第12話『ブルーアイズに恋してる』

__二〇二四年一月八日、新潟県新潟市__


 前国スバルは、息子アランから、ドローンで撮影した日本海海上での不可解な映像の提供を受けた。映像内の音声に異変を感じたスバルは、その音の正体を解明しよう画策していた。


「そう、このノイズ……。妙に耳障りがいいんだ。何か意味があるはず……」


 弥彦山やひこやま送信所の一室にて、ヘッドセットをつけたスバルは、その遠くなり始めた耳で、音声を何度も繰り返し聴き返している。


「やはりこれだけじゃ足りん。データをもっと取るべきだな……」

 と、スバルはポケットから大事そうな金色の鍵を取り出して立ち上がった。


 スバルは責任者権限を使って、送信所のサイバーセキュリティ室から、ありったけの通信関連の装置を拝借してきた。そして手始めに、即席の送受波機トランスデューサーをいとも簡単に組み立てた。


「うーん、これ地上からの情報を拾うのは問題なさそうだが……理想的な暗号解読システムを構築するには、海中からのアプローチも欲しいな。アラン、あいつは機械いじりの素質はあるが通信系の難しいことはまだ任せられないし……ソナーに詳しい奴がいれば心強いんだが…………」


 思い悩むスバル。


「そうだ、しめたぞ! あいつがいるじゃないか! 間瀬まぜ漁港に新川が来てるんだろう? どうせ相変わらず電波のことばっかりやってるだろうが……確か、アランが新川の名刺のPDFをメールに添付したとか言ってたよな……やはり! って古野ふるの電気!? しかも、最高技術責任者CTO? こんな辺鄙へんぴなところにそんなお偉いさんが。でも……あいつらしいな。いつでも最前線に立ちたいタイプだ、やつは。協力を頼んでみよう、これは心強い助っ人になるぞ。しばらくは間瀬漁港で、魚群探知機やら通信機器やらをチェックしてるんだろう? で、新川の電話番号はっと……」


 ***


__スバルが新川元気あらかわもときに電話かけようとしている頃、獅子ヶ鼻の前国家にて__

 

 リビング。


 パトリシアは、ヨガマットの上に仰向けに寝転がり、その肉付きのいい御御足おみあしの下で筒状のローラーのようなものを転がしている。


 一方でアランは、冬休み最終日にして、慌てて宿題と格闘している最中だった。


「ねぇアラン、最近お父さんとしょっちゅうやり取りしてるみたいだけど、何をコソコソしてるの?」

  と、不満のこもった声のパトリシア。


「別に?」

 と、アランはぶっきらぼうに答える。


「地震があった時も、あの人、アランとは密に連絡をと取っていたくせに、私には全然心配の電話の一本もくれなかったじゃないの」

 と、パトリシアは少々いている様子。


「そんなのお父さんに直接言いいなよ」


 ごもっとも、である。


「これが俗に言う『ぐぬぬ』ってやつね。でも思わない? 母親が、夫と息子の秘密のやり取りの蚊帳の外。私、可哀想だとは思わない? あー、しくしく」

 と、下手な演技で泣き真似をして見せるパトリシア。


「うるさいなぁ、男にしかわからない世界ってものがあるんだよ」


 反抗期、ではない。宿題に追われて、母親の愚痴に付き合う暇などないのだ。

 

「何よそれ」


「うーんとね、浪漫ロマン、的な?」


「女にだってロマンはあるのよ。女男爵の、ロマンチシズムがね」


「『元』、女男爵でしょ。ていうか、それ本当に効果あるの?」

 と、アランは、パトリシアがしきりに転がす奇妙な形状のローラーを睨みつける。


「あるのよ! 立ち仕事が多いから、足がむくんじゃうのよね。これ使えば、ちょっとは楽になるのよ」


 ♪ ピンポ〜ン ♪


 玄関のチャイムが、鳴る。


「誰かしら? 荷物なんて頼んでないわよ? アラン、お母さんマッサージするのに忙しいから、出てちょうだい?」

  と、パトリシア。


「やだ」

 と、断固拒否するアラン。


「もう、毎日ドローン、ドローンで遊びほうけてるから、宿題がかなりピンチなんでしょ」


 かなり嫌味のにじみ出た顔をする母親。


「今出るかどうかとは、無関係だよ」


 息子は正論の暴力を振りかざす。


「もう! そんな口聞いちゃって。誰に似たのかしら?」


 母親は感情的になる。


「お父さんでしょ」


 エモーショナルな言い合いには乗らない、冷徹な息子。


「あらやだ! こんな男がうちに二人も」

 と、かなり頭に来たのか、やっとローラーを転がすのをやめて、上体を起こすパトリシア。


「『そんな男』と結婚したのはお母さん自身の選択でしょ」


 アランの口車の回転は止まらない。


「はいはい、そうです、賢いアランくん。優しいお母さんが出てあげますよーっと」


 パトリシアは、諦めて立ち上がり、玄関に向かう。アランの勝利だ。


「ごめんくださーい!」

 ドアの向こうに、男の声が聞こえる。


「もう、誰なのよ……」

 

