導かれる者たち

「ふーん、ここか」


 下水道の鉄柵付近までアリッサムに案内されたレベッカの鼻と口もとは、悪臭対策として奇抜な襟巻きで覆われていた。

 それは露店商いわく、海を渡ってやって来た異国の上等な生地で、前衛的な植物柄の刺繍がとても気に入ったのだが、所持金が足りずに値切り倒して元値の半額以下で購入した品だった。


「はの、本当ひ入ふんれふか?」


 鼻を摘まみながら並び立つアリッサムが、改めてレベッカに決意を訊ねる。〝においフェチ〟なだけあって、彼女の嗅覚は常人よりもかなり優れているため、下水道に近づくだけで眩暈めまいを覚えるからだ。


「病院は嫌いだし、みんなに任せっぱなしで寝てばかりもいられないだろ。それになによりも……あのクソ野郎に早く御礼がしたい・・・・・・


 殺気を帯びた眼光。

 気のせいかアリッサムには、一瞬だけレベッカの瞳が蛇と同じ縦長の瞳孔に見えた。


「この先は、あたしひとりで行く。四人分の洗濯物が一気にやってくるから、おまえは馬車に戻って体力をたっぷりと温存しておけよ」

「ふぁい。れふぇっか様、お気をふえへ」


 手を振り続けるアリッサムを一度も振り返ることなく、レベッカは開け放たれた鉄柵に近づいていった。



     *



 ランタンを掲げながら歩くのは案外疲れるもので、レベッカは腕の筋力トレーニングも兼ね、一定の距離ごとに左右の手で代わる代わる行うことにした。


(どこなんだよ、みんなは……)


 人の気配に驚いたゴキブリやドブネズミと遭遇はしても、アシュリンたちの姿や痕跡は三十分歩いた今でも見つけられていない。

 二股に別れる道の中央にたどり着いたレベッカは、勘だけを頼りに左側を選んだ。もちろん、目印も忘れずに。


 ガリッ。


 投擲とうてき用のナイフを使い、白煉瓦の壁に小さな傷をつける。暗闇でどれだけ効果があるのか疑わしいが、無いよりはマシなはずだ。

 下水の流れに逆らって、狭い通路をさらに進む。

 すると、ずっと黒ずんでいた床が、建設直後の白さを部分的に取り戻していた。


(ん? これは……)


 その場でしゃがみ込み、床に残された半透明の粘液をナイフでこそげる。刃先がわずかな煙とあぶくに包まれた。


 ズドドドドドドドドド……!


「ギギュゥゥゥゥ! ギギュゥゥゥゥ!」


 ここには魔物が潜んでいると確信した矢先、後方から初めて聞く鳴き声とけものが駆けるような音が猛スピードで近づいてくる。レベッカは顔色ひとつ変えずに、背中に納めたブロードソードをしっかりと利き手で掴む。

 だが、それを抜くことなく、ランタンを対岸の天井めがけて放り投げる。同時に自らも飛び上がると、しゃがんでいた場所にグロテスクな肌色の尻尾がすばやく伸びてきて空振りをした。

 その間、レベッカは華麗に横回転をしながらナイフを放ち、見事にそれを体毛の生えていない巨大生物の眉間に命中させた。


「ギャピィィィィィィッ!?」


 ハダカネズミはのたうち回りながら、長い尻尾を激しくくねらせて汚水の川へと無様に転げ落ちる。やがて、濁りきって底の見えない水面に邪悪な鮮血が加わり、流れに沿って広がっていった。


「──よっ、と!」


 一足早く着地したレベッカの片手にランタンがすっぽりと収まる。一瞬だけ消えかかった灯火が、すぐにまた周囲を穏やかな光で照らす。

 そして、何事もなかったかのように、レベッカは鼻歌まじりで先へと歩いて進んだ。



     *



 青白い稲光が、狭い通路に沿って一直線に伸びる。

 その先には、あのハダカネズミが三匹連なって走って来ていたのだが、強力な電撃魔法を浴びて呆気なく感電死した。

 拳銃ピストルの形に似せた右手を前へ向けていたロセアは、そのまま人差し指を左手に広げ持つ下水道の地図へと近づける。

 ブウン……と、指の腹が唸りをあげて青白く光り、進むべき場所を彼女に教えた。


「ふむふむ、なるへそ」


 地図を見つめたまま、ロセアは歩きはじめる。街中では危険な行為だが、無人の下水道といえどもそれは同じで、通行人や馬車の変わりに何度もハダカネズミと遭遇して戦闘になっていた。


 秘密戦隊の情報網は、世界各国で暗躍する優秀な諜報部員たちによってもたらされる。

 ソンドレの棲み家などは朝飯前で、謎の少女騎士団が下水道を探索していることもロセアは知っていた。

 今回ここを訪れたのは、ソンドレ捕獲が目的ではない。魔像によって産み出された怪物たちの討伐である。

 黒衣の教団が壊滅状態となった今、ひとり残されたソンドレが〝変化へんげの神像〟を濫用して次々とハダカネズミなどの魔物を増やしていた。このままでは王都が蹂躙されるのも時間の問題だろう。


「ギギュゥゥゥゥ!」

「む? 今度は、あっちか」

「ギギュゥゥゥゥ!」

「むむ? こっちもか」

「ギィギャアアアァァァァアアス!」

「──先ずは、うしろかぁぁぁぁぁぁッッッ!!」


 全身を一気に青白く発光させたロセアが、瞬時に電流の鎧に包まれる。そして、背後から迫る彼女の頭部よりも大きな前歯が軍帽に触れた途端、ハダカネズミははじけるように吹き飛ばされて黒焦げ同然となって床に転がっていた。


