第7話 知らないおじいさん

黒葛つづら探偵事務所は、あるアパートの『105号室』にある。


俺は辺りを見渡して誰もいないことを確認して、チャイムを押す。

すぐにドアが開き、青年が出てきて中に入れてくれた。


部屋の中には車椅子に座った女性がいる。


「どうも。黒葛つづらです」


女性がそう言ったことから、この人が探偵だとわかる。


「では、依頼の内容を話してくれますか?」


黒葛さんにそう言われたので、俺はまくしたてるように依頼内容を話す。


********************************

俺 :俺、病院に入院してるんですけど、

   そこに知らないおじいさんが出るんです。

   で、そのことを看護師さんに聞いたんですよ。

   そしたら、幽霊でも見たのかもしれないと言われました。


黒葛:依頼の内容は、そのおじいさんが何者か、

   もしくは幽霊なのかを検証してほしい、ということですか?


俺 :あ、いえ、すみません。

   相談したいのは、

   そのことを話したすぐ後に、病室を移動するように言われたんです。

   でも、ベッドは他に空いてないはずなんです。

   なんだか、ゾッとして……。

   それで病院を抜け出して、ここに来たんです。

   俺は、その……言われた通り、移動した方がいいんでしょうか?


黒葛:なるほど。

   あなたは、その病院が何か怪しい。

   そう思っているわけですか?


俺 :……そ、それは。


黒葛:気にする必要はありません。

   守秘義務もありますし、

   あなたがここに来たことも誰にも話しません。


俺 :先生も看護師さんも、すごくいい人なんです。

   親身になってくれますし、長年、かかりつけにしてましたし。

   でも、入院するようになってから、何かが変なんです。


黒葛:……変、とは?


俺 :あまり診察してくれなくなったんです。

   簡素な食事と、薬を出してくれるだけで……。

   普通、経過とか、検査とか治療をするものじゃありません?

   だって、入院してるんですよ?

   まあ、何かあれば隣の外来の診察室から来てくれますけど。


黒葛:確かに妙ですね。

   それはあなただけですか?

   他の入院患者は治療されているのですか?


俺 :いえ。

   みんな、そうみたいです。

   同室の人はみんな、入院してから先生も看護師さんも

   人が変わったって言ってます。


黒葛:そこは入院の患者を受け入れつつ、

   昼間は普通に外来の患者を診ている、ということですか?


俺 :はい、そうです。


黒葛:それなら、単に忙しいだけでは?


俺 :そうなのかもしれませんが……。

   ただ、そんな病院は初めてだったので。


黒葛:そこは病院ではなく、診療所ではありませんか?


俺 :え?


黒葛:そこは医師と看護師が1名ずつ、計2名、

   もしくは医師が1名、看護師が2名の計3名ではないですか?


俺 :はい、そうです。

   看護師さんが2人の合計で3人です。

   ……それがなにか?


黒葛:些細なことですが……。

   病院というのは20人以上の患者を入院させることが

   できる医療施設のことを言います。

   逆に19人以下の患者が入院できるのが

   診療所になります。


俺 :はあ……。


黒葛:つまり、あなたが入院しているところは

   診療所で、入院患者は19人。

   どうでしょう?

   合っていますか?


俺 :……あっていると思います。

   病室は5人部屋が4つあって、

   その中の1部屋が4人部屋になってます。

   そっかぁ。

   変だと思ったんですよね。

   不自然に4つしかベッド置いてないの。

   そういう理由だったのか。


黒葛:医療法での標準では、

   患者と医師は16対1の割合です。

   そして、患者と看護師は3対1の割合になります。

   完全にキャパシティオーバーです。

   そのため、そのような雑な対応をしているのでしょう。


俺 :うーん。

   言われてみると納得ですけど、

   患者としては納得できませんよ。


黒葛:ですので、あなたの相談の件とは別に転院をお勧めします。


俺 :……。


黒葛:どうしました?


俺 :いや、病院を移りたいのはやまやまなんですが……。


黒葛:なにか不都合でも?


俺 :俺、金がなくて……。

   ここを選んだのも一番料金が安かったからで。


黒葛:お金がかかるのはどこの病院も一緒だと思うのですが?


俺 :これは、その……絶対に言わないでください。


黒葛:わかりました。


俺 :実は料金を半額以下にしてもらっているんです。


黒葛:……診療所から料金を半額にしてもらっているとことですか?


俺 :そ、そうです。


黒葛:代わりになにかしている、などはありますか?


俺 :いえ、ありません。


黒葛:なにも理由がないのに、そのようなことをしていると?


俺 :俺に金がないって知ってますから。

   でも、今、入院しないと手遅れになるって言われて。

   そこに料金を半額にしてくれると提案されて、

   渡りに船だって思って、入院を決めたんです。


黒葛:他の入院患者もあなたと同じように

   半額にされている人はいるのですか?


俺 :全員に聞いたわけじゃないですけど……。

   少なくとも同じ部屋の人たちはそうですね。

   だから、先生たちには強く言えなくて……。


黒葛:かなり不可解ですね。


俺 :いや、本当にいい人なんですよ。

   先生も、看護師さんも。


黒葛:その割には入院してからは治療を疎かにしてますが?