 パトリシアはそう言いながら、チェーンをかけたままのドアを、数センチ開いた。


「あ、すみません、私、古野電気の新川と申します」


 ドアの隙間から、新川の顔がひょっこりと覗く。


「だあれ、あなた? セールスマン? 押し売り? フット・イン・ザ・ドアしないでね?」


 と、パトリシアは新川に警戒し、一歩退く。


「あぁ、あのおじさん、来たんだ」

 

 アランは、宿題をする手を止め、ドアの方へ駆けると、なんの躊躇ためらいもなくドアチェーンを外した。


「ちょっと、アラン!」


 パトリシアは、アランにぶつかりそうになって、飛び退いた。


「いいのいいの。おじさん、こんにちは」

 と、勢いよくドアを全開にするアラン。


「おいおい、もうおじさんはよしてくれよ。新川さんとか、CTOとか、呼び方は他にも色々あるだろう?」

 と、少しダメージを食らった様子の新川。


「CTO? なにそれ」


「チーフ・テクニカル・オフィサーだよ。名刺、交換しただろう?」


 新川は、人様の家の玄関前で、仁王立ちで、そう言う。


「あぁ、あれね。ごめん、ちゃんと見てないや」

 と、アランは大の大人を軽くあしらう。


「おいおい、見てくれよぉ」


 早くも姿勢を崩す、情けない金剛力士。


「ていうか、捨てちゃったし」

 と、悪びれもせず白状するアラン。


「えっ!? ……悲しい!」


「でもPDFにしてお父さんに送ったから、データはあるよ?」


 アランは、今時の高校生である。


「データ、か。紙の名刺交換もいいんだけどなぁ。そんな文化もいずれ無くなるのかなぁ。最近の高校生の間では、ペーパーレス化が進んでいて感心はするが……」

 と、新川は悲しげにそう言う。


「データは大事だって、お父さんが言ってたよ」

 と、アランは圧倒的上位者の威を借る。


「くっ、前国先生の言葉か、強敵だな……。だが、紙も大事だ!」

 と、新川は師の力に屈さず立ち向かう。


「かさばってしょうがないよ」


「それがいいんじゃないか! 日記帳のような、毎日の積み重ねが、目に見えてわかるだろう?」


「あのぉ……」

 と、またしても蚊帳の外のパトリシアは、なんとか話に水をそうとする。


「うーん、どうだろう?」


 息子には母の声は届かない。


「ほら、自信にも繋がるぞ? 時々、自分の残したものを一枚一枚紙で見て、悦にるんだ」


 エンジニアにも声は届かない。


「僕はタブレットで自分の積み上げたデータを見ても全然ニヤニヤするけどね」


 パトリシアは、玄関横の棚から、ボールペンを一本摘み上げる。


 そしてその端の方を指揮棒タクトのように持つ。

 

「おーい! イクスキューズ! ミー!」


 パトリシアは、どこぞやの魔法使いのごとく、ペン先を二人の男に交互に向けて震わせる。


「ああっ、これはすみません。ご夫人を置いてけぼりで」


 新川は、ようやくパトリシアの存在を思い出す。

 

「ええ。で、入るなら早く入って、事情を説明してくださらない? 冷気が入っちゃうわ」

 

 

***

 


 冷え冷えになったダイニングの椅子に腰掛けながら、アランはパトリシアに新川のことを紹介した。


「……と言うわけで、つい先日の地震で、この先一ヶ月の出張予定が急に全部消えちゃったんです。今は間瀬の漁師さんの家に泊まらせてもらってますけどね」

 と、頭の後ろを掻く新川。


「そういうことね。不審者だと疑ってかかって悪かったわ。ちなみにどなたのお家に?」


 無事、パトリシアの、新川への警戒は解けたようだ。


日野原零太ひのはられいたさんと、奥さんの野薔薇のばらさんのところです。いやぁ、ありがたいですよ」


「あぁ、日野原さんのとこね。うちも時々海産物をいただいたりするわ、素敵な夫妻よね」

 と、パトリシアは、白地に青で模様の入ったボーンチャイナのティーカップから、紅茶をすする。


「ええ、本当に」


「でも、一週間も何してたの? ニート?」

 と、性懲りも無く新川をいじりだすアラン。


「ちょっとアラン、失礼でしょう?」

 と、パトリシアは、アランをたしなめる。

 

