第55話 夜陰に咲く魔薔薇との邂逅



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 突如、深更の闇に迷い込んだように、煙草を咥えた凶刃きょうじんの薔薇の如きローザが現れた。


 先日の真夜中のパープル工場で見せた遊び着と同じ服装だが、ローザの『ピース・アニマ』である、白銀の鎖の形をした『ディバラス』を、自身の左腕に巻き付けている。



 何故、ローザが突然現れたのかは理由がある。


 彼女が常日頃から愛喫している、トリプル・セブンと言う煙草の銘柄がどこの店にも売っていなかったので、ローザが煙草探しの為、街を散策していたら偶さかポニーにより行われた惨劇の現場に現れたのだ。



 しかし好戦的なローザが、ポニーによる一方的な虐殺を指をくわえて傍観していたとは考え難い。



 否、傍観などしていない。


 ローザはただ気がついていなかったのだ。



 その原因は彼女のヘッドフォンにある。


 ヘッドフォンから流れる大音量の音楽は、音が外部に漏れて、ローザがいったいどんな曲を聴いているのか容易に判ずる事ができるほどだ。



 ましてや、銃声の効果音を多量に含むギャングスタ・ラップを好むローザにとって、三人のアウトローがポニーに放ったアサルトライフルの銃声は、曲の中の効果音とともに一緒に溶け合わさって、本人ですら何も違和感を感じなかった。



 そして未だに眼下の九条鏡佑くじょうきょうすけにも、気がついていない。



 ローザの出現に腰が抜け、アスファルトの路面に根を張らしたように、蹲る九条鏡佑は、ただただ祈るばかりであった。


 どうかこのまま、僕に気がつかずに何処かに行ってくれ、と。



 そんな祈りも空しく、すぐにローザに見つかってしまった。


 なぜなら、ローザのブーツが不運にも九条鏡佑の体にぶつかってしまったからである。


 だが、今はまだ正体までは判然としていない。



 ローザもまさか、ぶつかったのが九条鏡佑だとは、思っているまい。


 両者とも、このまま何事も無かったかのように、終わる……はずだった。


 のだが、ローザはヘッドフォンから流れる大音量の曲を止めて、蹲る九条鏡佑に質す。



 「おいコラ。今アタイに当たったぞ。何か言うことあんだろ?」


 「…………」


 「おい! 黙ってねーで何とか言えや!」



 いつものローザなら、こんな事で怒りの感情を見せたりはしない。


 しかし、これも不運と言うべきなのだろう──今日のローザは焦燥の塊のようなものだ。



 数時間も街を散策しても、ローザがいつも愛喫している銘柄の煙草が入手できなかったからである。



 「お……お腹が痛いんです……すいません……」



 声色を変えて九条鏡佑が答えると、妙に勘が鋭いローザは、その声の正体を直ちに看破し、強引に蹲る九条鏡佑の胸ぐらを掴み上げ、居丈高に詰問してきた。



 「オメーやっぱり、あん時のマグソキッドじゃねーか! つーか、タルマから聞いたぞ。オメーあのパープル工場を爆破したのは本当か? それに『ピース能力者』にもなったらしいじゃねーか。いったいどんな能力だ? んな事よりもオメーがパクった『オロメトン』はどこにあんだ? さっさと答えろ!」