俺 :……。


黒葛:キャパシティオーバーなのに患者を受け入れている時点で

   慈善とはとても思えません。

   金儲けのためにやっているのかと思ったのですが、

   それなら料金を半額にするのはおかしいです。

   なにか裏がある……?


俺 :やっぱり、借金してでも他に移った方がいいですかね?


黒葛:失礼ですが、ご両親、

   もしくは親戚を頼ることはできないのですか?


俺 :それが、俺、孤児で……。

   頼れる人間がいないんです。


黒葛:それはもちろん、

   診療所側も知っているということでいいですか?


俺 :え?

   あ、はい。

   それがあって、半額にしてくれたと思います。


黒葛:ということは、他の患者も同様ではないですか?

   少なくとも同じ病室の人たちは身寄りがない人たちでは?


俺 :……言われてみれば。

   確かにそうですね。

   ということは、そういう人を入院させてくれている、

   ということですよね?

   やっぱり、患者のことを考えてくれてるんですよ。


黒葛:聞きたいことがあります。


俺 :なんでしょう?


黒葛:最初に言っていた、知らないおじいさんのことを

   詳しく聞かせてください。


俺 :あ、そうですよね。

   すみません。


黒葛:知らないおじいさんということは、

   入院患者の中の19人の中にはいない人間、

   ということですか?


俺 :はい。そうです。

   確認したので、間違いありません。

   全員、同じ階なので確認しやすいですし。


黒葛:そのおじいさんを見たのはあなただけですか?


俺 :俺だけです。

   他の人たちはみんな寝てますので。


黒葛:見たのは1度ですか?


俺 :いや、合計で3回ですね。


黒葛:3回も見たタイミングがあったのに、

   3回とも、他の人たちは寝てたということですか?


俺 :はい、そうですけど。


黒葛:何時頃か覚えてますか?


俺 :えっと、10時くらいだと思います。

   3回とも。


黒葛:10時……?


俺 :どうかしましたか?


黒葛:全員が寝るには早い気がしますが?


俺 :そうですかね?

   みんな、9時には寝ますよ。

   消灯時間過ぎてますし。

   俺だって、普段はその時間に寝てますし。


黒葛:ですが、おじいさんを見た日は寝られなかった、

   ということですか?


俺 :どちらかというと、目が覚めたって方が正しいですね。

   ガタンっていう音がして、目が覚めたんです。


黒葛:音がした……。

   なんの音かわかりますか?


俺 :たぶん、エレベーターだと思います。

   最初、なんの音かと思って、病室から出たんです。


黒葛:そのときにおじいさんに遭遇した、と?


俺 :そうなんです。

   廊下をヒタヒタと歩いてたんです。

   大体、80歳くらいかなぁ。

   ガリガリに痩せて、目が虚ろで不気味だったんです。

   最初は幽霊なのかなって思ったくらいですから。


黒葛:どうして、幽霊ではないとわかったのですか?


俺 :触れたからです。

   っていうより、触られたからです。

   こう、腕をガッと掴まれて……。

   で、こう言ったんです。

   「たすけてくれ」と。


黒葛:たすけてくれ、ですか?


俺 :ただ、そのときは怖くて、腕を振りほどいて逃げました。

   またベッドに入って目を瞑ってると

   いつの間にか眠ってしまって。

   それで、きっとあれは夢だったんじゃないかって思ったんです。


黒葛:ただ、また遭遇したわけですね?


俺 :はい。

   それで、さすがに夢でもないと思って……。


黒葛:おじいさんと遭遇するのは、

   エレベーターの音で目が覚めたとき以外でありましたか?


俺 :いえ、3回ともエレベーターの音で目が覚めたときですね。


黒葛:エレベーターの音以外で、目が覚めることはありますか?


俺 :何回かあります。

   薬を飲み忘れたときは、頻繁に起きちゃいますね。


黒葛:最後に質問させてください。

   あなたは、その診療所に長年、かかりつけだったと

   言ってました。


俺 :はい。それが?


黒葛:『通うようになってから』悪化したのではありませんか?


俺 :いやいや、そんなわけ……。

   え? いや、まさか……。


黒葛:やはり……。


俺 :これってどういうことなんでしょうか?


黒葛:……見知らぬ老人。

   エレベーター。

   満室の病室。

   病室の移動。

   半額の料金。

   身寄りのない患者。

   通院で悪化。

   なるほど。そういうことか。


俺 :なにかわかったんですか?


黒葛:あくまで仮説の段階ですが。


俺 :教えてください。


黒葛:まず、あなたは診療所には戻らない方がいいです。


俺 :え?


黒葛:可能であれば引っ越しもお勧めします。


俺 :引っ越し……ですか?


黒葛:無理ならば警察に行くという手もありますが、

   私の仮説なので信用はされないでしょう。

   何一つ証拠もありませんし。

   なので、何とかして身を隠すのが一番いいでしょう。

   他の患者のことは見捨てることになりますが。


俺 :あの……。

   それなら探偵さんが警察に話すのはどうです?

