ゴブリンを送る

ゴブリンが笑う。

これ以上無い歓喜に顔を歪める。


鬼妖精を対戦相手であると認めた。


「気づくのが遅えんだよ!」


新しい曲の始まりと共に戦いも開始される。

周囲のゴブリンのそれは、いくらか戸惑ったものにはなっていた。


彼らゴブリンたちからしてみても理解できなかった長の行動に、鬼妖精が追随していた。

杖を砕いたことで、もう付くはずだった決着がなぜか終わらない。


曲が続く。

更に難易度を上げた、次の曲が。


彼らは叩く、ただ叩き続ける。

自身が太鼓を叩いているのか、それとも眼の前の広場で打ち鳴らされる鋼鉄の叫びに合わせているのか、もはやわからなくなる。


忘我のままに、彼らは鳴らす。

染み付いた動きそのままに、一糸乱れず太鼓は響く。


――やべえな。


そのテンションに引きずられながらも、鬼妖精は頭の一部で冷静に判断した。


前にはゴブリン、その全身を使い、回転し、跳躍までしながら叩かれる攻撃の数々と、彼のそれはまったくの互角を描き続ける。

敵の全身からは歓喜が発散されている。


それはきっと、よく知ったゲームのニューモードに挑戦できる喜びだった。

ゴブリンは目を輝かせ、両手の動きはキレを増す。


だが、妖精の片手というハンデが、ここに来て響いた。

今の簡単な曲であればなんとかなるが、難易度が上がれば追いつかなくなる。


彼はまだ片手歴が浅い。

敵ゴブリンの、歓喜のままに動く動作に、このままでは追いつけない。


限界は、すぐそこまで来ていた。


バチ同士の衝突は、すでに雷鳴にも近い。

この大気そのものが太鼓だとでも言うように衝撃波が渡る。


互いに踏ん張りながら、次の音を打ち鳴らす。


――クソ、クソ……ッ!


彼からしても、それは妙な感覚だった。


今、戦っている。

殺し合っている。

相手を屠るために行動している。


だというのに、「己の失敗でこの曲を台無しにしたくない」という思いがたしかにあった。

それはある意味、弱さ以上に許しがたいことだ。


ゴブリンと互角でなければ、この音は発生しない。

片方が足を引っ張れば、あるべき曲が、この場、この状況でしか発生しない「完璧」がグズグズになって失われる。


たとえ負けるにしても、失望されることだけは許容できない。


オーガには数々の欠点はあれど、戦いに大して真摯であることだけは美点だ。

戦士であるという矜持があった。

このままでは「この戦い」を汚してしまう。


なら――



 + + +



ゴブリンは、ほとんど敵を見ていなかった。

音だけがあった。


見えないそこに向けてバチを振る。

最適の瞬間、あるべき空間の一点へ。


そうすれば、「相手のバチ」がそこにある。

その響き、その感触、その歓喜に身を任せる。


入神の域にある動きは、次の音のために、さらに次の音のための動作に最適化された。


――?


