江戸川入水

砂糖零時

江戸川入水

 夜はひどく濡れている。それは雨が降っているだとかの、気候や湿度といったような、物質的な意味ではない。もっと抽象的な、精神の産毛――善意すら否定し怯えねじれる下等の人間のみが持つ、美醜感覚にも似た、敏感な、――が認識する、現実の重苦。カーテンで陽光を遮っても其の熱気は伝わってくるように、逃避せしめんとも不可能なことで、この夜は私を、ずっとに辱める。

 何か大きなものが、私を見つめていた。


 私は人間の屑である。これは、間違え続けた自分の、唯一、正しく言えることだ。誰も否定してくれるな。鳥の雛を想像してみてくれ。それだ。そいつが私だ。皮が剥がれたような醜い赤の肌、握れば折れる薄い体躯、ぎょろぎょろとしてどでかい目玉。巣の中で怠惰なまま引きこもり、ちーちきちーちき五月蠅く捲し立てるくせ、親のとってきた飯は人一倍、食う。どこを探しても可愛気というのがないのに、「庇護してやらねばならぬ」と、善心の他人に思わせ寄生する。そんな才能の人間なのだ。

 さらに質が悪いのは、私は雛と違って賢しい人間であること。つまり、自分は、このヘドロの本性を隠している。賤しい。そして、これがまたいけないことに、中途半端に成功してしまっているのだ。けして立派ではない。が、優しく、今にきっと、善いヒトになれるであろう。そう、思われてしまっている。罪悪感。申し訳なくなり、一切合切の心の内をさらけ出して、自分という人間を見限ってほしいとさえ思う。

 近頃、こうした鬱々とした感情ばかりが二日酔いのように私の心に焼き付けられている。すると、あらゆるものに対して恐怖する。なにもかもが私を責め立てている気がしてならないのだ。風が窓を叩くたび、ガラスが割れやしないか。親兄弟の足音は空き巣などのモノに置換される。通りを歩く人たちが私を嘲っているとしか思えず仕方がない。しまいには水筒に入った飲み物はカビが多量に含まれていると考え、入れたばかりの一リットル弱の水を幾度と知れず排水溝に流し、水筒も塗装が剥げるほど漂白を繰り返す。無意味で無駄な行動ばかりしていた。

 何日か前のこと。かぼすをお隣にいただいたので、ポン酢と一緒に冷やしうどんで食おうと思った。私はさっぱりした食べ物が好きなのだ。気分が色めきだち、自分にしては珍しく、鼻歌なんか歌ってみたりして、ゴキゲンに料理した。皿も少し上等の、漆塗うるしぬり風、木の器。つゆの椀も併せて、ちょっと高級な、引き出しにしまわれていた来客用のものを勝手に使ってみることにした。麺が茹で上がるのを、今に今に、期待しながら待っていた。沸騰した水。私のこころはそれと同じリズムで上気していたのだ。残り一分ほどで食べられるといったところまでは。途端、なぜだか急に具合が悪くなった。吐き気を催したのだ。乗り物酔いに近いそれ。反吐やうんこの如き、汚らしい泥が胃にたまって、口から出る空気のすべては腐るような。視界の端が歪んで見えて、熱に浮かされているような。額に、ナメクジの粘液に見まがう程濁った、大きな汗粒が浮いて出て、眉をびしゃびしゃにぬらした。妙に熱い耳に、タイマーの甲高い声が響く。それで少し現実に戻った。麺をなんとかざるにあげ、冷水で締め、盛り付けまでやった。しかし、やはり、食えない。普段ならいつまでも嗅いでいられるかぼすの香りも、今に至っては、生ごみと同じに思えて……私はもう、こうした自分がたまらなく嫌になる。包丁を勢いよく取り出した動きのまま腹にむけて、胃や腸やら全部、掻っ捌きたかった。

 その時こそ理解できなかった奇妙な鼠色の情動。今ならば説明できよう。光が顔に当たり、目が覚めただけだったのだ。

 人というのは、目蓋を閉じるときよりも開くときに多くのエネルギーを使うものだ。誰だって経験はあるだろう。布団に入ってウトウト、眠るのは簡単。けれども、そこから起き上がるのは容易なことでない。目覚まし時計というのがそれを証明している。ジリリッリ、ジリリッリ。皆いつだって外的要因によって起こされていた。目覚まし時計しかり、顔に当たる朝日しかり、仕事しかり。我々はもともと、夢のうちにひっそりと息をする生物であるというのに。