「いや、やることはたくさんあったんだ」

 と、新川は、自身の無実を主張するかのように、自信を持って言い切る。


「どんな?」

 と、アランは淡々と尋問する。


「間瀬漁港の人たちはね、いい人たちであることには間違いではないんだけど……どうせアフターサービスはタダだからって、ついでにうちの製品を片っ端から点検させられたよ。まいったねぇ」

 と、愚痴をこぼす新川。 


「でもそれが仕事でしょ? 宿泊代を稼いでると思えば、いいんじゃない? ウィンウィンで」


 アランはズバリ指摘する。


「あぁ、その通りですね。はい。日野原夫妻には本当に助けられてる」

 と、もはや諦めモードの新川。


「まぁ、野宿じゃなくてよかったよ。で、魚群探知機は治ったの?」


「その話なんだけど、魚群探知機はもちろん、各種通信機器をチェックをしたんだが、やっぱり弊社古野電気の製品に欠陥は見られなかった。どうも何かしらの電磁波の干渉を受けているに違いないんだ」


「それって、電子レンジを使ったらWi-Fiがおかしくなるみたいに?」


「そうそう! よく知ってるねアランくん。波同士は、干渉し合う」


「お父さんが教えてくれたんだ」


「さすが先生だ」


 

 ♪ ピロリンピロリン ♪


 新川のスマホの着信音が鳴る。


 新川は、ワンコールで電話に出る。

 


「あ、前国先生! お久しぶりです!」


「本当に久しぶりだな。そっちの仕事はどうだ? お前とんでもなく出世したらしいなぁ。古野電気で最高技術責任者をやってるそうじゃないか」


「ええ、おかげさまで。先生の厳しいご指導の賜物たまものですよ。あ、聞いて驚かないでくださいね、今ちょうど、前国先生のお宅にお邪魔してるんです!」


「本当か! まぁゆっくりしていってくれ」


「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えさえていただきますね。で、前国先生の方は、最近はどうされてるんですか?」


「今はだな、総務省案件でな、弥彦山やひこやま送信所で、電波の利用状況調査の仕事に駆り出されてるんだ」


「総務省案件! いやぁ、さすが日の本一の電波工学のスペシャリストは生きている世界が違いますね!」


「いやいや、国はケチケチして大した報酬もありゃしない。まぁ、経験に対する投資と見做みなして、己を納得させるしかないなぁ」


「でも先生のことですから、お国の役人にやられっぱなしってことはないでしょう?」


「ああ、もちろんさ。ここだけの話、責任者権限で、送信所のいろんなハイテク設備をを無断利用して、仕事には関係ないありとあらゆる電波を拾ってるさ」


「ははぁ、相変わらずのマッドサイエンティストぶりですね」


「いや、もうその呼び方は古いぞ、最近は『ドクター・ストレンジ』と呼ばれている」


「先生、マーベルヒーローの仲間入りですか? ずるいですよぉ! 僕も入れてください」


「おお、いいぞ。新川、お前にはハルクなんかがピッタリじゃないのか?」


「え、いいんですか? そんないい役貰っちゃって。あ、というか、どういう理由で選んでます? そのハルクっていうのは」


「お前の馬鹿力に何度効果な実験装置をお釈迦にされたことか! だから剛腕の、緑の巨人がお似合いなのさ、あっはっはっはっは!」


「もう、それは昔の話ですよ。で、話がだいぶ逸れましたが、なんのご用があって電話をくださったんです?」


「あー、そうそう。つい懐かしくて余談が過ぎたよ。本題なんだが、さっき、送信所の色んな機器で仕事には関係ない電波を拾ってるって言っただろう?」


「ええ。あ、もしかして、うちの機械の不調と何か関係あります?」


「そうなんだよ。さすが良い勘をしておるわ。で、お前に協力してもらいたいことがあってだな。まずは、アランから映像を見せてもらって欲しいんだが……」


 