かすかに、違和感があった。

空気の流れ、あるいは相手との距離感がズレた。


遠い。

妖精の熱がない。

バチを振り上げる風切音もまた存在しない。


――逃げたか……


見ることもなく、肌感覚だけでそう理解した。


無理もない。

ゴブリンからしても息苦しくなるほどの全力のぶつけ合いだ。


音の狂気、そうとしか呼べないものから身を離し、安全な地点を確保するのは間違いなく賢い選択だ。

だが、ゴブリンからすれば悲しみしかもたらさない選択でもあった。


対戦が、終わった。

相手が勝負から降りた。

楽しみはもう切断された。


終了の餞(はなむけ)とばかりに、最適のタイミングでバチを振り抜き――


「!?」


手応えが、返った。

先程までの空間を弾けさせるそれとは違う、だが、明確に「硬いもの同士を打ち合わせる」音がした。


目を見開く、音しかなかった世界に映像が戻る。

ゴブリンの視界に――敵妖精が「素足で蹴り終わった」姿があった。


「痛ってぇなあ、オイ!」


鬼気迫る顔で叫び、打撲痕の残る足など気にせず、次の蹴撃を寄越した。

羽によって半ば浮遊しながら送られた回転蹴りは、再びゴブリンのバチに直撃する。


それは、足を破壊する行為に他ならない。

あまりに硬さが違いすぎる。


戦いですらない、真っ当な戦闘ではない。

敵が望む形でリンチを行っているかのようだ。


ゴブリンは唖然としながら、それでも身体は慣れた動きをなぞり続けた。

音に乗り、音を放ち、音を作り出す。


だがそれは、徐々に変容した。

短棒で素足を壊す作業でしかなかったものが、変わり出した。


「へっ」


敵妖精は蹴りを放ち続ける。

すでに骨折しているはずのそれを、しかし、全力で振り抜き続ける。


ゴブリンの攻撃とぶつけ合う。


そう――「攻撃を続けた」。


ゴブリンのバチがそうであったように、そこにはある種のバフが、あるいは祝福が乗った。

ただの木製武器がチタン合金を超えるような硬さと化したように、半ば浮かびながら放ち続ける蹴撃もまた硬度を増した。


骨を砕くばかりと思えた作業は、いつしか同様の「音を鳴らす」ものとなった。

それだけの硬度を、この結界から得ていた。


片手での対応が、両足という自由を得た。


「――クハッ」


敵妖精が笑う。

ゴブリンの勘違いを咎めるように。

あるいは、「ざまあみろ」とでも言うように。


「ッ!」


それをゴブリンは歓喜と激怒で迎える。


まだ終わっていない、その喜びがあった。

積み重ねた研鑽を、足蹴にされている怒りがあった。


――舐めるな……ッ!


先程までの集中は失われている。

余計な感情が後から後から湧き立ち邪魔をする。


だが、悔しいことに、間違いなくゴブリンは楽しかった。



 + + +



《 身体操作2 》を獲得した。

《 音感1 》を獲得した。

《 蹴脚術1 》を獲得した


両足を鋼鉄じみたものに打ち付ける苦行と引き換えに得たスキルがこれらだった。

それ自体はありがたいものだったが、鬼妖精からすれば業腹でもあった。


――あれだけ使った棒術はスキルが出ねえのに、ちょっと蹴ったらスキル獲得かよクソ……!