 つまり、私はあの日、夢の中にいた。醜悪な己とその現実を、かぼすの香りで誤魔化していたのだ。あたかも、自分は楽観的に生きられる人間であると、己に眩暈を見せ続けていた。まどろみ、水に揺蕩う、緩やかな快楽の信徒。瞳を閉じていた私に、食事という、絶対的な現実を突き付けられる。触覚、嗅覚、味覚。夢ならば知覚しえないそれらによって、正気に引き戻されたのだ。今、手中にある宝くじが大金に化けないかと夢想しながらも現実的に考えてしまう、勝手で半端な感情の天秤。私は、その天秤が片方に傾き過ぎてしまった。ギャンブル中毒者、その破産の瞬間である。

 壊れた天秤の正し方を知っているか? 平穏に生きる、美しい、普通の人は知っている。が、私にはとんと見当がつかなかった。今になっても分からぬ。それゆえ、手探りで心をもがかなければならなかったのだ。考えてもみろ。平均点を下回り続けてきた人間が正解を引けるなんてありえないこと。いきなり壊れたモノをポンと渡されて直せるわけもない。教育も受けていない人間ならば、それを生業とする人間に任せればよかった。そのことに気づかぬまま、私は不用意に触ってしまった。今になって誤ちを犯した事に気が付いても遅い。一度描いた絵は消せない。過去には如何したって戻れないのだ。私は現実の重苦から逃れるため、究極の逃避の妄想をした。被害者になれたらと思った。ああ、どれだけ悪辣なことだろう。この考えこそが暴力だ、犯罪だ。謝罪を幾千重ねようと許されることない、最大の罪だ。見知らぬ第三者を悪人に仕立て上げ、己をなんの罪悪もない無垢な人間とし、そして誰もが私に対して好意的に振る舞い、犬のようにこびへつらう。そんな妄想。

 悪心の尽きぬ鬼だった。

 十日に一度、冷静になって自己を鑑みてみると、死にたくなってくるのだ。どれほどひどい奴であろうか、真人間にならねばと決意するのだが、けれど、死を想うと、布団の中にあるように安心する。反省の中でさえ快楽を見出し、逃避せしめる――救えない人間。例えば、もし明日死ぬのならば、それだけで気高い人になれると、愚かな錯覚がおこるのだ。麻薬を吸うのと同じこと。それを狙って、反省のふりをする。このときには私はもう、幻覚でもって世界を切り取らねば生きていけない、非人間になり果てていたのだ。

 それからの数日、私は、今までの自分が嘘であったかのように明るくなった。昼飯なんて二人前は食うようになり、家族友人に一抹の猜疑心を抱くこともなく接することができた。これは大いなる前進である、やっとまともになれる、これからは人生の大いなる路を大手を振って歩ける。と、そう、信じ切っていたのだ。快楽は一過性。無邪気な全能感は長く続かない。直ぐにまた鬱屈した自分が足元からふつふつ湧いてきて、私は、落ちた。浮ついた、雲の上を散歩するような気分から一転、黒の血の沼に沈んだ。

 身震いするような死を想って現状の認識組織を麻痺させ、心が一時の快感に陥り、自己嫌悪。そして死を想って逃れようとする。この繰り返し。こうなってしまっては終いだ。抜け出せぬまま、畜生に劣る存在となる。だがこれは、永遠に続かない。心に抗体ができるのだ。効き目が悪くなって、こんどは副作用……毒がじわじわと心身を蝕む。自身の死ぬ妄想が妄想でなくなり、現実でいつか起きるという確信を得る。あらゆる物への疑心暗鬼と希死念慮が一挙に襲い掛かってくるのだ。綺麗なものを見ると犯罪の心が沸き上がるせいで、私は、見たくもない、醜いものを見るよりほかなかった。いつもニコニコしている人が、ふとした時に見せる真顔を、鬼の首を取ったように喜び、本性見たりと、その人を悪しき様になじってしまいたくなった。耐えられなかった。

 私は、もう、死のうと思う。あの江戸川に、身を投げて。苦しい、辛いのだ。そこそこ裕福な家庭で生まれ、親にも愛されていよう。こんな贅沢なものを戴いて尚欠陥品であるのだから、どうしようもない。ああ、涙が出てくる。視界の端がにじむ。申し訳ない。申し訳ない。自分の無能に理由付けられたらと、考えがやまないのだが、同時に、もし、精神疾患や障害を抱えていたとして何も変わらないとも思う。私は死ぬだろう。それらは私の無能を肯定できない。もし、自分の無能をなんらか他の要因のせいにでき、肯定できたとして、それがどれだけの慰めになるだろうか。私の無能は変わらないのに!