 ローザの矢継ぎ早の詰問に、頭の中が真っ白になり、半ば現実逃避にも似た感情を覚えずにはいられなかった。



 「おいマグソキッド! さっさと答えろや!」



 刃物のように鋭利な双眸の眼光で九条鏡佑を睥睨するローザに対して、咄嗟の対応など皆無だ。



 九条鏡佑は、突然の恐怖に錯乱し、瞳を泳がせながら熱帯夜の暑さとは関係ない、緊迫からくる冷や汗を額から垂らし、喉元を干涸びかせ上手く声を出す事ができない。



 そんな九条鏡佑が、やっとの力で絞り出した言葉は「分からない……」だった。



 「何が分からないだマグソキッド! このローザ・リー・ストライク様を馬鹿にしてんのか!?」



 九条鏡佑の後先を考えない軽率な発言は、ローザの焦燥を余計に助長させる結果となった。



 だが九条鏡佑とローザに近づく一人の人物を逸早く察知したローザは、意識の対象が九条鏡佑から離れた。


 その人物はポニー・シンガーである。



 未だ自身の『ピース能力』を解放したままの彼女は、傍目から見れば怪異そのものだ。



 やおら揺らめくように、接近してくるポニーを眼前に見据え、ローザは悪魔のような微笑を湛えた。



 ローザの肚裡とりは至極単純である。



 『ピースの黒石こくせき』は能力者が絶命すれば、自然と喉仏から露出し浮き出てくるのだ。


 何故、そのような原理なのかは当の本人も理解していないが、今の現状で九条鏡佑とポニー・シンガーの両人を殺害すれば、もともとローザ達の『ピースの黒石』を二つ回収できる。



 本来、ローザ・リー・ストライクの任務に黒石回収の任務は無い。



 だがローザが入軍している『Nox・Fangノックスファング』と呼ばれる革命軍の数ある師団内で、ローザが入団している師団だけがミラーリング・ゲートにより、ローザの故郷でもあり異世界でもある、ガルズから地球に飛ばされてきた。



 その際に、革命軍にとって重要な武器となる『ピースの黒石』と『ピース・アニマ』が世界中に数個、散らばってしまったのだ。




 ローザは師団内で幹部である以前に、先駆けを務める猛者である。


 ガルズでは、幾多の戦場を先陣切って闘いぬいた百戦錬磨の戦士なのだ。



 そんな女戦士の彼女が、種蛇島たねだしま灰玄かいげんと一戦を交え、退却という結果で師団のホームに戻ってから、失敗の連続で苛立ちの日々を送っていた。



 ここで自身の汚名を返上するには、任務外である黒石回収を果たす事が一番だとローザは考えたのだ。



 なにより、『ピースの黒石』を二つ回収する事と、『ピース能力者』と闘い暴れる事は、ローザの鬱憤を晴らすことにもなる。



 つまりローザにとって、これは一石二鳥であり逃す事ができない絶好機なのである。



 ローザは四本の黒き鋼の腕を、怪鳥の翼のように拡げて、ゆっくりと距離を詰めるように歩み迫ってくるポニーを、つぶさに注視した。



 しかし、ローザが注視し考察したのは、ポニーの能力では無い。



 数多の能力者を屠ってきたローザは嫌という程に知り尽くしている。



 現在、目に視えているポニーの異形よりも、その佇まいや面構えが重要であると。



 『ピース能力者』は対峙する相手に、自身の能力の全てを晒すような愚行はまずしない。



 もし仮にいたとしたら、余程の慢心家か愚者である。



 かいつまんで言えば、能力者同士の戦闘は自身の奥の手を秘匿する所から始まる。



 なので、まずは相手の能力の考察よりも先に、屠る対象の動作や癖や性格を観察し推測するのが鉄則であり上策なのだ。




 戦闘慣れしたローザは、目敏くポニーの特徴を捉え探りを入れた。



 「オメーの目──軍人の目だな。それもかなり訓練して実戦経験もハンパねぇ。戦争の中から産まれてきたような、ドープな目をしていやがる。気に入ったぜ。まさか、こっち『側の世界』で、オメーみてえなリアルな奴に会えるなんてな。その目も構えも、全てがサグってる。オメーの事、サグフェイスって呼んでやんよ。悪人面って意味だが、こいつはディスじゃねえ。アタイなりのリスペクトだ」



