第8話 笑顔の対価

「あーん」


「いや、あのね」


「あーーーん」


「だからね」


「あーーーーーん」


「すごいデジャブ」


 人生初の友達が二人もできた翌日。


 昼休みに俺はいつも通り体育館裏にやってきた。


 昨日はなんだかんだで昼抜きになっていたけど、レンとの放課後デート(本人に言うと怒られる)が楽しくて空腹を忘れていた。


 家に帰るとそれが一気にきて本当に辛かった。


 だから今日はちゃんとお弁当(自作)を静かに食べようと思っていたけど、お弁当箱を開いたタイミングで水萌みなもさんが大きな袋を持ってやってきた。


 そして「待っててよー!」と少し拗ねたように小走りでやってきて、座って一秒で俺の手から箸を奪った。


「今度は私がする番だったでしょ?」


「思い出して、そんな約束はしてない」


「したもん。……したもん」


「してないね? だから箸を返して」


 確かに水萌さんから食べさせてもらうのを断った時に「じゃあまた今度だ」とは言われたけど、それはあくまで水萌さんが勝手に言ったこと。


 だから俺が従う必要はない。


 決して恥ずかしいとかでは……なくはないけど。


「じゃあさせて」


「自分のペースで食べたい派だから」


舞翔まいとくんは私に『あーん』されるのいや……?」


 水萌さんが取った卵焼きをしゅんとしながら、そっとお弁当箱に戻す。


 本当にずるい。


「嫌とかじゃないよ。俺にもね、心の準備ってのが必要なの」


 水萌さんからの『あーん』なんて男子なら誰もが喜ぶシチュエーションだ。


 俺だって望んでされたい願望はないにしろ、されて嫌だなんてことはない。


 だけどそれとこれとは話が別で、俺はめんどくさい男なので、素直に『恥ずかしい』と言えない。


「だから気持ちは嬉しいけど、またいつかということにはならない?」


「いつかやらせてくれるの?」


「なんでそんなにしたいのかわからないけど、約束」


「ん、それなら待つ。じゃあそれまでは舞翔くんが私に『あーん』して」


「今日もあげようか?」


「昨日も貰ったのに悪いよ。だけど半分こしたいな」


 だからそうすると同じ箸を使わなければいけなくなって、また俺が昼抜きになってしまうのだけど、青いキラキラした瞳で見つめられると断れない。


「今日はね、ちゃんと半分こしよ。私も貰うだけじゃないから」


「それのこと?」


 俺は水萌さんの足元に置かれた袋を指さす。


 少し開いた口から見えているが、大量の惣菜パンや菓子パンだ。


「うん。昨日お家に帰る途中でいっぱい買ったの。あ、ちゃんと賞味期限は大丈夫だよ」


「別に切れてても普通に食べるけど、登校してきた時は持ってなかったよね?」


 いつもはクラスの奴らに興味がなくて見ることなんてしないけど、友達である水萌さんが教室に入ってきた時はなんとなく目で追った。


 すぐに人に囲まれていたけど、その時は鞄以外は何も持っていなかった。


「えっとね、先生に言って家庭科室に置かせてもらったの」


「さすが優等生。その調子で専用の冷蔵庫でも買ってもらいなよ」


 まだ五月の半ばとはいえ、「春は?」と思うぐらいには暑い。


 多分教室に置いておいても昼までに腐るとかはないだろうけど、置いてあっても邪魔だろうし水萌さんの判断は正しいのかもしれない。


 普通はできないけど。


「専用の冷蔵庫かぁ……。それなら電子レンジも欲しいな」


「ちなみになんて言って冷蔵庫使ったの?」


「普通に『お友達と食べたいんですけど』って」


「日頃の行いってすごいな。俺は森谷もりやさんが何してんのか知らないけど」


「むぅ」


 水萌さんがほっぺたを膨らませて俺を睨む。


 理由はわかってるけど、なんとなく続ける。


「どうしたの森谷さん」


「わざとだ、舞翔くんはそうやって私をいじめるんだ。舞翔くんはそんなことしないって思ってたのに……」


「大変申し訳ございませんでした」


 すごい罪悪感に芽生えて土下座をする。


 制服が汚れることなんて気にする価値もない。


「悪いと思うなら?」


「はい、水萌さん」


「それと?」


「……喜んで」