 四時、家族はみな眠っている。軋む階段を抜き足差し足、一粒の音もたてないように降りる。リビングを鷲のように睥睨し、誰もいないことを確認した。ほうっ、息が漏れる。背中の産毛が落ち着きを取り戻し、力なく垂れさがっていくのが分かった。これから自殺するのだと改めて認識すれば、臆病なものが、ちらと顔を覗かせる。汗。腎臓のあたりが紙のようにゴワゴワして、説教される前と同じで、委縮している。喉の奥から酸っぱい匂いもしてきた。体のすべてが悪あがきをしているのだ。屈してしまう前に、家から抜け出た。晩春、満天下。道は決した。

 もうすぐ夏と言えど、早朝の風は冷たい。寝間着一枚だけの身なりでは、まったく凍えそうだ。今からでも家へ戻ってしまい。数歩しか歩いていないのに、そんな考えが頭をよぎる。いやいや、今の肌寒さがなんだ。これから私が身を投じる江戸川の寒さはこの比ではないのだぞ、と頭をぶんぶん振りながら道を行く。私というのはやっぱり仕様のない男で、この期に及んでなお、死にたくないなどとほざいている。その証拠にほら、足がガタガタとすくんで一歩進むのに何秒かかるんだ。これならヒルやナメクジの這いずるほうがまだ速い。のろのろ、のろのろ。のろのろ、のろのろ。まったくらちが明かない。終いには、後ろへと振り返って、帰るのに一歩踏み出すこともある。一歩下がって二歩進む。自分で自分に苛立つ。私はこんなに意気地がなかったのか。一度深呼吸して、真っ暗闇の道路に向かって力いっぱい、叫ぶように息を吐く。腹をくくれと、自身に叱咤したのだった。足は、震えながら、前へと進んだ。

 あと一、二分でつくという頃、道外れの公園に桜が咲いているのを見た。満開ではない。散り散りの花で葉も交じっていて、ピンクなんだか緑なんだか、ごちゃ混ぜで汚い。万人は顔をしかめるか、そもそも視界にすら入れないだろうそれに私は何故だか惹かれて、ちょっとばかり寄り道してみることにした。公園もさびれた薄汚いところで、滑り台には鳥の糞がこびりつき、ぶらんこのチェーンは錆びきっている。唯一まともなのはベンチくらいであろうか。座るのにいささか躊躇するものの、最終的には腰かけてよいと判断するくらいの、微妙なものである。そのベンチに座り、桜を見た。近くで眺めていると、先ほど遠くで見たのとはまた違った発見がある。枯れていたのだ。幹の中ほどが濃い茶色に腐食していた。触らずとも、ぐじゅぐじゅした感触であることがわかった。私はむせび泣いた。人目もはばからず。もうすぐ日の出の時分、ようやく泣き止んだ。鼻の頭に赤々とした涙の名残の滑稽な顔であった。桜にひとつお辞儀をし、江戸川へ再び歩み始めた。臆病も悪心も、すべて消えていた。

 江戸川橋。そこは道路と一体になって、すぐ隣ではふぉんふぉん車が滑っている。薄明にライトは情緒が台無しじゃないかと、勝手な怒りを発露し、すこしたって、笑った。これが自分であったのだ。欄干によりかかり空を仰ぎ見て、満足し、四肢の力を放りだした。

 温い風が頬を撫でる。髪が耳にかすってくすぐったい。頬はミルクのような仄かに熱を持って、生気を感じさせた。指先にべたつく汗、口に広がる草の香り、外気特有のパキパキとした湿気が肌に張り付く。自然のすべてが五体に満ち足りていた。今ならば、たとえ唾を吐かれようと、犬にしょんべんをかけられようと許せる。

 誰より優しく微笑みながら、私は、緑の川を見た。水底には地獄の門番がいて、こちらに向かって手招きをしている。

 上流から昇ってくる太陽の光が水面に反射して――。

 私はゆっくり、落ちていった。未練か、仄かに、かぼすが香った。


 ぼぼ、ぼろろぼろ。

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江戸川入水 砂糖零時 @C12H22O11-0000

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