「さあさあ、ネズミども! 観念せい!」

「ギャアアアアアアス!?」

「ピュギィィィッ!?」


 逃げ惑うハダカネズミを走って追いかけながら、ロセアは右手の指を拳銃ピストルの形に変えて勇ましく構える──。



     *



 闇の中でいくつも閃光がほとばしり、断末魔と大きな水飛沫みずしぶきの音が暗闇の世界のあちらこちらで聞こえていた。それらからなるべく遠ざかるように、アシュリンは警戒して闇の道を先導する。

 目の前のロウソクは、もう極限まで短い。あと二、三分で消えてしまうだろう。所持品に燃料になりそうな物はなかった。

 最早これまでか。

 あきらめかけた、そのとき──。


「あれ? アシュリン団長、これって……」


 ドロシーが壁になにかを見つける。

 目線くらいの高さに付けられた真新しい傷跡。それは、レベッカが残した出口への道標みちしるべだった。


「矢印……でしょうか? きっと親切な妖精さんが、わたしたちを助けてくれているんです」


 そう言ってハルは、輝く笑顔をふたりに見せる。しかし、ふたりは完全にそれを無視してお互いに目配せをしたあと、ドロシーは、うなずきをアシュリンに小さく返した。


「ハル、全速力で走れ!」


 壁面の傷跡を頼りに、アシュリンとドロシーが駆け出す。

 取り残されたハルも、「待ってくださぁい!」と声をかけながら走りだした。



     *



 頭がすっぽりと隠れるフードの下で、大きな目玉がさらに見開かれる。

 通路の角で身を潜めてのぞくソンドレの視線の先には、立ち止まってランタンを壁に照らすレベッカがいた。どうやら、道に迷わないように矢印を壁に刻みながら進んでいるようだ。

 倉庫で邪魔をしてきた軍人の小娘も、ついさっきまで、このあたりをうろついていた。ソンドレは、無いに等しい鼻をひくつかせて小さく呻き、舌先を出して遊ばせる。


 秘密戦隊に少女騎士団、興味などじんも感じない存在。ただし──。


「レベッカ・オーフレイム……英雄の末裔……ヒッヒッヒッヒッヒッ」


 ふところに忍ばせていた〝変化へんげの神像〟を取り出して強く握り締める。今度こそレベッカの心臓を貫き、神へと捧げるために。


「──ソンドレだな? 神妙にお縄を頂戴しろ」

「おやおや、かわいい軍人さん。いつの間にうしろへ?」


 後頭部になにかの先端が当たっているのを感じる。

 それは、ロセアの人差し指だった。


「〈異形の民〉は、おまえ以外全員捕らえた。もう終わりだ」


 馬鹿を言うなと、ソンドレの口角が不気味にゆるむ。


「終わり? いいや、違うぞ。これからが始まりだ!」


 ロセアの目の前で、漆黒のローブが闇に揺らいで溶け込んでいく。ソンドレの姿は、最初からいなかったように忽然と消え失せていた。


「なぬ!?」


 右手を拳銃ピストルの形に真っ直ぐ構えたまま、左手の中指で丸眼鏡の位置をただす。

 たしかにそこにいた。

 だが、幻覚ではない。

 指先に残る感触が、ロセアにそう伝える。


「大神官ソンドレ……今度は、なにをする気だ……」


 ロセアはつぶやきながら、遠くを歩くレベッカのうしろ姿を見つめていた。

 あの有名なレオンハルト・オーフレイムの子孫がすぐそこにいる。ロセアは、握手のひとつでもして貰おうかと、心の中で葛藤していた。もちろん、そんなことは立場上してはいけない。

 レベッカが、歩きながらお尻に触れた。おそらく痒かったのだろう。熱い眼差しで見つめ続けるロセアもつられたのか、ショートパンツの上からお尻を無意識に掻いていた。

 すると突然、胸もとで小さな振動が起こる。

 ロセアはレベッカを見つめたまま、胸もとから明滅する青い宝石のペンダントを片手で取り出す。

 風の精霊石コクーン──空気が流れてさえいれば、どんなに遠く離れていても相手との会話が可能な、秘密戦隊の通信手段である。ちなみに、これひとつで城がいくつも買えるほどの大変貴重な国宝級の代物しろものでもある。


『……ロセ……ア、その……後は……どうで……す?』


 微かに聞こえる女性の声。

 下水道内の劣悪な環境の影響を受けているためか、途切れてよく聞き取れない。


「全然順調。マヤが喜びそうな土産物をなににするか、ちょうど考えていたんだ。リディアスには、とても大きな市場があってだな──」

『わた……しに嘘は言わないで……〈かい同盟どうめい〉に……呼ば……れているから、もう切らな……いと。勝利の女神よ、ど……うか……ロセアに祝福の接吻くちづけを……』

「そして、この勝利を貴女に捧げます。ありがとう、マヤ……」


 最後の言葉を言い終えるまえに風の精霊石コクーンの光が消えてしまっていたので、マヤには別れの言葉は届かなかっただろう。


「臆病者のクソったれどもが。秘密戦隊ぼくたちをまだ信用してないのか」


 余熱が残るペンダントを胸もとへ乱雑に戻したロセアは、レベッカの尾行を開始する。ソンドレはきっと、彼女を狙って姿を現すはずだと確信して──。


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