 そんなローザの嘲弄まじりの弄言を意に介さず、あくまで鉄面皮を装い無言で寄ってくるポニー。


 ローザお得意の初手である、嘲笑と弄舌は空振りに終わった。



 ならば次なる二手を──と、ローザが思った矢先に、ローザ本人も想像していなかった事態が起こった。



 「貴方様は、先程そちらの鏡佑さんと会話をなさっていましたが、見た所お知り合いのご様子。お忙しいとは存じますが、一つ貴方様にお尋ねしたい事があります。宜しいでしょうか?」



 あろうことか、敵意を剥き出しにして語りかけてきたローザに対して、ポニーは現在捜している、錦花鶴祇にしきばなつるぎの所在を訊こうとしてきたのだ。



 これには流石の九条鏡佑も唖然とせざるを得なかった。


 ローザとて同じ心境である。



 これは果たして余裕から来る言動なのか、それとも単純に愚かなのか、ローザは判ずることができずに、暫し呆然としてしまった。



 「今一度、お尋ね致します。貴方様にお尋ねしたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」



 ローザは内心で首を傾げていた。


 これは相手の作戦なのか否かと。



 しかし、ポニーの瑠璃色の玲瓏なる光輝な『ゲイン』に敵意は全く混じっていない。



 それを感じ取ったローザはひとまず、ポニーと会話をしてみる決断に至った。



 もしこれが相手の作戦で不意を打つなら、ポニーの『ゲイン』は剣呑なはずである。


 いかに優れた能力者であろうと、『ゲイン』の鬼気までは隠しきれないからだ。



 「あぁ。いいぜ、言ってみな」


 「わたくしは今、錦花会長様を捜しております。もし心当たりがありましたら、教えて下さい」


 「会長様ねぇ〜。つーか、オメーとその会長様ってのは、いったいどんな関係なんだ?」


 「わたくしにとって、錦花会長様は、誰よりも大切なお方で御座います」



 その台詞を聞き、ローザは相手の弱点を看破した。


 人間にとって、心を抉られる程の怒りを覚えた者は皆、自身の能力も作戦も奥の手も、一切合切かなぐり捨てて襲ってくる。



 それは最早、獣も同じ。



 思考しながら闘う人間と、ただ闇雲に相手を噛み殺そうとしてくる獣とでは、戦闘の質そのものに雲泥の差が生じる。



 ローザはそんな、ポニーの心に痣を残すような台詞を吐き捨てた。



 「あぁ〜、知ってる知ってる」


 「でしたら是非、教えて下さい」


 「教えてやんよ。オメーが捜してる、その会長様って奴は、さっきアタイがブッ殺した」


 「──ッ!」



 ローザの思惑は見事に的中した。


 先までのポニーの鉄面皮は剥がれ落ち、怒りを露にする。



 一番驚いていたのはローザだった。


 まさか、ここまでの効き目があるとは露知らず、灼熱と凍てつく吹雪が入り交じったような、殺意がこもる双眸に、たちまち変貌するポニーを見て、一度だけ深く生唾を呑んだ。



 ポニーの殺意が強過ぎたのか、九条鏡佑はアスファルトの路面が剣山になったような感覚を覚える。



 目尻を吊り上げ、ローザを睨み眇め見るポニーのかんばせは、美貌の色から猛獣の色へと変わっていた。



 ポニーは低く唸るような声音でローザに苦言を呈した。


 否、それはもうローザを殺害する対象としての台詞だった。



 「貴方のような……下品な言葉で吠える事しかできない三下に、会長様が殺されるなど考えられません。ですが貴方は、わたくしに第二の命を与えて下さった会長様を侮辱しました。それだけで……誅滅する理由は充分で御座います」



 先程までの機械的な口調とは様変わりし、人間とも獣とも判然としない怒り狂うのをすんでの所で踏みとどまっているような声色で、ポニーがローザに告げた。



 明らかな虐殺宣言を聞き、ローザは胸中でほくそ笑んでいた。



 やっと面の皮が剥がれ本性を見せやがったと──

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