出される」


 それも『出る』という行為としては同じだけど、これからもここを使うのなら避けたい。


 なので俺とレンは逃げるように、というかその場から逃げた。


 そしてゲームセンターを後にして、俺の住むアパートの方に向かって二人で歩く。


「レンの家もこっちなんだよな?」


「方角的に言ったらな。サキの家は知らないけど、もしかしたらご近所なのかも」


「それなら嬉しいけど……」


 それよりも気になることがあった。


 俺の住むアパートは後数分で着く場所だけど、レンの家はもう少し離れているらしい。


 それはつまり……


「レンって今日、俺から連絡受けてすぐに家出たの?」


「は? 何言ってんのかわからないんだけど?」


「その否定は肯定ってことでいいのか?」


 俺がレンにメッセージを送ったのは、三時を過ぎたあたりだ。


 そしてうちからゲームセンターまでは十分かかるかかからないかぐらいで、俺は集合の十分前にゲームセンターに着いていたレンを見ている。


 おそらくそれよりも前から居たのだろうし、うちからレンの家まで少し離れていると言うなら、少なくとも十五分ぐらいはかかる。


 それを諸々逆算して考えると、俺が連絡してすぐに家を出てることになる。


「返信も早かったし、待っててくれてたのか?」


「たまたまだから。たまたまスマホをいじってたらサキから連絡がきて、たまたまこのパーカーを着てて、なんとなくサキが早く来る気がしたから出ただけ」


 レンがとても早口でまくし立てる。


「普通に嬉しいよ」


「からかえし! なんか……なんか!」


 レンがまたも俺を連続で小突く。


 今日はどうやら可愛いをたくさんくれるみたいだ。


「明日会えないからって大盤振る舞いありがとう」


「やっぱりこいつ変態だろ。殴られて喜ぶとか」


「俺が同じことやっても伝わらないだろうから、共感できないんだよな」


 レンが言ったのはおそらく皮肉なのだろうけど、レンだっていい反応をしてくれる人から叩かれれば微笑ましくなるはずだ。


 俺には絶対にできないから、水萌さんと仲良くなってもらいたいものだ。


「サキを辱めればいいのか?」


「やめとけ。男の恥じらいなんて可愛くないから」


「サキは落ち込むと可愛いぞ」


「やめろし」


 公園でレンと話していた時に、レンの学校でのことを聞いて落ち込んだ。


 その時のことを言ってるのだろうけど、あれのどこが可愛かったのか。


「でもそっか。あの時確かにサキの気持ちは少しわかってたわ」


「俺がレンを大好きってこと?」


「オレもサキが大好きだけどな?」


「まじでやめろし」


 昨日は吹っ切れた俺が水萌さんに快勝したけど、今日は吹っ切れたレンに惨敗しそうな雰囲気になってきた。


 レンの嬉しそうなニマニマ顔を見ても素直に「その顔も可愛い」と言えない。


 逆に。


「照れたサキは可愛いなぁ」


「落ち着け俺。相手はちょろいレンだ。落ち着けば勝てる」


「安い挑発だな。いや、逆に余裕がないのか? 安心するように手でも握ってあげようか?」


 レンはそう言って楽しそうに俺の右手に自分の左手を近づける。


 そしてつんつんと俺の手をつついたりしている。


「ほんとに握ってやろうか」


「今のオレは強いぞ?」


「そうなんだよなぁ……」


 吹っ切れた人間の強さは身をもって昨日実感した。


 おそらく今日はレンに勝てない。


 だからこのまま何もしないのが一番被害を少なくできるのだろうけど、それはなんだか癪だ。


「握るんだ」


 俺はレンの小さな手を優しく握る。


 案の定レンは慌てふためいたりはしないで余裕の表情だ。


 逆に俺はいたたまれない気持ちになっている。


「どういった心境の変化だ? サキの男の子の部分が出てきた?」


「……布石」


「どゆこと?」


 今日は絶対に勝てないので諦めた。


 だから俺は明日以降の俺に全てを託す。


 そして明日以降のレンを信じる。


「レンはきっと酔った後に記憶が残るタイプだって信じたんだよ」


「……お前!」


 レンが慌てて手を離そうとするけど、そんなの俺が許さない。


「レンの方から誘ったんだからな?」


「うるさい離せ。てか顔くらい赤くしろ!」


 前者の言い分はわかるけど、後者のは理不尽が過ぎる。


 確かに今の心境は言い表せるものではないけど、顔が熱くなったりはしていない。


 逆にレンの方が顔を赤くしている。


「明日を待たなくてもいいかな?」


「くそ、なんでこうすぐに形勢が逆転する!」


「レンがちょろいから」


「このやろ……」