 ***



 __電話終了直後__


 新川とアランは、さっきからスバルの部屋と、獅子ヶ鼻の灯台前の突堤とっていを何度も往復している。というのも、アランはスバルの頼みで、ドローンで撮影した例の映像と、そこにおさめられた謎のノイズを新川に確認してもらったのちに、スバルの自室のありとあらゆる装置を海岸沿いに運び、水中から音を拾う調査をすることになったからだ。


「いやぁ、にしてもアランくん、お父さんの部屋、すごいねぇ。電波工学を志す者なら誰もが興奮するガジェットで、部屋がぎゅうぎゅうじゃないか」

 と、興奮気味の新川。


 新川は、得体の知れない部品の入った袋を山ほど抱えているが、余裕綽々しゃくしゃくとしている。


「僕も、お父さんの部屋がこんなになっているのは知らなかったよ」

 と、得体の知れない機材をベタベタと触るアラン。


「そうかい。ドクター・ストレンジは、息子にさえ秘密主義だったのか。あ、次はそこの大きい丸太みたいな金属を持って行こうか」


「これね? 了解。でもその秘密の部屋も、今日にて解禁!」

 と、アランがその細い腕で、重そうな円柱状の金属を、引きずって壁際から離す。


 すると、A4サイズくらいの額に入った、青いターバンと黄色の布を頭部に巻き、左耳に銀色の球を下げた綺麗な女性の絵が現れた。


「おぉ、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だね」

 と、絵に近寄る新川。


「それ、すごい有名な絵だよね? 僕でも知ってるよ」

 

「フェルメールの贋作……そうそう、先生は、大学の研究室のデスクにも、これと全く同じ絵のポストカードを、大事に飾ってたよ」


「へぇ。お父さんに、芸術の趣味があったなんて知らなかったな」


「やだなぁ、違う違う。これは、先生が、愛する奥さんに似ているから飾ってるって、昔、耳にタコができるほど聞かされたよ」


「うわぁ、お父さん、意外とそういうことするんだ……」

 意外な父の習性に、複雑な顔をするアラン。

 

「私がなんですって?」


 女性の声。


 声のした方向、部屋の入り口側に向けて、新川とアランは視線を絵から移す。


 パトリシアが、スバルの部屋の前の廊下に、腕組みをして直立している。


 絵の女性のターバンと同じ青色をしたエプロンは、洗い物の直後なのだろうか、黒っぽくにじんでいるところがある。


「ああ、パトリシアさん、聞かれちゃってましたか。まぁでも、嫌な話じゃ無いでしょう」


「そうね。でも妻への愛情表現がしたいなら、私本人の写真を使えばいいのに」

 と、パトリシアはねたのか、即座にきびすを返す。


「恥ずかしいんじゃない?」

 と、アラン。


「あの人が? ヘッ、そんなわけ……」

 と、息子の言葉に立ち止まり、鼻を鳴らすパトリシア。

 

「お父さんが朝イギリスの新聞を読んでるのだって、英語の学習とか、ニュースの内容なんて本当はどうだっていいんだ。お母さんの気を引くためだよ、絶対」

 と、暴露するアラン。


 パトリシアは虚を突かれ、いたたまれない気持ちになったのか、そそくさとキッチンの方へ戻って行った。


「いやぁ……愛だね。羨ましいよ。うんうん」

 と、新川は、自分の発言を自身で噛み締めるように頷く。


「で、チーフは、お相手はいないの?」


「チーフ? あぁ、なかなかいい響きだ」

 と、新川は新しい呼び名を気に入った様子。


「で、いるの? いないの?」

 今のアランは、どこにでもいる、ごく普通の高校生モードである。


「…………いないよ」

 と、一瞬答えに詰まったが、見栄とプライドに打ち勝った新川。


「そっか、僕もいないよ?」


「アランくん。僕と君では状況が違うってば!」


「まぁ、そう熱くならないで、作業を続けようよ」



 

 ***




 __小一時間のち__


 新川とアランは、突堤の先に座り、足を海上でぷらぷらさせながら談笑している。彼らは重い機材を箱運び終わり、休憩中のようだ。


「はぁ、運び疲れたよ。あんな重い部品を涼しい顔で運ぶなんて、やっぱりチーフは、剛腕の『インクレディブル・ハルク』だね」

 と、アランは重労働に疲労困憊ひろうこんぱいの様子。

 