身体を浮かし、蹴りを放つ。

だが、それだけでは足りなかった。


身体のバランスを取るためにも、宙で腕を振り調整する必要があった。

先程までの打突と違い、羽すら含めた全身運動の連続だ。


意識すらも遠くなる、酸素が足りない。


連打の場面は羽が千切れそうだ。

バチと足とがぶつかり合う衝撃に抗い前へと行く。


ロスダンとケイユが何かを喋っている。

その声ですら、もはや遠い。

どうせろくなことを喋っていない。


ゴブリンが、何かを吠える。

疑念と憤りを混ぜたものだった。


言葉はわからないが、意味はわかった。


「悪いな」


また蹴る。

生身とは思えない音が鳴る。


折れても構わないと動かした足と、ゴブリンのバチは互角に弾け合う。


「お前の疑問はもっともだ、だが――」


足による不自由極まりない攻撃のはずなのに、どうして追随できるのか。

身体全てを使う以上、バチの動作よりもっと前から動く必要があるはずだ。

それは――


「俺もハマってたんだよ、このゲーム!」


目を瞑っていてもフルコンできるほどにやり込んだそれであれば、決して不可能ではなかった。

難易度は馬鹿みたいに上がるが、もともとオーガの腕の長さと、妖精の足の長さはさして変わらない。

なら、思考が身体に伝わるまでの距離は変わらないと、鬼妖精は己を騙した。


それが可能なのだと信じ込ませ、腕の代わりに足で叩く。


曲は高密度地帯を抜け、変拍子へと変わる。

フェイントじみたそれを当然のようにくぐり抜ける。


互いに一回転して叩きつけ合う様子は舞踏のようだった。


音が流れる。

音が弾ける。

対戦は終わることなく高め合う。

一際大きい、最後の一撃。


ゴブリンはバチを、鬼妖精は一回転して右足を「その地点」へと叩きつける。

寸分の狂いもなく、結界そのものを揺らすように轟き渡り――


「ッ!」


足が、すり抜けた。

違う、それは破壊だった。


一瞬、己の足がついに粉砕されたかと錯覚したが、そうではなかった。

ゴブリンのバチが、限界を迎えて砕けた。

ずるりと抜けるように繰り出された蹴撃は、しかし、これまでの「音」を十分に蓄えたものであり、ゴブリンの肩骨をあっさり砕いた。


吹き飛ばされて倒れ伏す姿を、信じられないかのように見たのは周囲のゴブリンたちであり、鬼妖精もだった。

音が止まり、しん、とした静けさが満ちた。



 + + +



しわぶき一つしない静寂だった。

風がわずかに砂埃をさらった。


先程までの残響が、耳の奥に残る。


――ああ、くそが……


ゴブリンは、己の右手を見る。

動かない。

だらりと垂れ下がるばかりだ。


その手のひらにあるのは、バチだったものの残骸だった。


耐え難い苦痛が全身を伝うが、それよりも苦い後悔があった。


――右にばかりに、力を入れすぎた。


より強く叩きつけてやろうと、力みすぎた。

それが不要な歪みをバチに与えた。


別の言い方をすれば、音を信じきれていなかった。

リズムに乗るのではなく、力で敵を潰そうとした。


その結果が、この無様な有り様だ。


細い、悲鳴のようなものが周囲から聞こえる。

あるいは、混乱のざわめきが。


ゴブリンは、どうにか上半身を上げて、前を見た。

妖精が、立っていた。


待っていた。

彼がふたたび立ち上がるのを。


戦士の矜持、極度の疲れ、あるいは決闘における作法。

さまざまに理由はあるのだろうが――


――なんだ……


ようやくのように、ゴブリンは気がついた。

はじめて対戦相手を見たような心地だった。


――コイツも、楽しんでたんだな……


それが直感的に理解できた。

この楽しさは、ゴブリンだけが味わっていたものではなかったのだ。

喜びは二つあった。


――悔しいなあ。


表には出さず、密かに嘆息しながら、彼は残った左腕を上げた。

バチで、拍子を取る。

音は出ないが、合図だった。


魔術やスキルにも例えられる訓練の成果として、太鼓が叩かれた。

誰もそれを望まなかった、ゴブリンたちは震えながら、鼓舞の叫びを吠えながら、泣きながら、それを鳴らした。


――ああ、本当に悔しい。


そのリズムに押されるように、妖精は近づく。

この相手は、格上だった。

ようやく、それを受け入れる。


わずかに、妖精が浮かぶ。

蹴りの予備動作だ。


残った左のバチで合わせようとしたが、できなかった。

音に合わせた一撃がゴブリンを打ち据えた。


――きっと、もっとあった……


蹴撃に頭を吹き飛ばされそうになりながらも、思い至った。

この妖精は、熟練者だ。

ゴブリンより深く知っていた。

なら、もっともっと広がりがあったに違いない。


――きっと知らない音が、リズムが、あった、もっとたくさん。


蹴られる、蹴られる、蹴られ続ける。

どれ一つとして外さない。

後でも前でもなく、わずかなズレもなく、その瞬間に合わせた一撃が突き刺さる。


もっとも基礎的な、彼が繰り返し遊んだものだった。

今となっては鼻で笑ってしまうほどに簡単なそれを、蹴撃は完璧に行う。


妖精と、目が合う。

激怒、後悔、感謝、侮蔑、尊敬、歓喜、悲哀――そこに込められた複雑を知る。


音は変わらない。

変わらず蹴撃は止まらない。


周囲のゴブリンの悲嘆が広場を覆う。

鎮めるように、残ったバチで地面を叩く。


対戦相手の攻撃が来る。

最適のタイミングで。


――いいリズムだ。


口に出して、きちんと伝えられただろうか?

疑問に思う暇もなく、ゴブリンは頭蓋骨が砕かれるピリオドを聞いた。



 + + +



 当該迷宮は《 音律結界 》を習得しました。

 この使用には100迷宮ポイントを必要とします。


 銀宝箱を獲得しました。

 この場で開封しますか?


決着の合図だというように通知がされた。

宝箱は、わかる。

下から二番目のレアリティのものだ。


だが、スキルの方は怪物であったときの彼でも知らないものだった。

噂にも聞いたことがない。


それはきっと、今打ち倒したばかりのゴブリンがたった一匹で成し遂げた成果だった。


倒れ伏した敵の口は、どこか笑っているようにも見えた。


「……ロスダン」

『なに?』


周囲を見る。

音はすでに止んでいた。

どのゴブリンも、信じられないという呆けた顔だった。


「ここの周回は止めだ。これ以上は殺さない」

『いいよ』

『なんです、同情ですか?』

「違えよ、敬意だ」


それだけの敵だった。

偉大な敵が残したものだ、相応に扱うべきだと鬼には思えた。


『きっとこの連中、復讐に来ますよぉ?』

「上等だ、それくらいやってもらわねえとな」

『この鬼、基本が蛮族思考です』

「うっせ」


言いながらもその場を離れる。

何人かのゴブリンが、呪い殺さんばかりに彼を睨んでいた。


襲ってくるのであれば、さすがに殺し返さなければならないと考えていたが、誰もそうせず、ただ彼を見送った。


なぜだろうという疑問は、あのゴブリンの最後の行動が教えた。

地面を叩く動作、あれはリズムと合わないものだった。

きっと周囲の部下への指示だった。


待機を命じられ、全員が従っているのだ。

集団としての意地が、その待機行動をさせた。


無音の中を、鬼妖精は進んだ。

どのゴブリンも止めることはなかった。


離れてしばらくしてから、太鼓が鳴った。

しずかに、間隔を開けて、まるで静寂を味わうかのように、繰り返し。


死者を送る音だった。


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