第3話 ハッキング

 長い耳が感知した。

 僕は後足で棚を蹴って警戒音を鳴らす。

 と同時に、両隣のぬいぐるみが彼女に襲い掛った。


 今度は彼女が標的らしい。僕を助けたからだ。


 僕の警戒音を聞き取った彼女が、振り向いた直後に、二個のぬいぐるみに襲われた。

 咄嗟のことだったが、彼女の動きは無駄がなく、俊敏で柔軟だ。また、踊っているように優雅でなめらかな身動きをする。

 彼女は、一個のぬいぐるみのパンチを左の掌に当てさせ、右の掌ではもう一個のぬいぐるみの足蹴りを当てさせていた。


 ぬいぐるみだから痛くはないだろうと思ったが、彼女の両手は震えている。表情は無表情だ。演技をする余裕はないほどの攻撃を受けたみたいだ。

 やはり雷様に乗っ取られると異様な力が開花されるらしい。


 ぬいぐるみたちの一個は茶色のクマで、もう一個のぬいぐるみは三毛模様のネコだ。どちらも僕と同じくらいの体長だ。

 彼らは彼女を翻弄するようにちょこまかと敏捷に動き回り、彼女の死角を見つけると切れ味鋭く襲っている。バネのような足で高々と跳躍し重くて強烈なパンチとキックを浴びせたり、突進して足を払おうと仕掛けたりと、彼らの攻撃は次から次へと続いている。


 加勢するべきとも考えるが、いかんせん僕は戦闘能力がまったくない。

 と思っていると……

 苦戦していた彼女が、難無くかわし、素手で反撃し始めた。パンチを繰り出す手やキックする足は、柔軟でリズミカルだ。


 ぬいぐるみたちの動きを学習したみたいだな。

 さすがだな。

 僕はにやりと髭を上下させた。


 かなりの戦闘能力を身に付けている彼女なら、簡単にやっつけてしまうだろう。

 さて、今度こそはハッキングするかな。

 あっ。あれは……

 あれを身に着けているのは、雷様へそ調査チームに所属する者だ。


 僕は目を見張った。


「短刀に分化」


 彼女の指示に従って、彼女が手首に装着している緑色のバングル状のデバイス(多機能携帯電話)から芽が出た。その芽が、細胞分裂と細胞伸長で拡大し、短刀に分化していく。


 まるで早送りの動画を見ているように、見る間に分化していく。

 あのデバイスは、カルス(未分化の植物細胞。動物細胞で言うところの幹細胞)を基にバイオテクノロジーで作られている。だから、身に着けた者の指示であらゆるものに分化(特定の形態を持つこと)する。


 デバイスから生えた短刀の柄の下部をもぎ取った彼女は、それを左手に持つと、鋭い爪を出して引っ掻いてくるネコのぬいぐるみの前足に、短刀の峰(背)を当てた。弾くようにしてネコのぬいぐるみを遠方に押しやる。


「短刀に分化」


 再び彼女はデバイスに指示を出した。


 跳び上がったクマのぬいぐるみが、口を大きく開けた。


 彼女の首を狙っている。

 と思った刹那……

 大きく開いた口に、牙が生えた。


 すんでの所で彼女は、短刀の峰を大きく開いた口にはめ込んだ。そのままぐっと押しやる。宙で押しやられたクマのぬいぐるみは、失速して床に落ちていった。が、すぐさま体勢を整えると、床を蹴って再び飛び跳ね、牙の生えた口を大きく開いた。と同時に、駆け寄ってきたネコのぬいぐるみも飛び跳ねた。鋭い爪で彼女の顔を引っ掻こうとしている。


 俊敏に彼女はもう一本の分化した短刀をデバイスからもぎ取ると、それを右手に持った。


 一本の短刀の峰はクマのぬいぐるみの頬を打って押しやり、もう一本の短刀の峰はネコのぬいぐるみの胸を打って押しやった。


 二本の短刀を両手に持った彼女の裁きは完璧だ。悉くぬいぐるみたちの攻撃を封じ込めている。

 峰打ちで封じ込めているのは、へそ(ポイント)を見定めているからだ。雷様に乗っ取られたへそに一撃を加えて退治しないと、感電する為だ。


 彼女なら大丈夫だ。

 にやりと髭を上下させた僕は、ぴたりと髭を水平にした。

 ハッキングに取りかかる。

 髭を波打たせ、漂う周波数(電波)を捉えていく。

 あっ。

 思い当った僕は満面笑みになった。

 手っ取り早くいきそうだ。

 彼女のデバイスに髭を向ける。


 捉えた。

 侵入に成功。


 彼女の個人情報を入手。


 ぬいぐるみたちと戦う彼女を見つめる僕の脳内では、彼女の個人情報が展開されている。


 彼女は児童養護施設に捨てられた。

 生まれた瞬間から泣かず、笑うこともない、無表情の幼児で、あらゆる病院を受診するが、感情を持たない幼児という烙印を押されるだけだった。それで、若い両親は育てる自信を失った。

