第13話 ご令嬢の悔し涙、そして決意

(元婚約者……)


 次男坊が言った言葉が俺の頭の中で反響している。


 次男坊はテーブルに近づいて来た俺に、

「ん?誰だお前?」

 と、聞いてきた。

「ノッシュ=ノールです」

「ノール……?あぁーーお前かぁー」

 一瞬考えてからそう言った次男坊はテシリア嬢を横目で見ながら、

ってのは」

 と、嫌な笑顔で言った。


「この人は初めての婚約者よっ!」

 みつかんばかりの勢いでテシリア嬢が言った。

「あなたと婚約したことなんてないでしょ、ボーロ=グッシーノ!」


(次男坊はボーロって名なのか……)

 それにしても、二人の言うことが食い違っていて今一つ状況が理解できない。


ほとんどしたも同然だっただろう?」

「してないって言ってるでしょ!」

 二人とも立ち上がってしまい、ますます状況が悪化しそうな様相ようそうていしてきた。


(こりゃ、止めないと手が出るな、テシリア嬢の……)

 そう思って俺は、

「あの、とりあえずは落ち着いて……」

 と、止めに入った。

「うるせぇ、引っ込んでろブサイク野郎」

 ボーロがさげすみとあざけりたっぷりに俺に言った。


(引っ込んでろはないだろ、ブサイクは否定できないが……)

 なんて思ってると、

「そうだぞ、お前なんかがボーロさんと対等に話せると思うなよ!」

「そうだ!無礼じゃないか!」

 と、今まででおとなしくしていたボーロの取り巻き連中が騒ぎ出した。


「黙りなさいっ!」

 と、テシリア嬢が一括いっかつした。

 取り巻き連中はビクッとして黙り込んでしまった。

(さすが、テシリア嬢!)

 と、内心喝采ないしんかっさいを送った俺だったが、それはそれで情けない気もした。


「それにしてもこんなブサイク野郎が婚約者とはなぁ、テシリア」

 困ったもんだ的な表情でボーロが言った。


(ブサイクを強調するな、慣れてはいても嫌なもんだぞ!)


「しかも伯爵家の三男坊だっけ?お前より格下かくしたじゃねえか」

 ボーロがこんな可笑おかしいことはないといった顔で言うと、

「そうだそうだ!」

「はははは!」

 と取り巻き連中が騒ぎ立てた。

 すかさずテシリア嬢がにらみつけると、取り巻き連中は顔を青ざめさせて黙り込んだ。


「まあ、仕方ねぇ、邪魔じゃまが入ってきょうがれた。今日のところは帰ってやるよ」

 と、なぜか恩着おんきせがましくボーロが言った。

「あ、それと、三男坊」

 とボーロは俺を手で招き寄せる仕草しぐさをした。

 俺が一歩近寄ると、彼は内緒話ないしょばなしをするように顔を近づけ普通の声で、


味見あじみはしておいたからよ」

 と下卑げびたニヤケ顔で言った。


(……!?)

 俺は一瞬その言葉の意味が理解できなかった。


 が、テシリア嬢は速かった。

 テーブルに置いてあったジョッキをつかみ、中身をボーロの顔面がんめんにぶちまけたのだ。


「て……てめぇーー!」

 ボーロは顔をぬぐいながら罵声ばせいを上げ、ジョッキを握っているテシリア嬢の腕をつかんでひねり上げた。

「あぁ……」

 テシリア嬢が苦痛の声を上げてジョッキを落とす、と同時に俺は動いた。


 俺は、テシリア嬢の腕を掴んでいるボーロの腕を右手で思いっきり握り、左手で彼の胸ぐらを掴んで締め上げた。

「ぐぁああ……!」

「彼女から手を離せ」

 そう言いながら俺は左右の手の力を一層強めた。

「くそっ……!」

 ボーロは悪態をついてテシリア嬢を掴んでいた手を離した。


 テシリア嬢を見ると、歯を食いしばって全身全霊ぜんしんぜんれいでボーロを睨みつけていた。

 そしてその目にはっすらと涙が浮かんでいる。

(本当にくやしいんだな、テシリア嬢……)


 俺は心を決めた。


 そしてボーロを見て言った。

「あなたに決闘を申し込む」

「なっ……!?」

 俺の後ろでテシリア嬢が息を飲むのが聞こえた。

「俺と決闘だとぉ?正気しょうきかお前?」

 俺が握って痛めつけた腕をさすりながらボーロが言った。

「お前がボーロさんにかなうわけ無いだろ」

「「そうだそうだ!」」

 と、取り巻きたちが騒ぎ立てた。


面白おもしれえ、受けてやるよ」

 最高に憎らしい笑い顔でボーロが言った。

「だが、証人がいなくちゃな……誰かいねえか?」

 そう言いながらボーロは店内を見回した。が、店内にいる者は面倒事めんどうごとを嫌ってか黙ってそっぽを向いている。


(確か決闘には利害関係がない貴族かあるいは……)


「ちっ、誰もいねぇのかよ……ん?」

 舌打ちしたボーロの目が止まった。

「おおーーいるじゃねえかそこに、神官様が!」


(あるいは……聖職者の証人が必要、だ)


 それは、店内の一番奥の席で一人静かにジョッキを傾けている神官服姿の女性だった。

(神官服姿で堂々と酒を飲みに来るって……)

 なんだかすごい人のようだ。


「なあ、そこの神官様、俺達の決闘の証人になってくれないか?」

 ボーロが声を大きくしていった。

 神官はゆっくりと立ち上がりこちらを見た。

「私のことかい?」

 低くてゆったりした声でその女性神官は言った。

(母さんと同世代って感じか……?)