「ハルク、いいねえ。彼は通常時は、賢い科学者だもんね、僕みたいに。肌が緑なのはちょっと嫌だけど」


 新川は、電波工学の専門家としての実力には自信を持っているようだ。


「じゃ、そろそろ組み立てるとするか!」

  と、立ち上がる新川。


「あ、チーフ、おしりがこけまみれになってるよ」


「えっ? ほんとかい?」


「うん。だいぶ緑色」

 

「どれどれ……」


 体を反らせ、臀部でんぶを確認する新川。

 

「げっ、ケツだけハルクじゃん! はぁ……まぁ仕方ない。よし、切り替えてもうひと働きといこう!」


「どれから組み立てるの?」


「これだな。僕たち海の部隊のメインウェポン」


「ああそれね、一番重かった、金属の柱」


 その太い柱は、アランの腰の位置くらいまでの高さがある。


「これは送受波そうじゅは装置になるんだ。音エネルギーと電気エネルギーを相互変換する機械だ。わかりやすく言えば、音波を送信することもできるし、音波を受信することもできる」


「へぇ、エネルギーの変換ね。あれだよね、水力発電なんかだと、高い位置にある水が持ってる位置エネルギーが、滝みたいに落下して、タービンを回して、発電して、電気になって、それが家の明かり、電気エネルギーになったり、暖房の熱エネルギーになったりっていう認識で合ってる?」


「うん、そんな感じ! にしても、先生の水中音響学の授業が、単なるエンジニアの仕事じゃなくて、こんなワクワクする暗号解読に生かされる日が来るとは、学生の時は思いもしなかったなぁ」


「で、僕は何をすればいいかな?」


「じゃあ、そこに大量に転がっているサイコロみたいな部品を、番号の若い順に僕に渡してくれるかな? それから、僕がこの柱に取り付ける」


「チーフ、了解です」

 

 着々と、太く大きい金属の円柱の周囲に、小さな黒色の立方体が綺麗な列を成して敷き詰められていく。


「なんだか、お母さんが使ってる、筋膜リリースのローラーみたいだね。意味あるのかよくわかんないんだよね、あれ」


「こっちは十分な結果を生み出すよ、きっと……おーっとっと!」


 あろうことか新川は手を滑らせ、その筋膜リリースのローラーを、海の中に落とした。


「ちょっとチーフ何してるの! せっかく組み立てたのに!」

 と、あまりの衝撃の出来事に、アランは開いた口が塞がらない。


「あははは! 引っかかったね。これは元から水中に沈める予定のものだったんだ。ウェット・エンドと言ってね。ソナーシステムの中では最前線の海の中に配置するものなんだ。むしろ地上ではただの大きな鉄屑さ」

 と、新川は誇らしげに解説をしてみせる。


「え、でもさぁチーフ……」


 アランは、何かを察したようで、足元に転がる端子を見つめる。


「で、あのローラーが受信した音響信号は、このケーブルの繋がったコンピュータ上で、処理して初めて僕らが扱える音響情報になるわけ。こっち側は、さっきのウェット・エンドに対して、ドライ・エンドって言うんだけど……ってあれ!?」


 アランは、送受波装置に繋がれたはずのケーブルを、西部劇のカウボーイよろしくブンブン振り回している。


「なんてことだ! ケーブルが抜けているじゃないかぁ!」


 新川は、両手で頭を抱え、膝をつく。


「違うよ、最初からつけてなかったんだってば。凄腕のエンジニアが、情けないなぁ。よくわからない知識ひけらかすのに夢中になってるからだよ?」


 アランはニヤニヤしながら、チーフ新川をひどく叱責しっせきした。

 


 その後、新川は自慢の腕力を生かして、送受波装置を、海の深いところからなんとか浅瀬まで持って行って引き上げ、ケーブルを繋ぎ直した。残りの機材も配置し終わり、雨風を凌ぐための強固なテントも設営した。


 こうして、スバルは山の上から、新川とアランは海の中から、あの日アランがドローンで撮影した海域からやってくるらしい、あらゆる周波数の音波を拾い集め始めた。全ての音波信号は、自動的に弥彦山送信所にいるスバルの元へと転送された。



 

__数週間後__


 

 

 スバルの見立て通り、弥彦山送信所に向けても、獅子ヶ鼻の灯台前の海に向けても、暗号とおぼしきものが繰り返し届けられていた。そしてついに、明らかにただのノイズではない、極めてクリアーな音声信号を受信した。送信所のそこそこ高性能なコンピュータで処理して音響情報にしてはみたものの、音のままでは、スバルにもそれが何かさっぱりわからなかった。そこで、スバルは音を理解できる形に変換するために、解析機のある獅子ヶ鼻の自宅へ一時帰宅することにした。