 児童養護施設では、施設長の指導の下、喜怒哀楽などの感情を学んでいった。


 学んだといっても、演技をしているってことは、本当の意味での感情は得られていない。

 だが、彼女の演技は完璧に近い。だから、脳信号を読み取れる僕以外が気付くことはないだろう。


「ムチに分化」


 彼女はデバイスに指示を出しながら、素早く短刀の峰を刃にした。


 峰打ちを止めた。

 それが意味するのは、ぬいぐるみたちのへそを見定めたということだ。

 僕はにやりと髭を上下に揺らし、はたと思い当った。


 施設長は彼女に新体操を教えた。


 新体操が彼女の戦闘の基本だ。

 だから、新体操をするかのように戦うんだ。ムチを使った戦いはまさに、新体操の手具、リボンをムチに替えた技だ。


 くるりと一回転した彼女によって、デバイスから生えるムチが円を描くように一回転した。

 詰め寄っていたぬいぐるみたちが後退る。

 それを見逃さず、彼女は短刀の一本を放り捨てると、その手でデバイスから生えたムチの持ち手の下部をもぎ取った。


 牙を剥きだしたクマのぬいぐるみと、爪を剥き出したネコのぬいぐるみが、一斉に飛び跳ねて襲いかかる。


 身を翻した彼女は、踊るように優雅でしなやかにムチを打った。

 クマのぬいぐるみの胴にムチを巻き付け、そのまま床に叩き付ける。

 眼前に迫ったネコのぬいぐるみを避けながら身を縮め、体を捻って短刀を持つ手を伸ばした。直後には、ネコのぬいぐるみのへそである尻に短刀を突き刺していた。


 床に落ちたネコのぬいぐるみの尻が、オレンジ色に輝いた。

 輝きが消えると、短刀は尻から排除されたように抜け落ち、前足に生えていた爪は消え、バトルで負った汚れは消えて、新品のぬいぐるみに戻った。


 驚く僕と違って、彼女は無表情だ。

 演技をしないのは、余裕がないのか、学んだ感情のどれに当てはまるか分からないために演技ができないのか……


 クマのぬいぐるみが、胴にムチを巻き付けたまま、彼女に迫ってきた。

 気付いた彼女は、抜け落ちて床にある短刀をさっと手に取ると、手繰り寄せるようにムチを持つ手を翻した。

 ムチを胴に巻き付けるクマのぬいぐるみは、ふわりと宙に浮かび、彼女の眼前に引き寄せられた。刹那には、クマのぬいぐるみのへそである鼻に短刀は突き刺さった。


 彼女はムチを持つ手を払いながら、くるりと一回転した。


 鼻に短刀を突き刺されたクマのぬいぐるみは、胴に巻き付いていたムチから解放され、宙を舞って床に落ちた。


 ネコのぬいぐるみと同じように、クマのぬいぐるみの鼻はオレンジ色に輝いた後、短刀は鼻から排除されたように抜け落ち、牙は消え、バトルで負った汚れは消えて、新品のぬいぐるみに戻った。


 振り向いた彼女が、僕を見て親指を立て、笑った。

 演技でも彼女の笑顔は最高にかわいい。

 思わず目を細めてしまった。


 彼女が眼前まで来て、棚上の僕を抱きかかえ、床に下ろした。


 ふと彼女がデバイスに目を遣った。

 デバイスから芽が出て、それが伸びて茎となり、その茎に一枚の葉が付いた。その葉が、細胞分裂と細胞伸長で拡大し、画面に分化した。

 その画面に表示された文字を読んだ彼女は、僕を見下ろし、目を見開いて驚きの演技をした後、ゆっくりと腰を下ろし、僕と目を合わせた。


 彼女はデバイスを巻き付ける手を振って、文字が表示された画面を僕にも見えるように向けた。


「僕の名は兎兎とと。助けてくれてありがとう」


 徐に文字を口にした彼女は、僕の瞳をじっと見つめている。


 前足を揃え床に尻をつけて座る僕は、挨拶代わりに、目を潤ませながらより一層大きく見開いた。これは、愛嬌を振りまいて、愛くるしさをアピールする方法だ。


「もう知っているはずだけど、私の名はあいよ」


 ハッキングで既に彼女の名前は知っている。

 そう思って、はたと気付いた。


「兎兎は悪い子ね」


 愛の忠告に、アピールしていた目は一気に萎んだ。


 愛はデバイスを指差した後、その指で僕の髭を指差した。


 僕はびっくりした。

 ハッキングだけでなく、髭がその方法だと気付いたことだ。

 開き直って、髭を上下に揺らし、再び目を潤ませながらより一層大きく見開いた。


「ハッキングは御法度よ。でも、兎兎は賢いウサギさんね」


 茶目っ気に笑う演技の愛に、僕は再び通信を入れた。


 気付いた愛が画面を見て読み上げた。


「見た目で判断しないことだ」


 顎を持ち上げ胸を張る僕を見た愛は、親指を立てにっこりと笑う演技をした。


「兎兎は、人工知能(AI)? それとも、オルガノイド知能? 体は……」


 愛は僕の全身をなめ回すように見つめながら小首を傾げてみせた。


「兎兎の体は、ウサギの被毛で覆われたロボットじゃないわね。オルガノイドの発展型かな?」


 オルガノイドを知っているとは、さすが勉強家だな。


 オルガノイドとは、臓器のようなものという意味だ。

 そして、オルガノイド知能とは、ヒト多能性幹細胞から作った脳神経細胞を立体的に培養した脳オルガノイドで作る知能のことだ。

 人工知能は脳の神経回路の働き方をモデル(ニューラルネットワーク)にしているが、ニューロン(脳の神経細胞)そのものを活用するのがオルガノイド知能だ。


「まあ、どうでもいいわ」


 愛はにこりと笑う演技をしながら僕の額を撫でた。


「じゃあね。兎兎」


 すっと立ち上がった愛は、くるりと反転すると、すたすたと出入り口に向かって行った。


 有り得ないだろ。

 こんなキュートな僕をほったらかしにするとは……


 去って行く愛の背を憮然と見つめていたが、思い当って急いで追いかける。


 愛を観察したい。

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アイ 月菜にと @tukinanito

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