第28話

 松村くんが向かう先も、僕と同じ部室だった。

 一瞬、逃げてしまおうかとも考えた。けれど同じ部活に所属している以上、ここで避けても意味はない思い直し、仕方がないので黙ってついて歩く。


 だが、松村くんに続き部室の扉をくぐったところで、やはり己のうかつな選択を激しく後悔させられた――室内には、白石くん派閥が勢揃いしていたのだ。


 トゲのある視線が全身に突き刺さり、僕はたまらず動きを止める。かろうじて動く視線を駆使して周囲をうかがえば、15人ほどの顔が確認できた。残念ながら、頼もしい友人である玲音や他に交友のあるメンバーの姿はないようだ。


 リーダーの白石くんは中央のベンチにどっしり腰掛け、派閥メンバーが半円状に展開している。

 どうして部室で『鶴翼の陣』を敷いているのか甚だ疑問である。ここは三方ヶ原か?

 いったい何が目的だ……もしかして、ここにいる全員で僕をボコるつもりか? 


 恐ろしい想像が頭に浮かび、無意識に右足を後ろへ引いていた。叶うなら、そのままUターンダッシュで逃走したかった。


 僕の行動を察したように、横からすっと忍び寄ってきた陽キャ軍団の一人に肩をつかまれる……逃がすつもりはないらしい。

 次いで、この場の支配者である白石くんが口を開く。


「おつかれ、兎和。スタメン落ちは残念だったな。それでさ、松村がどうしても言いたいことがあるそうだから、ちょっと聞いてやってくれよ」


「あ、え、その……ここで?」


「ああ、俺たちは立ち会いだ。もしもケンカになったらマズいだろ? 暴力だけはダメだ。大事になればサッカー部全体の問題になる。大丈夫だって、よくある『ディスカッション』だ」


 ほら座れよ、と奥のベンチへ誘導される。

 チームスポーツにおけるグループディスカッションの重要性は語るまでもない。特にサッカーでは共通理解が大切なので、わりと盛んに実施されている。


 けれど、これは違うだろう……もとより松村くんは、『白石くん派閥』のメンバーだ。

 とうぜん周りの面々は、心情的に彼の味方をするはず。例え口を挟まなくとも、この状況ではプレッシャーがキツすぎて対等な議論など到底のぞめやしない。

 ただ物理的に暴力をふるった場合のリスクを理解しているあたり、最低最悪よりはいくらかマシか。


 嫌な考察を終えると同時に、僕は腰をおろす。

 ベンチの軋む音をキッカケに、瞳を鋭くした松村くんが本題を切りだす。


「鷹昌くん、それに皆、俺のわがままに付き合わせてごめん。さっき約束したとおり、絶対に手は出さないから。それじゃあ兎和、この際だからハッキリ言わせてもらう。もう神園さんにつきまとうのはやめろ」


「はへ?」


「視聴覚室でも、具合が悪いフリして神園さんを無理やり付き添わせたろ? 人が望んでもいない行為を強制するなんて、お前は最低の卑怯者だ。俺はこれ以上黙って見過ごせない」 


 なぜ非難されているのか、すぐには理解が追いつかなかった。

 僕と美月の関係は、対等な話し合いによって結ばれたマネジメント契約に基づくものだ。正当性があり、『つきまとい』や『強制』など事実無根の言いがかりである。

 

「神園さんは以前、お前と一緒に屋上で昼をすごした。しかも今回は、ひとり残ってまで付き添った……あまりにも不可解だ。神園さんには、陰キャごときを構う理由なんて存在しない。だから俺は、この行動になにか理由が隠されていると考えた――例えば、『知られたくない秘密を握られ脅されている』とかな。つまり、今日の彼女の行動は『SOS』を発していたってことになる」


 謎探偵松村くんの爆誕の瞬間であった。

 周囲のメンバーも「な、なんだってー!?」と騒ぎだす。

 ただひとり、僕だけがこのアホみたいな茶番に度肝を抜かれて白目を剥く。

 

「その反応、どうやら核心をついたみたいだな。お前がやっていることは、れっきとした脅迫とストーカー行為だ。どちらも犯罪だし、サッカー部全体の不祥事になりかねない。みんなに迷惑をかけるつもりか? わかったらこの場で、『二度と神園さんに近づかない』と誓え! そしてどんな秘密を握っているのか直ちに打ち明けろ!」


「は、え、いや……」


 日本語で会話しているはずなのに意味がわからない。僕が混乱してテンパっていると、さらに「諦めて罪を認めろ!」とゴン詰めされる。

 もはや気分は冤罪被害者である。今すぐ弁護士を呼んでくれ……むしろ逆に聞きたい。こんなバカげたでっちあげストーリーを本気で信じているのか?