「ただいま前国スバル、帰還した!」


 獅子ヶ鼻の家の玄関に、久しぶりの亭主の姿。


「えっ!? あなたどうしたの? 急ね。戻るなら事前に連絡くらいくれたらいいのに」

 と、パトリシアは突然の夫の帰宅に驚きが隠せない。

 

「へっへっへ、同僚には無理言って三日間の休暇を取って来たよ」


 スバルの両手には、泊まり込み用の大量の服が詰まっているであろう大きなボストンバッグ。


 そして下瞼したまぶたには、クマが目立っている。


「なんだ、その気になれば休み、取れるじゃない。見直したわよ」


 パトリシアの声は、ほんの少しイキイキしている。


「で、あいつは? 今日は新川はいないのか?」


「そんな都合よくいないでしょうよ。どうせ間瀬漁港の人たちに駆り出されてるんじゃないかしら?」


「なんだあいつ、出張がなくなっても引く手数多じゃないか」


「この間は、海の幸と八海山を堪能したって言ってらしたわよ」


「そうか。まぁ、そういう気晴らしも必要だ。じゃあ、俺はやることがある」

 と、玄関に靴を脱ぎ散らかすスバル。

 

「じゃあって何よ。ぶっきらぼうね」

 と、パトリシアは不満そうだ。


 妻の目の前を足早に横切る夫。


 スバルは、久しぶりの妻との会話は程々で済ませ、すぐに自室にこもり、何やら機械を動かし始めた。


 その機械は、終始ガチャガチャと、タイプライターの打鍵音のような音がしてうるさい。


「なんだ? これはギリシャ語か!?」


 スバルが一人で叫ぶ声。


 かと思えば、今度は廊下をドタドタと踏み鳴らす、忙しない足音。


 機械の音は依然ガチャガチャと鳴らせっぱなしで、スバルは、アランの部屋に来る。


 ドカドカと、下品なノック。


「アラン、入るぞ?」

 と、スバルの声とほぼ同時にドアのキィと開く音。


「はぁい」

 と、背中をやや丸めて勉強机に座っているアランは、そっけない返事でスバルを迎え入れる。


「いやあ、忙し過ぎるわ、機材は足りないわで、思うように調査できなくて本当に苦労したよ。暗号解読の最終段階に移るには、ここに降りてくる他なかった……」


 スバルの声には、今までにない、真剣さを感じ取れる。


「さっきから何の音? 気が散るんだけど」


 アランは、スマホの画面に夢中になっている。


「すまないな、今、父さんと、アランと、新川の三人で集めた、いかにも怪しい音声データを、解析機にかけている。もうじき終わると思うが……」


 アランが返事をする代わりに。


 解析機の音が止まった。

 

「よし、じゃあアラン、父さんの部屋に来てくれ」


 息子の肩に手を乗せる父。


「えぇ、『きのこ伝説』やりたいのに……あ、もしかして、例の暗号の話?」

 一瞬ゲームの邪魔をされて口を尖らせたアランだったが、そうと気づくと、彼の顔は、ぱあっと明るくなった。


「そうだ。いいから来い、きのこ狩りとやらは後にしろ」


 アランは、スバルに手を引っ張られ強引に連れて行かれるが、父の突然の帰宅を喜んでいるようだ。


 

***


 

 先日の送受波装置の搬出後、そのまま放置されていて、散らかったスバルの自室。


 いくらか物が減って、壁にかかった『真珠の耳飾りの少女』の贋作が目立っている。


 解析機の印刷口の前には、秋の紅葉の散ったのを掃除したかのように積まれた紙の山。


「お前にぜひ見て欲しいんだ。音声を解析したら、何やらギリシャ語らしき文章が現れてだな」


「え、ギリシャ語? ていうか、なんで僕なの?」

 

「そりゃあアランお前、ギリシア神話に詳しかっただろ? 一昔前にゼウスだとか、ヘーラーだとか、アポロンだとか、ハデスだとか、父さんが知らないような神々の名前をスラスラ言ってたじゃないか」


