第2話

◇◆◇



 自分が異世界転生したと自覚したのは、まだ幼い六歳程度のこと。


 私の幼馴染レックスが私を庇って怪我をしてしまった時に、やけに綺麗に見えた血の赤に魅せられて、鮮やかに小説の世界観だけが記憶に降りてきた。


 ううん……その時の現象を例えるならば、幼い女の子の頭の中に何十万字にも及ぶ情報の波が、いきなり押し寄せて来たのだ。


 すぐになんてそんな情報量を処理出来る訳もなく、私は呆気なく倒れ、知恵熱で何日か寝込み、周囲は「怪我をしたのはレックスなのに」と不思議そうにしていたらしい。


 記憶を取り戻した私は、これはあまり良くない転生先だと、まずは大きくため息をついた。


 なんだか、誰もが初めましてをしても、どこかで聞いたことのある名前だなと思っていたけど、私ったらアニメ化までされた超長編小説の脇役に転生していたのだった。


 私自身の前世のことは、なぜか記憶がもやがかかったようになり、判然としない。幸せではなかったような気がする。こうして、転生しても記憶に蓋をしたくなるくらい。


 せっかく生まれ変われたなら、幸せになりたいと思った。


 そして、私はそれ以来、猛然と薬師としての勉強を始めて、同世代の子たちと遊ばなくなった。


 なぜかと言うと、勇者レックスの幼馴染役であるデルフィーヌには、魔法薬師としての物語上とある重要な役割があった。


 彼女は冒険に旅立つ幼馴染みレックスたちをこころよく送り出した後、いつか戦闘職のレックスを自分が助けたい一心で魔法薬師になり、なんと皮肉なことに、それを使って彼女の恋のライバルである聖女エレオノールの命を救うことになるのだ。


 恋愛にはてんで鈍感な勇者レックスと、育ち良く清純な聖女エレオノールがお互いに恋心を抱いていることを悟り、私こと勇者の幼馴染デルフィーヌは何も言わずに身を引くことになる。


 読者である私たちは、健気なデルフィーヌの切ない恋心が、いつか報われますようにと祈ったものだ。


 けど、デルフィーヌは長い長い本編にもそれっきり姿を見せないし、何個かある後日談の番外編にも姿を見せない。


 勇者レックスが長い冒険を終えて、故郷の村に帰った時にも当たり前のように居なかった。


 そして、彼女が失踪してしまう直接の原因となったレックスも「あいつも、もしかして、誰か良い人見つかったのかな」と、呑気に仲間と話していた。


 ……私は、その場面を読んで、本当に悔しかった。


 最後の扉の鍵を体内に持つ聖女エレオノールの命が救われ、世界を守れたのも全部全部、デルフィーヌがレックスを好きだったから身につけた魔法薬の知識のおかげなのに!!!


 レックスは、何も知らない。だからこそ、読者は報われないデルフィーヌのいじらしさに涙してしまった。


 レックスは「悪い悪い。デルフィーヌ、遠いところ来てくれてありがとなー。お前が来てくれて本当に良かった」で済ませても、何の文句も言わず微笑むデルフィーヌは、十何年間好きだった人に失恋しても、彼の幸せを祈って身を引いちゃう健気な可愛い女の子なんだよー!!


 レックスは、豆腐の角に頭ぶつけろー! ……まあ、豆腐なんて、この異世界には存在しないんだけどね。


 という訳で、私はいち早く魔法薬師になって、聖女の命が助かる薬をレックスに持たせておき「何かピンチになったら、これを開けてね!」と、遠出の際にお守りに何万円か仕込んでおく心配性の親のようなことをしようと思っていた。


 だって、将来失恋して辛い思いをするってわかってるし、絶対叶わない恋の相手レックスのことを、宛もなく想い続けるなんて嫌だもの。


 どうせ小説の主人公レックスは、これから聖女と最終的に結ばれるまでだって自分中心のチーレムを形成するんだから、私一人くらい抜けても問題ないと思う。


 だから、物語上の主要な役目だけをさっさと済ませて、それからは自分の好きな事をして生きようと思っている。


 私の生まれ変わった転生先デルフィーヌは、将来に魔法薬師の道を選ぶだけあり、実家は薬草屋だった。その上に、彼女は貴重な回復魔法の適性もあった。


 チートな仕様の魔法薬師になることだって、可能なのだ。


 どんなに尽くしても、ほかの女に走る不実で鈍感なレックスのことなんて忘れてしまえば、条件の良い嫁入り先なんていくらでもありそうだし、なんなら自分で巨額の財をなす事だって出来そう。


 転生してきた私の使命は、彼女以外誰にも知られることもなく、捨てられることになる勇者の幼馴染デルフィーヌを救済することではないかと思った。


 世界全体の救済は、私の知らないところでやってくれれば良いわ……少々の切ない感情ムーブを発生させるだけの要員で、勇者パーティの一人でもなんでもないもの。



 ……なんて、思っていた矢先に、道端に落ちていた魔王を拾ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る