「松村、ちょっと落ち着け。兎和も同じ部活の仲間なんだぞ? 俺は『脅迫』なんかないって信じている。さすがに大袈裟だ」


 これまで静観していた白石くんが口を挟み、ヒートアップする松村くんを止めた。しかも意外や意外、僕を擁護するような発言をしたのだ。珍しいこともあったものだ……と思いきや、やはり彼は潜在的な敵だった。


「でも、確かに兎和の問題行動は目立つ。現状のままいくと、最悪はストーカーと勘違いされる恐れがある。だからここは、すべてを白状したうえで反省してほしい。もちろん神園からは距離をとってもらう。それなら俺たちも納得して許せる。頼む、同じ部活の仲間を救わせてくれ」


 完全に『熱血な新米と情に厚いベテランの刑事コンビ』といった構図である。あからさまなムチとアメだ。

 どうしても僕を犯罪者に仕立て上げたいらしい。ここまで恨みを買うような事はしてないと思うのだが……もうわけがわからない。


 いっそ全部ぶちまけてしまおうか、とも考える。

 けれどその場合、僕が美月と接触したキッカケを明かす必要がある……トラウマの件や、フィジカル測定で手抜きをしたことがバレて内密にやり直した、などの事情も含めてだ。


 ……無理だろ。逆に弱みとして利用される未来しか見えない。そもそも僕がどう反論しようと、ここにいる連中は受け入れそうにない。徹底的にこちらを否定して、自分たちの要求を飲ませたいだけなのだから。


 不意にジュニアユース時代のチームメイトの顔を思いだす……ああ、そうだった。こんな風に追い詰められ、僕は心を折られてしまったのだ。

 ならば、ここは毅然と立ち向かう場面である……頭ではわかっている……わかっているけれど、体が、心が奮い立たない。


 なんか、頭がぐるぐるしてきた。室内の人口密度が高く、酸素が足りていないのかも。

 何よりタイミングが最悪だ。なぜ今日なのだ。虚脱感が酷く、思考がバラバラにほどけていく。というか、どうせこっちが頷くまで開放してくれないのだろう……もう、どうでもいいや。


 ぼんやりした頭で、僕は投げやりに頷こうとした――そのとき、ガチャリと部室の扉が開く。


「おまえら、大勢残って何をやっている? 明日は試合なんだからいい加減帰れ」


 永瀬コーチが突然入室してきた。たまたま見回りでもしていたのかもしれない……いや、今は理由なんてどうでもいい。

 酸素をたっぷり補給した僕は誰よりも素早く荷物をまとめ、「お疲れ様でした!」と叫んで部室を飛び出した。


 そのまま自転車をフルパワーで漕ぎ、家に着いてすぐ自分のベッドへ潜り込む。そして枕に顔を埋め、蓄積したストレスを叫びにかえて開放する。

 しばらくしたら、スマホが震えてメッセージの受信を告げた。差出人は、美月。画面をタップして要件を確認する。


『私の都合がつかないので、今日のトラウマ克服トレーニングはお休みにします。急にキャンセルしてごめんなさい。その代わり、明日の試合に向けてしっかりコンディションを整えてね』


 とても残念なお知らせだ……実は、青春スタンプをあと一つ貰えば、カードのマス目が全部埋まるところまできていた。なので、きり良く試合前にコンプするのを目標にしていたのだ。

 

 しかし、そんな密かな希望さえ叶わない。

 まさに『泣きっ面に蜂』である。まったく噛み合わない現実に打ちのめされ、僕は抱えていた枕を悔し涙で濡らすのだった。

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