 レンは背が低いから、俺を睨む時は絶対に上目遣いになる。


 それにジト目とくれば、それは可愛いしかないわけで、睨まれても怖くない。


 むしろ頭を撫でたくなるのだけど、今は左手がお菓子を入れた袋で塞がっているのでできない。


「レンの手はちっちゃくて可愛いよな」


「馬鹿にしてんのか?」


「俺の好きな手」


「ほんとふざけんな……」


 おそらく俺を殴ろうとしたのだろうけど、左手は俺の右手と繋がっていて、右手は俺と同じようにお菓子の袋で塞がっているので睨むことしかできない。


「別に小さいのは悪いことじゃないだろ」


「それはサキがロリコンだから言えるんだっての!」


「俺が好きなのは小さい子じゃなくてレンと水萌さんであって、その二人がたまたま小さかっただけだっての」


 むしろ子供は嫌いとも言える。


 何を考えているかわからないし、何をするかもわからないし。


「まあサキは本気でそう思ってるんだろうからいいけどさ。今更だし」


「諦めるな。それだと俺がサキは小さいから好きになったみたいじゃないか」


「なんでもいいよ。どうせサキはオレを見捨てないだろ?」


「もちろん」


 それだけは胸を張って言える。


 レンとはこれからの人生をできうる限り一緒に居てもらうのだから。


「だから諦める。何言ってもサキはオレを見捨てないから」


「そういうことならいいや。そんなこんなで着くぞ」


 気がつけば俺の住むアパートが見えるところまで帰ってきていた。


「今度ピンポンダッシュしてやろうか?」


「見た目年齢に合ったことをするんじゃないよ」


「よし、今度喧嘩するか」


「いいのか? 泣くことになるぞ?」


(俺が)


「やめよう、どうせオレが負ける。精神的に」


「それがいい。レンとの喧嘩は痴話喧嘩がいいから」


「しねぇよ。それよりなんかすごいのいるな」


「え?」


 レンが真正面、アパートの入口の方を見ながらそんなことを言う。


 俺も気になってその方向を見ると、そこには金髪の女の子が立っていた。


「ほんとに知らなかったんだ」


「なにが?」


「あれが水萌さんだよ」


「あ……あ?」


 レンが俺の顔を見てから水萌さんの方を見て、もう一度俺の方を向く。


「可愛い顔を向けてくれるのは嬉しいけど、なに?」


「いや、『この前金髪の女子見たなー』って思ったんだけど、あの子見たことあるわ」


「まあ目立つからな」


 同じ学校なのだから、廊下ですれ違ったり、集会で視界に入ったりするかもしれない。


 そして一度視界に入れば記憶に残る。


「違う違う。前に変なの四人に絡まれたって言ったろ?」


「運命の出会いをした時な」


「うっさい。あの子はその四人目……正確には一人目か」


 レンと初めて会ったのは学校前で、おそらく三年生の三人組に絡まれていた時だ。


 そしてレンはその三人の他にもう一人、優しい変な人に絡まれたと言っていた。


「なんか納得。水萌さんは優しいからな」


「惚気か?」


「事実だ」


「つまり惚気だろ?」


 話が通じないのでそういうことにしておく。


森谷もりやさんだっけ? 初対面のオレのことを保健室に運んでくれたんだよな」


「しそう。そしてレンは何をした?」


「守秘義務を行使する」


「無理はするなよ?」


 レンは「ふん」と、そっぽを向いて答える。


「あの子がねぇ……」


「なんだよ」


「べっつにー」


 レンが俺にニマニマした視線を送ってきたと思ったら、なぜか嬉しそうに前を向く。


「あ、舞翔まいとく、ん……」


 水萌さんが俺に気づいて駆け出そうとしたが、その足が止まった。


「手繋いでるせいで誤解生んでないか?」


「レンって外では男の設定なんだろ?」


「一応はそうだな」


「つまり男同士で手を繋いでるように見えるのか」


 よく見ればレンはただの可愛い女の子だけど、口調とその可愛い顔をフードで隠せば性別がわからなくなるようだ。


 実際俺も最初は男か女かわからなかったし。


 そんなことを考えているうちに、固まる水萌さんの目の前に着いた。


「水萌さん大丈夫? この子は名前だけ紹介した──」


「やっぱり恋火れんかちゃんなんだね」


 水萌さんの発言に俺は驚き、レンからはジト目を受けた。


「ごめんね舞翔くん。今日は帰る」


 水萌さんは作ったような笑顔を浮かべて振り返り、駆け出した。


 その背中を俺とレンは見つめることしかできなかった。

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