「それって何歳の時の話? 小学校年少さんだよ? それにあれは、当時流行ってた『パズドラ』ってスマホのゲームのおかげだから、ギリシャ語なんて全くわからないよ」


「はぁ、パズドラ? なんだそれは、楽器か? 『リンゴ・スター』のバスドラムのことか?」


「『りんごすたー』って何? 『にゃんこスター』的な? それこそ知らないよ」


「そうか……いいのになぁ、リンゴ・スター」


 ジェネレーションギャップなのか、父子の話は上手く噛み合わないようだ。


「で、その紙の山を見ればいいわけ?」


「ああ、そうだった。これだ」


 スバルはアランに、紙の山から一枚取って、アランに見せた。


「何この怪文書。前に一緒に見た『シャイニング』のタイプライターのシーンを思い出すね」

 

 紙には、意味不明の文章が、いろんな形式でタイプされている。


 小説のように、鉤括弧入りの文と、地の文に分かれている箇所。


 戯曲や脚本のように、人物名の後にセリフが続き、合間合間にト書きがある箇所もある。


 几帳面に一行ずつ開けてタイプされているもの。


 段落の頭が字下げされているもの、されていないもの。


 不気味なほどにバリエーション豊富だ。


「こんなのみたら、ジャック・ニコルソンも青ざめるぞ」

 と、スバルは怪文書と、勝ち目のない睨めっこをする。


「ここにひたすら書かれているのはまさか、『All work仕事ばかりで and no play遊ばない makes Jack今にジャックは a dull boyバカになる.』じゃないよね? もしそうなら、護身用のバットが必要だよ」

 と、アランの方も、怪文書をことは難しそう。


「How do you like it?」


 狂気のジャックの声真似をするスバル。


「キャー! ってもう、やだなぁ」

 

 その妻、ウェンディを演じるアラン。


 ノリがいい親子である。


「ははは、いい演技じゃないか、アカデミー助演男優賞ものだ!」


「はいはい、そうだね……あ! ここ、三角形の形にタイプされているよ。三つも」


 アランの指摘した文章は、妙なところで改行されたり、空白が挿入されており、大、中、小三つの大きさの正三角形を形成している。


「ほぉ、そこも面白いな。でもな、こっちの紙にはあれだ、ギリシャ語が含まれてるんだよ、明らかに。ほら見てくれ」


 そこには、奇妙な三層の模様が書かれている。よく見ると、ミミズの這ったようなような字ではあるが、それらが全て何かしらの文字であるということだけはわかる。


「へぇ……。あ、この一層目も、見覚えあるよ、ヒエログリフなんじゃない?」


「てことは、二層目は、何だ? 庶民の文字、みたいなのがあったような。デーモン……」


「デモティックじゃない?」


「そう! デモティック! だが、何語か分かったところで、書かれている意味がわからないことにはだな……」


「Google先生に聞いてみよ?」


「馬鹿も休み休み言え。こんなミミズみたいな文字は認識しないさ。それに、いくらグーグル様といえどヒエログリフなんかは……」


 アランはスマホをポケットから取り出す。


「あ! 読み込んだよ!」


「なにっ?」

 と、スバルの驚きと期待交じりの声。


「あ、でも訳がまるで支離滅裂だ、これじゃ意味ないや」


「やっぱり怪文書か。ああ、ギリシャ語すらわからないのに、令和のシャンポリオンになれと言うのか!?」

 と、スバルは自身の語学能力の不足を嘆くあまり、思わず紙をクシャっとする。


「でもお父さん、お母さんとはギリシャで出会ったんだろう? この三層目のギリシャ語の文章、どうにか辞書でも引いて読めないの?」


「短期の旅行で行っただけだからなぁ。まぁ、母さんに一目惚れした結果、長期の旅行になったが」


 暗号の解読に気を取られ、自分が今惚気のろけていることに気づかないスバル。


「なら母さんに読んでもらった方が早いね、呼んでくるよ」

 と、アランは部屋を出ようと一歩踏み出す。

 

「いやちょっと待て! これ、『キュアノス』だな! 『キュアノス』……これは聞き覚えがある単語だ」

 と、スバルは何か糸口を見つけた様子。


「お、エニグマの解読まであと一歩?」


「そうだ、父さんは令和のアラン・チューリングになるんだ!」


 スバルはそう叫ぶと、目をギュッと瞑り、己が記憶領域を引っ掻きまわす。


「えーっとこれは……そうだ! 『瑠璃色』だ、キュアノスは『瑠璃色』という意味だ! 思い出したぞ!」


「なんだ、父さん、やるじゃん!」

 と、アランは、父親を小突く。

 

「だろう? 父さんを見くびるなよ。あ、それで思い出したが、昔、エーゲ海を臨むレストランのテラスで、母さん、いやパトリシアを口説いたんだ。瑠璃色という言葉を使ってな。でも、具体的には何と言ったんだっけ? うーん……」