 水萌さんが小さくて可愛らしい口を開けるので、そこに卵焼きを差し出す。


 パクッと卵焼きを食べると、顔が弛緩してふにゃふにゃになる。


「昨日と違う味だけどおいしー」


 ちゃんと前回俺が言ったことを守って卵焼きを飲み込んでから嬉しそうに感想を言う。


「良かった。こういうの聞きたくないけど、どっちのが好き?」


「私は今日のかな。なんかね、昨日は『完璧な味』って感じで、今日のは『美味しい味』って感じ」


 同じに聞こえるけど、言いたいことはわかる。


 母さんの料理は美味しいのは当然として、完璧なのだ。


 家庭料理の完成系みたいな感じで、俺のはその過程のところ。


「なんで『完璧』より『美味しい』の方が好きなの?」


「なんだろ、多分私はオシャレなフレンチよりファミレスが好きなんじゃないかな?」


「すごいわかりやすい例えをありがとう」


 要は『貧乏舌』なのだろう。


 もちろんいい意味で言っている。


 美味しいとは思えるけど、結局食べ慣れてる味の方が好みなんてよくあることだろうし。


「まあ俺は料理人になりたいわけでもないし、水萌さんが喜んでくれるならそれでいいけど」


「もしかして舞翔くんが作ったの?」


「うん。昨日はたまたま母さんが作れたけど、普段は俺が自分で作ってるから」


「舞翔くんはいい奥さんになるよ」


「やめて、母さんにも言われてるから」


 母さんの帰りが遅いので、家事全般は俺がやっている。


 俺も家事は嫌いではないので自分から進んでやるのがいけないのか、母さんにも「あんたはいい奥さんになる。もしも相手が見つからなかったら私の家政婦として雇う」と結構マジな目で言われた。


 母さんは別に家事ができないとかではなく、普通に忙しくてやってる時間がないのだ。


 でも、もしも食いぶちに困ったら母さんに雇ってもらえばいいという最終手段を得られたのは結構大きかったりする。


「舞翔くんはお母さんと仲いいの?」


「どうだろ、ほとんど会わないんだよね。まあ会っても喧嘩するとかはないかな。せっかく家に居るのに家事をやろうとする時は怒るけど」


「仲良しさんだ。いいな……」


 水萌さんの顔が暗くなる。


 笑ってはいるけど、笑顔ではない。


 教室で見る嘘の笑顔とも違う、多分俺が、他人が触れてはいけないタイプの表情だ。


「俺は空気を壊すけど」


 俺はそう言って昨日上手く作れたきんぴらごぼうを箸でつまんで水萌さんの口元に運ぶ。


 水萌さんがそのきんぴらごぼうを食べようとしたところで橋を引き、自分で食べる。


「え?」


「そんな顔してる子にはあげない。せっかく上手く作れたのに味が半減だよ。てか美味いな。一日経ってより美味くなってる」


 水萌さんに暗い顔なんて似合わないからとやってみたが、本当に昨日より美味しくなっていて純粋に驚いてしまった。


「これを食べれないなんてもったいない。てかあげたくない」


 自分で言うなと言われるかもしれないけど、それぐらい昨日のは上手く作れたし、今日のは味が染み込んでより美味しくなっている。


(帰ったら母さんに味見を頼も)


 たくさん作って作り置きもあるので『完璧』を作る母さんに味を見てもらうことにする。


「ということで残りも俺が──」


「ダメ!」


 俺がつまんだきんぴらごぼうを水萌さんがわざわざ俺の前に回り込んでまで食べに来た。


 なんとなくやりそうな気はしてたので前側に箸は向けてたのでそのままパクリ。


「どう?」


「おいひー」


「食べながら喋らない。やっぱり水萌さんは笑顔が一番だよ。特に何かを食べてる時に幸せそうな顔が」


 俺らしくないキザったらしいセリフだけど、本心だから仕方ない。


 水萌さんが笑顔になるのなら、俺のお昼を全て捧げても構わないと思える程にはこの笑顔が好きなようだ。


 今日はさすがに全部はあげないけど。


「舞翔くんは優しいから好き」


「俺も水萌さんの笑顔好きだよ」


「えへへ、褒められたー」


 水萌さんの満面の笑み。水萌さんとの秘密の関係が終わるまではこの笑顔をずっと守っていきたいと心に誓う。

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