   探偵さんの話なら信じてもらえるんじゃ?


黒葛:依頼内容に含めますか?

   であれば、料金は少なくとも10倍以上になりますが?


俺 :あ、いえ、その……いいです。


黒葛:私は慈善事業をしているわけではありませんし、

   司法の味方でもありません。


俺 :それで、その、何が起こっているんですか?

   あの病院……いや、診療所で。


黒葛:簡潔に言うと不正請求です。


俺 :でも、料金は半額ですけど……。


黒葛:請求先は国です。

   治療もしていないのにカルテに記録を付けるやり方です。

  いわゆる『天ぷら』と呼ばれるものです。


俺 :……つまり、俺たちの治療をしていないのに、

   したと申請するってことですか?


黒葛:そうです。

   ただ、この診療所はかなり悪質だと考えられます。


俺 :どういうことですか?


黒葛:まず、診療所にしているのは医師や看護師を

   極力少なくするためです。


俺 :なんでそんなことをする必要があるんですか?


黒葛:人件費を浮かす目的でしょう。

   それと、『犯罪』を隠蔽するには少ない人数の方がいい。

   どこからバレるかわかりませんから。


俺 :……。


黒葛:さらに、普段の外来で入院患者の選定を行います。


俺 :選定……ですか?


黒葛:身寄りのない人を探すのです。

   入院させるために。

   身寄りがないので、一度入院させれば出るとは言わない。

   そう考えているはずです。

   現に、ひどい扱いをされているのに、

   誰一人出て行こうとしない。

   違いますか?


俺 :……。


黒葛:そして、身寄りのない人を見つければ、

   薬と称して、毒のようなものを処方します。

   そうすれば、通えば通うほど、体調は悪くなっていく。


俺 :それで、入院することになる……。


黒葛:入院させてしまえば、不正請求がやり放題です。

   さらに、身寄りがないので『行方不明』になっても

   気づかれません。


俺 :ちょ、ちょっと待ってください。

   行方不明って、どういうことですか?


黒葛:この診療所は『表向き』は19人のベッドしかない。

   ですが、『裏』にはもっと多くの入院患者がいるはずです。

   しかも、もっと劣悪な環境で、ほぼ監禁状態にされている。


俺 :……もしかして、あのおじいさん?


黒葛:そうです。

   見知らぬ老人は幽霊でもなんでもありません。

   ただの、『入院患者』です。


俺 :あり得ません。

   病室は全部確認しました。

   他に部屋なんてありませんよ。


黒葛:そうですね。

   入院病棟の隣に外来の診察室がある。

   つまり、この診療所は1階建てですね?


俺 :そうです。

   だから、他に部屋なんてあるわけない。


黒葛:いえ、あります。


俺 ;どこに?


黒葛:地下です。


俺 :地下?


黒葛:おかしいと思いませんか?

   診療所は1階建てなのに、

   なぜ『エレベーター』があるのですか?


俺 :……あっ!


黒葛:そのエレベーターは地下に繋がっているはずです。

   そこからなんとか、老人が脱出を図ろうと出てきた。


俺 :だから、「助けて」って……。


黒葛:ですが、診療所内の戸締りは厳重で、外には出られない。


俺 :でも、そんなの、他の入院患者に言えば……。


黒葛:無理です。

   全員、寝てますから。


俺 :起こせばいいだけですよね?


黒葛:起きません。

   なにしろ、『睡眠薬』を飲まされていますから。


俺 :睡眠薬……?


黒葛:夜の9時であれば、

   一人くらいは眠れない人がいてもおかしくありません。

   ましてや、エレベーターの大きな音がするなら、

   19人のうちの1人くらいは起きてもいいはずです。

   あなた以外に。


俺 :なら、なんで俺は……?


黒葛:おそらくですが、効きが悪いのではないかと思います。

   あとは飲み忘れたりもしているようですし。

   なので、仮に地下の患者が出てきても問題ありません。

   そういう油断があったのでしょう。

   だから夜の見回りなどはやっていなかった。

   朝の外来時さえ、エレベーターを封鎖しておけばいいだけです。


俺 :じゃあ、俺が病室を移るように言われたのは……。


黒葛:地下行きということです。

********************************


俺は探偵さんが言った通り、診療所には戻らずに自宅へと帰った。

そして、すぐに引っ越しの準備に取り掛かる。


幸い、俺は物をほとんど持っていないので、荷造りはすぐにできそうだ。

最悪、勿体ないが洗濯機や冷蔵庫などの大きな家電は置いていこう。

とにかく、すぐに家を出よう。


俺はその日のうちに引っ越し業者に電話をした。

すると、すぐに下見に来てくれるそうだ。


荷造りをしているとチャイムが鳴る。

きっと業者だ。

俺はドアを開けた。


「勝手にいなくなるなんて。心配しましたよ」


そして、俺の意識はそこで途絶えたのだった。


終わり。

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