 スバルが考えあぐねていると、勢いよくドアが開いた。


「あなたたち、何騒いでるの?」


 パトリシアはノックもせずに、スバルの部屋に入ってきた。


「お母さん。えっとね、暗号を解読したら、ギリシャ語になったんだ。で、父さんが母さんをギリシャで口説いた時の話になって……」

 と、正直なアラン。


「おいアラン、余計なことを母さんに言うんじゃあない」

 と、スバルは顔を赤らめて慌てる。

 

「あぁ、懐かしいわねぇ。あれでしょう? 『あなたの瞳は、この瑠璃色のエーゲ海のように美しい』って臭い台詞せりふ。あれは傑作だったわ。十二月で、気温が十度ちょっとしかなくてかなり肌寒かったんだけど、父さん、いやスバルがテラス席にしてくれってうるさかったのよ」

 と、視線を斜め上へ向け、遠い記憶に思いを馳せるパトリシア。


「そう! それだ。あー、わかってスッキリしたよ。まぁ今はそんなどうでもいいことよりも、こっちの解読の方が……」


「どうでもいいとは何よ、あれは本気の告白じゃあなかったの?」

 と、怒ったふりをするパトリシア。


「いや、そう言うことでは……」

 と、狼狽ろうばいするスバル。


「ん? これは何?」

 と、パトリシアは模様の描かれた紙の存在に気づき、手に取る。


「へぇ……ヒエログリフ、デモティック、ギリシャ文字……まるでロゼッタストーンじゃないの」


 パトリシアは、いつもの青色のエプロンを外してそれをクシャクシャに丸め、脇へ置くと、椅子からスバルをどかして文章を読み始める。


 文字を差す指が、とてつもない速さで動かされていく。


「何ここ。文章で三角形が作られてるわ。それも三つも」


 やはりそこは、前国一家全員が気になるポイントらしい。


「そう、『シャイニング』のタイプライターから出てきた怪文書にもあったよね、三角形」

 と、アランがすかさず補足する。


「そうそう母さんはキューブリックが大好きだから……いや、違うわこれ、ピラミッドよ! ギザの。しかも三つあるじゃない?大きさの異なる。絶対そうよ!」


 パトリシアは興奮気味に、紙を持ち上げて二人に見せつける。


 そしてせわしなく紙を机の上に置き直し、再び文章を読み始める。


「どの言語の文章にも、『瑠璃色』って言葉が何度も繰り返されてるわね。で、思った通り三層が全部同じ意味。『この我々にとって重要な瑠璃色を、守護しなければならない』、この部分が気になるわね。『瑠璃色』は、『ラピスラズリ』って訳した方が正しいのかも……」


「ふむふむ、それから?」

 と、パトリシアの推察に、興味津々のスバル。


「ラピスラズリは古代エジプトにおいて、黄金と同じ価値を持つ石として、ファラオなどの身分の高い者が身につけていた宝石……そしてこの紙にある模様は明らかに、プトレマイオス五世が作らせた、メンフィスの神官会議の記録を記した石碑の一部、ロゼッタストーンに酷似している……」

 

 暫時ざんじうつむき、紙を見つめる母。


「で、全体としては、どんなことが書かれているんだ?」

 スバルは目を子供のように光らせて、パトリシアの顔を覗き込む。


「ああ、確信したわ」

 と、パトリシアはハッとしたように、素早く顔を上げる。


 その瞬間、パトリシアを中心に、ギュッと集合する三人の家族。


「ここに書かれている『瑠璃色』は、単にラピスラズリを表しているんじゃあないわ……私がいたバイロン男爵家に、代々伝わる古代エジプトのパピルスの手帳。そこに書かれている『ロゼッタストーンの双子石ふたごいし』のことなのよ!!」


 パトリシアは気持ちのたかぶりを隠せず、勢いよく立ち上がり、椅子と、男たちとを吹き飛ばした。

 

「お父さん、令和のアラン・チューリングは、お母さんだったね」

 と、尻餅をつきながらつぶやくアラン。


「ああ。チューリングはもう諦めよう。父さんは、ドクター・ストレンジで、我慢するよ」

 と、床に仰向けになっているスバル。


 そして、部屋の壁にかかっている『真珠の耳飾りの少女』の贋作は、氷のように冷たい微笑を浮かべているように見えた。

 

〈第十三話に続く〉

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