 とても落ち着いている感じの女性だ。


「ああ、そうだ。こいつが俺に決闘を申し込みやがったんでな、俺はグッシーノ公爵家のボーロだ」

「ノール伯爵家のノッシュです」

 俺達は神官に自己紹介した。


 神官は俺達の方に歩いてきて、

「とりあえずは、なぜ決闘を申し込んだのかを聞こうか」

 神官は俺を見て聞いた。

「テシリア嬢が、アルヴァ公爵家のテシリア嬢がグッシーノ卿に侮辱ぶじょくされたからです」

「ふむ」

「俺……私はテシリア嬢の婚約者です。彼女に代わって彼女の名誉のために闘う権利があると考えます」

「そうか、で?」

 そう言って神官はテシリア嬢を見た。


「テシリア嬢、君がグッシーノ卿に侮辱されたということは間違いないかい?」

「あ、あの……」

 テシリア嬢は言いよどんだ。俺のことを気遣きづかってくれているのかもしれない。

 そう思って、俺は彼女に向かって小さくうなずいた。

 それを見てほんの少し、気づくか気づかないかという、ほんの小さな変化ではあったが、テシリア嬢の表情が明るくなった。


「……はい、間違いありません」

 テシリア嬢が静かに答えた。

 それを聞いて神官はうなずいて言った。

「ふむ、決闘の申し出は正当と認めよう。で、グッシーノ卿はこの申し出を受けるかね?」

 と神官が聞くと、

「もちろんだ」

 不敵に笑いながらボーロが言った。


「よろしい、それではここにノール伯爵家ノッシュの申出もうしでにより、グッシーノ公爵家ボーロとの決闘が成立したことを私、神官マリルが証明しよう」

 神官マリルがおごそかに宣言した。

「日取りは、そうだな……三日後の真昼、場所はこのダンジョン前の広場でよろしいかな?」

「はい」

「ああ」

 俺とボーロが答えた。


「逃げるんじゃねえぞ」

 そう言って、ボーロは取り巻きたちを引き連れて店を出ていった。


「ありがとうございました、神官様」

 俺はマリルに頭を下げた。

「まったく、おぬしも無茶をするのぉ」

 マリルが困り顔で言った。

「無茶……でしょうか?」

 落ち着いた今考えてみると、俺は勝算などまったく考えもせずにボーロに決闘を申し込んでしまった。


「でも、彼の剣技はテシリア嬢ほどではないですよね?」

 俺はテシリア嬢に聞いた。

「な、何を言ってるの!」

「え?」

「彼の剣技は王国一おうこくいちよ!」

「ええ!?」

「私では……私では彼に勝てないわ」

「そう……なんですか」


(もしかして、とてつもなくヤバい状況なのか……?)


「本当に困ったやつだ。まあ、オルダの弟子なら仕方ないか」

 マリルが言った。

「え?師匠をご存知ぞんじなんですか?」

「まあな、やつとは古い知り合いだ」


 人とは意外なところで繋がっているものだと、俺が妙に感心して物思いにふけっていると、視線を感じた。

 見るとテシリア嬢がこちらを見ていた。その表情は、心なしか心配そうに見えないでもない。

(テシリア嬢に心配してもらえるだけでもよかったかな)

 などとお気楽なことを考えたりもしてしまうが、相手は王国一の剣士だ。


(ズタズタにされるだろうな……)

 自分でいたたねながら、俺は早くも暗澹あんたんたる気持ちになり始めた。

 とはいえ、やはりテシリア嬢に心配をかけてはいけない。

「大丈夫ですよ、なんとかなると思います」

 と、俺は言った。

「……」

 それでもテシリア嬢の心配顔はそのままだった。


「はぁ……まあ、とりあえずはオルダに相談してみよ」

 マリルが言った。

「はい」

 俺は答えながら、

(でも、俺がオルダ師匠の弟子だってなんで知ってるんだろう?)

 と少し疑問には思ったが、明日にでも決闘の助言がてら師匠に聞いてみることにした。


 そして俺は、まだ心配顔のテシリア嬢に言った。

「今からでも軽く一杯やりませんか?」

「……ええ」

 テシリア嬢は小さい声で言った。

 その時、俺の気のせいの可能性がだいではあるが、テシリア嬢がほんの少しだけ優しげに微笑んだように見えた。


「では、私も邪魔じゃまするとしようかの」

「はい、是非お願いします」

 神官マリルの申し出に俺が答えると、彼女は穏やかに微笑んでくれた。


(決闘の心配は明日にしよう)


 俺はそう思って、テシリア嬢とマリルとともにテーブルについた。


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