空白の2年間

2日後、私はしずくさんの元へ向かった。この前の取材の時に前田さんが車を出してくれた理由が「記者歴が浅い柏木が心配だから」という理由だけではなかった事に道中でやっと気付く。

そう、ここは山奥すぎる。都会から電車を乗り継いで2時間くらいであることはわかっていたが、最寄りとされる駅から更に2時間に1本しかないバスに乗らなければならず、更に更にバス停から車がやっとすれ違えるかどうかくらいの細い道路を、20分ほど歩いてようやく到着というレベルだった。もっと言うと、季節はしっかり夏に突入し、セミの鳴き声がうっとしいくらいに暑さを際立てている。私は汗だくになりながら歩を進め、なんとか矢野しずく邸にたどり着いた。覚悟はしていたが想定していた以上に長い旅路で、かなり余裕を持って会社を出たはずなのだが、到着したのは時間ギリギリだった。

いかにも山奥にいきなり現れる邸宅の「大きな門についてるインターホン」を押す。アニメや漫画のワンシーンに入り込んだ感じがした。

「ここにくると私はいつもと違う世界を感じれるなぁ」誰もいないからと、割としっかり声に出して呟いた。すると何故か返事が聞こえた。


「そんなことないですよ。中へどうぞ」


大きな独り言をしずくさんに聞かれていた。十数秒前にインターホンを押していたことを忘れていた少しおバカな私の事を、彼女は包み込むような優しい声で招き入れてくれた。


玄関を抜け、先を行くしずくさんの後ろにくっついて歩いた。そこはもはや宮殿だった。例えるならアニメの世界…もしくは焼き肉のタレのコマーシャルで見るような…。自らのボキャブラリーのなさに絶望する。そしてふと我にかえると、二日前と同じ応接間に私はいた。

「柏木さんはいつも考え事をしてらっしゃるのね」

この前も腰掛けていた、白いソファーに両脚を揃えて座り彼女は言った。

「そうなんです。常にグルグルしてて…って!」

わたしの事を呼称してくれたことに驚く。ちゃんと聞いてなかったからもう一回お願いします!なんて言えずにいると、彼女は続けた。

「わたしとお友達になってほしいの」

眼球が飛び出して落下するかと思った。それくらいに目を大きく見開いて私は言った。

「嬉しいです!たくさんお話してほしいです!」

喜びが伝わった…いや伝わらないはすがない。

そして二人でひたすらに微笑んだ。

世界一柔らかい空気が私達を包む。


「ことさんって呼ばせて?」

「勿論です!」

「あなたは本当に心が綺麗なの。だから一昨日お話した時から仲良くしたくて。友人という友人が私にはいないのだけど、あなたになら色々お話できるかもって」


一生分の幸福を全て貰った気がした。こんなご褒美があって良いのだろうか…と感じたのも束の間。私はすぐさまとてつもなく悲しい感情に襲われることになる。幸福には微調整がつきものだ。


「実は私、お医者様に余命半年って言われているの。長くないの私」


「そんな…」


全てを悟って、そんな残酷な現実を受け入れたくなくて、ほぼ一瞬で目から涙が溢れた。それを見た瞬間彼女の頬にも涙が伝った。


「あなたは私を酷い人だと思わないのね…もう少しお話させてくれる?」


自分があと半年で死ぬことを友達になった瞬間に打ち明ける。確かにとてつもなく残酷な行為かもしれないし、それを選択したというのは、矢野しずくが冷酷な人という証明なのかもしれない。


ただ彼女に対してそうは思わなかった。

私はもちろんこの日もしっかり感じていた、彼女の「絶対音幹」を。この絶対音幹により誰にも心を許せず、故に誰にもこの事を伝えることが出来なかったしずくさんに寄り添いたい。辛かったしずくさんに「頑張ったね」って、優しい言葉をかけてあげたい。そんな気持ちしか湧いてこなかったのだ。


矢野しずくは2年前。これからという時に突然体調が悪くなり緊急搬送。その後病が見つかり長期の入院を余儀なくされ活動休止。もともとメンタルの強くない彼女の希望でフェードアウト気味に活動休止にしたそう。「病」について彼女が詳しく語らなかったので深追いはしなかった。おそらく末期ガンだと思う。もし話す時が来たなら彼女から聞くだろうし、「知ることになれば」いつか私は知るだろう。


そして2年半の余命宣告を受けてから丸2年。残り半年の命となった6月半ば。彼女は最期に矢野しずくが存在したという証を残したい、と活動再開の意向を周りに伝えた。その流れでしぶとく取材交渉を続けていた集報社のもとに取材許可が舞い降りた。


ここまでが大まかな一連の流れだ。

そして声を震わせながら矢野しずくは言った。

「あなたに私のマネージャーになってほしい」

「よろしくお願いします」

私は大泣きしながら声を振り絞り、精一杯に答えた。

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